うちのサイトでもサイドバーに利用させて頂いていた青空文庫の RSS フィードがいろんな理由で更新されなくなってしまったらしい(記事参照)。
私は今朝になって、自分のページ(このページ)のサイドバーを見て青空文庫のタイトルが表示されてないことに気付いた。なんか青空文庫のトップページレイアウトも変わった感じ? 最初はレイアウト変更による影響だと思って、すぐにフィードは再開されるんだと思ってた。でも先にリンクした記事を見ると、ハードウェア的な要因もあってフィード自体が停止してしまうとのこと。
しょうがないので例によってプログラムを書いて、独自に青空文庫の新着情報を取得することにしました。サイドバーの青空文庫新着リストは復活しているはず。
でもね〜。利用者の勝手を言わせて貰えば青空文庫は「公的存在」。RSS のフィードをしてくれても良いように思うんですよね…。いや、勝手だってのはわかってるけどさ(^^;。ちなみにうちのサイトでは「青空文庫」なんていうウルトラメジャーな RSS をフィードする体力に自信がないので、内部利用に留めたいわけなんですが。
以前、「ブログ対応青空文庫」なんて話も出てただけに、なんか前向きの動きがなかったのがちょっと残念。いや、何度も言うように勝手な言いぐさなのはわかってるんだけどね。
ハッピー・マンデーに張栩名人・本因坊に似た人が入会したことを囲碁雑考に書いた。私が言う「似てる」はしばしば人に「え〜」と言われてしまうんだけど、今回はF先生も同意してるので大丈夫。
たとえて言えば「眠る前の悪夢」というブログにある田臥と某くらいに似てる。
いや、この田臥と某が似ているという記事。ツボにはまってしまいましたよ。大笑い(^^;。ついその衝撃のままトラックバック(笑)。
BUBI さんの記事に懐かしい名前があった。「村上春樹」に「清水義範」。実は先日「さようなら、恩田陸」を書いたとき、知人に「清水義範」を語ってしまったんだよなあ。
あのさ。恩田陸の『夏の名残の薔薇』。あれって下敷きが「去年マリエンバートで」でしょう? 「去年マリエンバートで」ってのは、映画好きなら誰もが見てる、そして誰もが確固たる評価を持ってる映画なんだよね。それを下敷きにしたにしちゃああまりに底が浅すぎる。「去年マリエンバートでっていう映画、知ってます?」なんてふざけた問いかけをしているようにも思える。「去年マリエンバートで」を知ってる人があの小説を読めば、みんなそっぽを向くんじゃないのかな。
似たような例に清水義範がいるんだよね。彼は『永遠のジャック&ベティ』なんていう凄い本を書いた。『国語入試問題必勝法』なんていうファンキーな本も書いた。同じようなコンセプトで書かれた『虚構市立不条理中学校』も笑えた。だけど彼は、あるとき編集者から変な言葉を吹き込まれたんだよね。その言葉ってのは「パスティーシュ」。編集者に「パスティーシュの第一人者」なんて持ち上げられたもんだから、彼の小説はどんどん底を浅くして、そのうちに「小説」なんて言えないもんになってしまった。彼は知識を得々と語る男を笑いものにした小説だかエッセイを書いていたはずなのに、いつか自身がそんな存在になってしまった。
そもそも「あなたは知ってますか?」なんて話を始めると、たいてい作家は終わるよね。一時流行した『あなたの知らない○×△』とかさ。「知ってるよ、そんなこと」ってのを得々と語り出して、そしてその語りが気持ちよかったのか、いつまでもよがり続けて終わっていくんだよね。
『永遠のジャック&ベティ』を人に勧めまくっていた私。その後の清水義範の変化になんか恥ずかしく思っちゃったな。
ところで村上春樹。
村上春樹が好きだ、というのは私たちの世代の男には難しいことかもしれないな(苦笑)。何かの文芸誌で「都市の文学、路地の文学」というようなタイトルで中上健次と比較されたよね。だから堂々と公言しても良さそうだけど、でも「いや、あの。。。ほら、鼠三部作の作家ね」なんて、作家名を出すのに躊躇ったりする。
実際、鼠三部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)は「好きだ」と公言しつつ読んでいたものの、クリスマス本(『ノルウェイの森』)で村上春樹から離れた人は多いんだよね。
私も勢いで『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』までは読んだものの、その後はすっかり興味をなくしてしまった。
鼠三部作を、ちょうど「同世代」として受け入れることができたせいかもしれない。でもそれを言うならば『ノルウェイの森』だって胸焼けがするくらいに同世代。だけど『ノルウェイの森』を読んで気持ち悪くなってしまったんだよなあ。
誰だったかな。私が無類の本好きだと知っている女の子に「この本は絶対に読め」と言われて『 アンダーグラウンド』(後注:最初、間違えてアフターダークと記載していました)を勧められた。勧められたので読んだ。
そして、その女の子とは会わなくなっちゃったんだよな(苦笑)。
う〜ん。BUBI さんのサイトに、うちのドメインが嫌われてるのかな。以下の文を BUBI さんの記事へのコメントとして登録しようとしたら、また例のメッセージが出て却下されてしまいました(涙)。
こっちに掲載しておこうっと。
そういえばね。
ロサンゼルスにホームステイしていたとき。ある小さな女の子が「itchy!」と言ってたんですよ。「痒い!」とかの意味なんですが。
当時の私、itchy という単語を知らなくて「ねえ気味。それはどう綴るんだい?」と尋ねた。するとその子曰く「わかんない」と。
なんかね。それが衝撃でしたよ。言語構造の違いがあるからしょうがないけど、日本だと「漢字がわからない」ということがあっても「言った言葉を文字で書けない」なんてことはあり得ないわけで。
「へ〜。なんか日本語ってすごいかもしれない」。そんなことを感じたエピソードでした。
う〜ん。俺、なんか悪いことしたかなぁ(笑)。「小さな女の子」が NG ワードなのかなぁ(苦笑)。
え、私のブログにふさわしくないタイトルだ? あはは。私もそう思いますよ。
実は以下の内容を BUBI さんの記事にコメントしようと思ったんです。
いい年して恋愛カテゴリに反応するのもなんですが(苦笑)。
爆風スランプというバンドの、私の好きな曲のひとつに「がんばれ、タカハシ!」というのがあります。振られた男を慰めつつ「ごらんよ、(あの)幸せな(幸せそうな)恋人たち。いつかはきっと別れるさ」というんですよね。
いえ、それだけで、BUBI さんのおっしゃることに何か意見するわけでもな〜んもないんですけど(^^;、つい記事を読みつつ思い出してしまったので…。
私がもうちょっといろっぽいやつならば「水色の雨」(八神純子)とか「銀の雨」(松山千春)とかを思い出すのかな(笑)。あ、そういえば太田裕美にも雨の歌があったな。。。っと、ここは懐メロブログじゃなかった。失礼しました。
すると、ココログサーバ君に以下のように叱られました。
Your comment has not been posted because it appears to contain questionable content. If you believe you have received this message in error, please contact the author of this weblog.
ふふ。
私のコメントのどこが questionable なんでしょうね(^^;。
最初「色っぽい」と書いていたのが NG ワードなのかと思って「いろっぽい」に直してもだめでした(^^;。
いいんだもんね〜。
と、そういうことで自分のブログに投稿します(^^;。艶っぽい話を期待した方、失礼しました(^^;。
「英語がわからねーよ」と言われたので追記。上の英語文を翻訳すると。
書かれた内容にちょっと問題があると思われますので掲載されませんでした。なんでこんなメッセージが表示されるのかわけわかんねーよの場合はウェブログの著者に相談してみてください。
って感じ。あ、このメッセージを見る限り、ココログは自分で NG ワードとかが設定できるのかな。BUBI さんのブログではいったい何が NG ワードとなっているのか。ちょっと興味深いところではあります(^^;。
囲碁ページの方でお世話になっている BUBI さんの記事に、「『読書』はいいこと?悪いこと?」というものがあった。
私は高校1年のときに「読書は悪いことだ」と断定し、1年間読書から離れたことがある。
なぜ「読書は悪いこと」と断定するに至ったか。それは私の読書習慣による。それまでの私は、だいたい年に 200 〜 300 冊の本を読むことを習慣にしてた。
中学生になると外部の模擬試験を受けたりしてたんだけど、模擬試験の国語に出てくる文章は、出典が書いてあれば必ず原本を買い求めて読んでいた(BUBI さんの記事に出てくる星新一のショートショートも模試で知った)。文学史なんかに出てくる本も、実際に自分で読んでみないと気が済まなかった。
模試に出てくる文章というのを「読んでいるのが常識」であると誤認し(笑)、「いったいいつになったら知らない文章が問題として掲載されることがなくなるのだろう」なんて恐怖感を持っていたりした(苦笑)。
いや、もちろん。だからと言って私の「読書」が「苦痛」であったなどということはない。一冊一冊との出会いは歓喜であり、模試で知らない文書が出てくるのも「まだまだ読むことのできる本が世の中にはあるんだ」という喜びであったことも事実。
だけど。
いくら時間のある若い頃ではあっても、そんな読書習慣を持っていると時間は足りなくなる。中学時代の私、大阪府でベスト8に入ろうかというスポーツクラブに属し、塾に通い、英語は聞ける限りのラジオ講座を聞くという生活をしてた。睡眠不足から体中の痙攣に見舞われ救急車で病院に運ばれたりした。
高校一年になって考えた。
「果たして俺の読書というのは、何かに対するエクスキューズになってはいないだろうか」。「読書を何か高邁なものだと言い訳し、他のことにかけるべき時間を少なくしてはいないだろうか」。
実は「英語」という教科も私にとっては娯楽だった。そして英語に関しては早々に自分に制限を課した。「他の教科を5時間勉強したら、ご褒美に1時間だけ英語を勉強しても良い」。まあこの制限には逃げ道を考え出したけどね(苦笑)。学校や予備校での授業で取ったノートを英訳し、「いや、俺は英語の勉強をしてるんじゃない。物理のノートを英語で書き直してるだけだから。物理の勉強をしてるんだよ」なんて。
でも読書にはそういう逃げ道を作ることはできなかった。「おまえ、本ばかり読んでると馬鹿になるぞ」。一所懸命自分に言い聞かせ、「しばらく読書はしない」と言い聞かせ、ほぼ1年「読書」から離れるのに成功した(^^)。
まあこういう私に対しては。「読書は悪い」云々じゃなくてもっと単純に批判することができるけどね。「過ぎたるは及ばざるがごとし」と(笑)。でも「過ぎる」くらいにやってこそ見えてくる境地みたいなのもあるしね(言い訳かな(笑))。
その1年の「読書離れ」。私は「読書」を悪いものだとして排除したんだけど、新たな境地をもたらしてくれもした。それは「あらゆる科目の問題を言葉の問題として解けるようになったこと」。数学も物理も、もちろん英語もみんな「言葉」の問題として、まるで本を読んだり文章を書いたりするような快感を感じつつ解けるようになった(^^;。
1年後に読書を解禁したときにはまた中毒症状にはまりそうになったけれど、でも1年のうちに知った、たとえば「数学を国語的に解く」快感なんかも忘れられず、結局バランスがとれていったのかな。
ところで。
これも BUBI さんの記事に書いてあったんだけど、読書と教養の話。私は読書によって得られる教養というのは確かにあるし、そしてそこで得た教養というのは、いろんな文化を理解するのに役立つことが多くあると思ってる。
例えば私、囲碁という文化をそれなりに理解するようになってきたけれど、私に読書という習慣がなければ、おそらく囲碁に出会うことはなかったはず。あるいは知り合いに照明デザイナなんて職種の人がいるけれど、その人とは『陰影礼賛』なんていう共通の知識があってこそ会話できるところもあったりする。
さらに教養ないし文化に触れるのに「読書」という手法は一番手軽であったりするしね。本を読むだけで一流の文化人の発言に触れられたりするのはものすごいことだと思う。
本を「高い」という人がたまにいます。「げ。2万円もするのか、この本!」なんて。でもたとえば私が2万円貰っても、その本の内容に見合う文章を書けたりはしないんですよね。「あらゆる本は安すぎるくらいに安い」。
まあしかし。金を払ったことを深く後悔する本がないわけではないことは認めます。そういう本に出会わないようにすることも、日頃の文化理解への努力でしょう(^^;。
え〜と、知り合いの知り合いは知り合いだがネット世界の常らしいので(ホントカヨ(笑))、トラックバックを投げてみることにしました(^^;。
え〜と。「じゅんの習慣」というブログに以下の記事がありました。
最近思うことだが、日記という習慣は非常に自分の成長を飛躍的に伸ばす効果があるとコーチでもある妻に教えられ素直に従ってみることにしました。
日記。いろいろ効用がありますよね。私の高校時代の師匠である表三郎氏も『日記の魔力この習慣が人生を劇的に変える』なんて本を上梓されました。
私も表だって言うのがちょっと恥ずかしいんですが(苦笑)、中学時代から日記をずっとつけ続けています。当時の日記を読むのもなかなか面白い。赤面することも多いけれども。
中学時代のある日の日記に「日本経済を考える」とかって言って、A4ノート10ページもの論文が書いてあったんですよ。「あ〜あ、中学生がそんなの書いても馬鹿なことの羅列だろう」と読み返してみた。
いや〜、天才かと思いましたよ(爆)。なんか今の私には理解不能な難しい専門用語を使って、結構論文の体裁になってる(笑)。一瞬「何の本写したんだ、こいつ?」って思った。でもそうだった。当時なんか「経済問題」とかに凝っていろんな本を読んでたんだよなぁ。親に頼んで日経新聞買って貰ったりした(爆)。
ことほどさように。
日記単体でも面白いけれど、こうやってトラックバックしたりなんかできる日記。それもまた楽しいもんですよね(^^)。
この日記サイト、「気になったこと」がコンセプトで、私の気になりそうなことをいろいろとサイドバーに配置しております。
で、今日の「Yahoo! Japan 日替わりサイト」に掲載された「語源blog」。これはまさに「気になったこと」にストライクヒットでしょう(^^)。そんなわけで語源blogの RSS をゲットして、サイドバーに登録させて頂きました(^^)。
ちょうど(何かのきっかけで旬だったのかもしれないけれど)、先日へぼたろさんのページでも話題になっていた「オブジョイトイ」も出てました>語源blog。
いやぁ、なんかサイドバーが充実してきたな(^^)。
でもね。こういうの、なんか不思議な気持ちでしょう? 財布を買うためにお金を出したら財布に入れるお金がなくなってしまったという「賢者の贈り物(青空文庫の図書カードにリンクしてます)」状態(笑)。
え、わかんない? なんかさ。「気になったこと」をテーマに日記書いてるくせに、自分のサイドバーにどんどん情報を追加して、気になったことをどんどん増やしてる。自分の日記ページ見て無限連鎖に気になったことが増えていく感じ(^^;。
なあ? 「そういうのはマッチポンプと言うのだ」? いや、なんかその言葉、イメージが悪いじゃないですか(苦笑)。このサイトは「賢者の贈り物的サイトである」と。そういうことにしておきましょう。
Blog 対応青空文庫というのがある。
「というのがある」って、まだ計画中だし、今日知ったんだけどね(笑)。そこで「できるかどうかわからんけど、どういう機能があれば便利だと思う?」という問いかけがなされてる。
Blog 対応青空文庫! まず機能云々よりも「便利そう!」というのが第一感(えと、これって囲碁用語かな(^^?)だよね。とにもかくにも RSS フィードを受けられるようになるのが絶対便利だよね。新着やダウンロード数なんかだけでもとても興味深い。
そしてブログらしくトラックバックを受け付けるのなら(図書カードにトラックバックができるようにという希望が結構あるらしい)、開かれたウェブで数々の書評をトラックすることができるようになる。
「インターネット」を as is で受け止めている世代には、もはや理解できないことかもしれないけれど、インターネットで展開するとある書店が、その本に対する書評や感想をウェブ上に掲載できるようにした(今は Amazon でもできるし、その機能が Amazon 出自だと思ってる人もいるんだろうな)。それだけでネットワーカの間でその書店の人気はうなぎ登りだったんだよね。残念ながら売り上げが上がったのかどうかのデータは持ってないけど。
今、書籍という資産をオープンなものとして扱おうとする青空文庫が、書評もブログによるトラックバックというオープンな環境で組み込んでしまおうとする。それはかなり刺激的なこと。
「何か新たなアイデアは?」というよりも、青空文庫のブログ対応というだけでエポックメイキング(ちょっと大げさか(笑))なことだと思う。
ちょっと興奮してしまうニュースだった(^^)。
→ 青空文庫
スタッフサービスのCM「さる篇」(左のリンクからパソコンでCMを確認できます)。殿様が「サル、ぞうりをもて!」と言っている CM なんですが…
「あの CM なんて言ってんの?」とある人に聞かれた。ある人というのは 28 歳女性。「ん? 『サル、草履をもて』と言ってるんだけど?」と私の答えにまだ納得できない様子。「どういう意味?」と尋ねてくる。
「あのさ。まさかとは思うんだけど、君、信長と秀吉の草履の話、知らない?」。そう聞くと「なんのこと?」との答え。ふ〜む。あの CM、とりたてて背景の説明などなしに流しているということは、あの話(秀吉が信長の草履を温めたという話)を「誰でも知ってるもの」と考えてると思うんだよね。だけどそういう知識を共有してない人がいる。
以前、ひとまわり年下の女性と仕事をしているとき「俺、ある意味でカタワなんだよね」というとぽかんとされたことがあった。「この子、馬鹿なんじゃなかろうか」と、家に帰って広辞苑を見ると「カタワ」という単語は載ってなかった。差別用語ということで排除されたんだろうな。言葉が失われたことに複雑な思いを持つと同時に、その女性がとくべつに馬鹿なわけじゃないんだろうと安心したことがある(苦笑)。
身の回りのできごとをことさらに一般化するつもりはないけど。
なんというか「共有知」みたいなものの幅広さがどんどんと失われている気がするな。一時期はそういう動きを「多様化」なんて言葉で糊塗(ちなみにパソコンの漢字変換で出てこなかった)していたけれど、「じじい」の指摘を受けることを覚悟して言えば、やっぱり「底が浅くなってる」のが正解だと思う。
23年前。サンタモニカ・ビーチでいろんな人に「日本にオレンジはあるのか」とか「地下鉄はあるのか?」、あるいは「東京はモスクワから車で何分くらいなんだ?」と聞かれたことがあった。「日本人ほどいろんなことを知っている国民は珍しいのかもしれないな」と当時は思った。
でも知識の深さや幅の話で言うと、今では日本人も「国際化」しているのかもしれないな。
野球と言えばイチロー、野茂くらいにしか興味のない私。なので今回のストライキについても情報も持ってないし、ニュースすら見てないけれど。
サッカーファンが比較するのは「横浜フリューゲルス」の合併(消滅)問題。
横浜フリューゲルスの場合の問題は、本当はプロサッカーの試合を興行して収益を得て運営していくという独立した事業としての登録なはずなのに、親会社(メインスポンサー)から脱却できないでいた運営人の水面下の工作によって、「合併」という名の「消滅」を履行された事にある。
こういう見解があったけど、これは私には理解できない。「親」会社があろうが、「運営主体」会社であろうた、「プロ」チームを運営する以上は「ペイするか否か」の判断が第一。
前にどこかに書いたけど、日本のプロ野球は歴史のある分(先行者利益とも言えるけれど)、さまざまな方法(広告価値等)で「全体としてペイする」仕組みをうまく作ってきた。「チーム」としてはペイしなくても、親会社をも含めた「全体」で見ると「まぁ結局ペイしているんじゃないの?」というバランスで運営してきた。
後発のサッカーは、野球ほどの「経済価値」を持つには至っていない。そんな中でJの組織自体も期待していたのが「親会社の『努力』」。「Jリーグ百年構想」というのがあったけれど、「いろいろとご迷惑はおかけしますが、将来に向けてともに頑張りましょう」という面もあったろう。そんな中、企業の「努力」が続かなくなることは当然にあり得るし、あるいは「続けられる範囲の努力の中で、それなりの利益は享受したい」という発想も当然のものとして受け入れられる。
「チームは企業のものじゃない」。フリューゲルス合併の頃、声高に唱えられた主張だ。しかしたとえば伝え聞くレアル・マドリードのように、「チーム自体」が完全な「プロ組織」として自立しているのでなければ、チームは「ある程度」、企業のものだ。
私は横浜フリューゲルスの合併について、企業側に手順的な過ちはいくつかあったかもしれないとは思うが、基本的には全く賛同している。
尚、全くの余談だけれど、フリューゲルス合併問題の後に生まれた横浜FCというチームがある。「ファンの声でサッカー文化を創るのだ!」ということも言われていた。そのチームの開幕戦を三ツ沢競技場という非常に狭い競技場に見に行った。私は「当然に」、このゲームは満員になるものだろうと思って3時間ほども前に競技場に着いていた。だけどこの試合も空席が目立っていて、熱烈なサッカーファンというわけではない私も悲しく感じたな。
ところで今回の野球のストライキ。
先にも書いたように、野球は長い歴史の中で「仕組み」があまりに複雑になっていると思う。なので、チームの運営に「ファンの声」なんかが届くと思ってないし、「ストライキ」なんてものの有効性も疑問に思ってる。
だけど。その複雑な「仕組み」を単純化してしまう可能性という観点から見ればちょっと興味深い。
「合併」という「企業の判断」を認めないのなら、チームは企業が作り上げてきた「仕組み」から離脱するしかない。そこから離脱するならば「広告効果」などのザル的経済価値から離れて、「チームとして」ペイしなくちゃいけない。企業は選手に膨大な年俸を払っても、それすら「広告価値」として消化し得る。「企業」の否定はそういう「どんぶり」の否定でもある。
「チームは企業のものではない」と主張すれば、その主張により多大な痛みを自ら引き受けなければならなくなる。草チームとしても存続し得るサッカーとは異なり「プロ野球」の世界でそういう痛みを引き受け得るチームが登場する可能性はあるんだろうか。登場したとして、「プロ野球」の世界におけるそういうチームの存在意義はなんだろう?
「企業文化」に根を下ろすことで、「野球」を発展させてきたプロ野球。「合併反対」の動きは、自らの「根拠」に突きつける刃ともなりかねない。
久しぶりに(笑)家に帰ってきて「ああ、今日なんか映画でもないかな」と一応確認するのは確認した>バイオハザード。
こういう映画、見るときっとぶつぶつ文句を言いそうで、タイトルを見た瞬間に却下(笑)。実はどこかでほんの出だしだけ見たことのあるような気もしたけれど…
で、「映画は映画館がいい」の話。
考えてみると私も長いこと映画館には行ってないな。まぁそもそも「映画館」に対する思い入れは低いし。自宅で 5.1ch が見られるのであれば、映画館に出かけることによるリスク(混んでいて待たなくちゃいけないとか、周囲に不愉快な客がいるとか)と比較して、自宅で DVD を観る方を選んでしまう。
先日も日経かどこかのアンケートに回答してたんだけど、この冬映画館で観たい映画は、という設問に対し、答えられる映画がなかったよ(笑)。DVD を観るようになってから、ますます「駄作映画を観る恐怖」が強まってきた感じ。「わざわざでかけてきたのにこれかよ」という思いを持ってしまうから。
「ひきこもり」でも「おたく」でもないけれど、まあ基本的に人混みが嫌いだからなぁ<私。
テレビの映画と言えば、先日「スパイゾルゲ」を HDD レコーダーに録ってはおいたんだけどまだ観てないな。面白いのかな?
なんか五輪の話題ってぇとミーハーっぽくって躊躇われるけど(^^;。
今回の五輪、サッカーに関しては決勝トーナメントはあまり見てない(^^;。予選リーグは日本戦含めていろいろ見たんだけど…
それにしても日本とやったチーム、むちゃくちゃ強く感じました。いやまぁ、日本もそれなりの成績上げてるんだから、強いは強いんだろうけど、なんか今回の予選リーグを見てると、時代が戻ってしまったように感じたなぁ。
で、決勝トーナメントの時期には米国惨敗のバスケットの方に興味が行ってしまって…。
尚、今大会で一番たくさん見たのは(たぶん)レスリング。プロレスは大嫌いだけどレスリングは好きなんだよね。
見たくなかったのに見てしまったのはシンクロ。あまり面白くないと思ってたんだけど、ロシアの曲が途切れてしまってもしっかり演技して金、には思わずうるうると(^^;。
見たかったのに全然見られなかったのはマウンテンバイク。結局女子の試合しか見てないぞ。どんな時間帯にテレビ中継してたのかなぁ…。
と、いうわけで。
しっかり社会復帰しなくちゃですね、お互いに(^^)。