2004年10月11日

英語と文法と… オレンジジュース?

囲碁の方の日記で英語の話が出てきたのでついでに。

英語。昔から好きな科目で、自らに「他の科目を3時間勉強したら英語を1時間だけやってもいい」なんて制限を課していたりした(笑)。評判の悪い「文法教育」世代なんだけど、話すのも結構流暢に話す。

そんな私に、しばしば「学校での文法教育の弊害」を語らせようとする人がいる。しかし彼らの思惑とは反対に、私はむしろ「会話教育反対派」。私の英語力は絶対的に「文法力」によって支えられているからだ。

もちろん。私が三流中学、三流高校にいたせいもあって、学校教師のレベルは低く、学校の英語教育が役に立ったとは言えない。しかし親に甘えて高校3年間を予備校で過ごさせて貰い、そこで得た文法の知識は私の英語力の揺るがぬ基礎となっている。

「でも文法なんて暗記しても実際には使えないでしょう?」。そんなことを尋ねてくる人が多い。「ではあなた、自分が書いたり話したりする英文が正しいかどうかをどうやって判定するんです?」。私は問い返す。

「いや、英語にどっぷりと浸かっていれば、自然に正しい英語が話せるようになるのでは?」。そういう反論がせいぜい。厳密に言えば英語にどっぷり浸かっていても正しい英語がしゃべれない人はいるけど、まあそんな例を取り上げずとも、英語に興味を持つ人全員が「英語にどっぷり浸かる生活」を送るなんてあり得ないこと。


「でも会話の方が生徒も興味を持つと思うし…」。そう反論してくる人もいる。そういう人には反論しない。英語を学ぶ目的が「英語を学んでいる自分を楽しむ」ことにあるのなら、そうやって趣味で英語をやっていればいい。

少なくとも私にとっての英語学習の目的は、大袈裟に言えば異文化理解だった。共通語のように存在する英語を知れば、いろんな知識を一次ソースから得ることができる。

「でもそういう持論の人が英語を話すこともできるのはなぜなんです?」。そう聞かれる。それはちょっと「文法の学習」を甘く見てるよね。昔の人は文献からのみ英文法を学習して、そしてたまたま海外に行くような奇跡が起きたときには、ちゃんとそれでコミュニケートしてきた。

まあそれはさておき。

私の時代には幸いにラジオという文明の機器が普及していて(笑)、ラジオ講座をいくらでも聞くことができた。今は番組構成もずいぶん変わっているようだけど「基礎英語」「続基礎英語」「英会話」「百万人の英語」が毎日ラジオから流れてきてた。

私は中1の頃から、それらのラジオ講座に出てくる文章を、ラジオで「ネイティブの速度」と言われる速度で暗唱できるまでぶつぶつ繰り返して覚えた。

それにより発声方法は英語に慣れ、「英語らしく」発音できるようになる。そして文法知識を背景に持っていれば、自分の表現したいことが自由に表現できるようになる。

私の英語力を支えているのは中学、高校時代に得た文法の知識。そしてそれに「格好を付けている」のが、ラジオ講座を暗唱しまくった努力。会話力なんてのは英語の実力の中では「おまけ」みたいなもの。

今の時代風潮はよくわからないけど、一時「学校教育で『使える英語の重視を』」なんて言って、英会話を中心に据えようという動きがあった。「そんなことをしていては、英語力がますます希薄化するのになぁ」と私は考えていた。


なんだか「会話力」ってのは見栄えの良いものらしい。「英語で日常会話ができる」というのが夢だという人もいる。でも考えて見れば「日常会話」ってのは大したことないんだよね。「オレンジジュースはどこにありますか?」とかそんなもの(笑)? それでも「自由にコミュニケートしてる」という感じがするらしい。

まあ「趣味」の英語ならそんな感じでいいのかな。「そんなもん英語じゃない」と否定するつもりはない。

でも「英語」を「勉強」する人には、英語から得られるものは「オレンジジュースのありか」だけじゃないことをわかって欲しいなあと思ってる。

投稿者 前田博明 : 2004年10月11日 12:00 | トラックバック