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2003年8月4日 ◆ 「1年ちょっと(笑)を振り返る」
−講義−
まずは講義の話。
今日の講義は高級だった〜。でもハッピー・マンデーの多くの生徒にとってとても有益だったと思う。F先生も復帰したから、あのレベルの講義をやって、ちょっとわからない人に対してはF先生からフォローしてけば大丈夫。質問する生徒も増えたしね!>高梨先生。
たとえば下図。白番でどこに打ちますか?
答えはA。
右下Aに白が入れば、右図のような形が想定される。一般にある三々定石。「実利」と「厚み」の分かれになるけれど…
よく見てみると、黒が形成した「厚み」は下辺に向いているけれど、下辺は白が固く地を稼いでいる場所。そんなところに厚みを向けても全く機能しない。
高梨先生曰く。「黒はこんなことになっちゃったら投了です」とのこと。三々に入るタイミングなんかの勉強にもなったよね〜
尚今日は。1ヶ月と少しぶりに弟子かおると対局。かおるの、大したことはないんだけど、師匠の琴線に触れる言葉があって、師匠から対局禁止を言い渡されていたのだ(笑)。
久しぶりに打ったかおるは、これまでの「実直な打ち回し」を、さらに確実にこなすようになっていた。こちらが緩むときちんと得をしてくる。相手が緩んだときに得をするのは当たり前に思えるかもしれないけれど、それを「完璧」にマスターすれば、ほとんど「神の一手」。ふむ。強くなってるじゃないか>かおる。
で。今日はなんとなく区切りの日だったので。私の1年を振り返ってみます。今「あれ〜、上達しない」なんて思っている人も、「あれだけ強そう(偉そう?)な奴もそんな程度の歩みだったのか」と安心してもらえるように(笑)。
■ 最初のクール(1ヶ月目〜3ヶ月目)
偉そうだけど。
私はあまり「挫折」を知らない。だから幸田露伴の「囲碁雑考」というエッセイを読んで碁を始めたときも「ま、どうせすぐに強くなるでしょ?」なんて軽いノリ。もともと本を読むのが大好きなので、とにかく碁の本は買い漁り、「序盤の打ち方はかくあらねばならない!」と勉強したな〜。そして「碁をより深く理解すれば、序盤を打っただけでもう終局図イメージなんかが浮かぶようになるんだろうな」なんてことを考えてた。
でも。現実は甘くなかったな〜。自他共に認める綺麗な序盤を打つのに、勝負になると勝てない。まあ今にして思えば。本なんて読まない人を相手に、何冊も本を読んだ人間が挑んでいるんだから、序盤の形で差が出るのは当たり前だったんですよね。でも「こんな綺麗な序盤を打つ人間が手もなく捻られるのは何かがおかしい!」。先生にもそう思われていたし、自分でもすごく悩んだ。
私の負け碁を見て、ある先生なんかは「どうしてそんなにひどくなっちゃうのか全く理解できない」なんて。そりゃそうだ。私も理解できなかったし、序盤だけ見ればもう相手が投了しても不思議じゃなかったんだから。
後で振り返れば。当時の私の碁は徹底的に戦いを排除してたな。「いつか美しさが勝つ」なんていう変な信念で、相手が攻めてくればとにかく緩んだり、他に回ったり。何度も言うけどこのクールの間、「キリ」を打つことができなかった。今では笑い話で「それでも勝つことがあったんだから、俺って天才でしょう?」なんて言うけれど、でもキリすら打たない碁は碁じゃないよね(笑)。
このクール終了時。ハッピー・マンデーでの私の級位はどのくらいだったかなあ。確か16級くらいだったと思う。それすら、先生達が私のプライドを考慮して、やや甘めに付けていたように思う。
■ 2番目のクール(4ヶ月目〜6ヶ月目)
このクール。さらに「知識」だけは詰め込んで臨んだんだけどやっぱりだめ。知識が増えていることはすごく実感できる。だからカタチ勝負ではいつも勝つ。なのに中盤以降で必ずひっくり返されてしまう。「俺、才能ないや」とそう思ってた。この頃から弟子・かおると一緒に教室に通ってたんだけど、かおるがいなければ碁をやめてたと思う。
ところがこのクールの2ヶ月目。トータルで言えば5ヶ月目に、ハンス・ピーチ先生の授業(簡単に言えば「大場より急場」という内容)できっかけを掴むや、「戦い」にも開眼して大ブレイク。ようやく知識と実際の打ち碁が連携してきた感じ。いつも負けていたゲームにも勝てるようになってきた。
ふ。やっぱり俺、天才?
そんな馬鹿なことを思ってた。棋院ウェブサイトの級位認定では満点の1級を取ったのも自信になったな。
■ 3番目のクール(7ヶ月目〜9ヶ月目)
大波小波かな。新たな弟子を獲得して、さらに「偉そう」には磨きがかかっていった(笑)。ハッピー・マンデーで負けることは基本的になくなり、みんなとは置き碁で対局するようになった。碁を始めたばかりの頃に考えていた「碁」と、この頃感じていた「碁」はなんだか別物であるような気すらするな。
この頃の目標は、シタテの人たちの疑問に「適切に回答したい」ということ。私には生半可な知識と、そしてなんとなく経験も積み重なってきた。だから勝負をすれば私が圧勝するんだけれど、でも「ここでどう打てば良かったんですか?」という質問に答えることができなかった。
お勉強でもそうだけど。「人に説明できない」うちは、自分自身でもちゃんと理解していないということ。自信は深めつつも危ういバランスの上で碁を打っていたんだろうな。
このクールから囲碁の家庭教師を付けた。また、ネット碁をするようになった。ネット碁でぼろぼろにやられたりしながら、家庭教師に「これ、なぜ負けたんでしょう?」なんて聞けるのは便利。でも当時の私のネット碁はミスの連発。「前田さん、相手のアタリを無視したりしていたらやっぱり負けますよ」。家庭教師も苦労しただろうな(笑)。
■ 4番目のクール(10ヶ月目〜12ヶ月目)
いろいろあったクールだった。「生半可な知識」+「若干の経験」+「偉そうな態度」だけで勝っていけないことにも気付かされた(笑)。ただ、棋院の段位認定では二段となり「うん、間違いなく上達はしているんだ」と。碁を始めたときの目標が「1年で初段!」だったので、それをかろうじてクリアしたカタチ。ただ「ホンモノの段位者」ではないなと感じていた。
でもこの頃になって、「俺は本当に強くなってきているぞ」という思いを持ち始める。他の生徒達の質問にもわりと的確に回答できるようになった。序盤の打ち方で苦労している生徒たちに「呟き碁」なんてものを提唱して「囲碁では初手から石の会話が始まっているんですよ」なんて(偉そうだな、やっぱり(笑))。
2003年1月に亡くなった、ハンス・ピーチ先生の追悼会をしようと話が出て、そのおかげでまた多くの碁打ちと知り合いになることができた。その方々も、偉そうな私をやや滑稽に思いながらも、それでも「みんなに碁の面白さを伝えたいんだ!」という熱意だけはホンモノと認めてくれたのか、本当に優しく指導してくれた。
ここで得た私の経験というのは、多くの人は想像だにしないような幸せな経験。そんな経験を、私はたんなる「幸運」で手に入れてしまった。もちろんそんな経験を手放したくはない。でも「苦しさ」ももちろんあった。「運だけの奴」と後ろ指指されるかなと思った。でも、「ふさわしい人間になろう!」ということをとても感じさせられた。その気持ちは弟子達にも反映して、弟子たちは本当に立派な碁打ちに成長してきている。
「運だけ」の師匠に、「努力」の弟子たち。「ふ。なかなか良いバランスじゃねーか」なんてことも思ってる(苦笑)。
だいたいこのクールの終わり頃。自分のことを「有段者です」とは言えないけれど、「初段くらい打ちます」とは言えるようになってきた。このクールを終えてしばらく経つ今も、まだ「有段者です」と名乗る自信はない。
でもこの1年の経験が、「それなり」の打ち手にはしてくれたかな。
これはダサイ感じがするからあまり言いたくないんだけど。碁を打っていると、「自分の性格からは肯んじ得ない手」を打たなくちゃならないことがある。「碁盤の中に人生を見る」なんてこと、私のような年寄りが言っちゃいけないと思ってる。年を取って碁を始めた以上、それから学ぶ碁よりも、実人生の方で多くの経験をしているべきだから。でも、碁の奥深さはどうしても感じちゃうね。
「五段以上は人非人」。そんな言葉をどこかで見たけれど、確かにそこまで強い人たちは、私などが見ているよりもはるかに多くのものを碁盤上に見てる。羨ましい。「俺には辿り着けない」とは思わないけれど、「遙かな道のりであるなあ」とは感じていた。
馬鹿なことを言って、あまりに偉そうだけど、それなりに熱心で、「碁」というものにとても興味を持っていた私。「馬鹿」とか「偉そう」には目をつぶって、私にすごく大事なことを教えてくれた方々。本当にありがとうございました。
「馬鹿」とか「偉そう」とか「キレそう」というのに堪え忍び、頑張ってきた弟子たちよ(笑)。君たちの成長は素晴らしいけれど、まだまだ先はあるぞ。ひとつくらいは「ああ、師匠さすがだな!」なんて思った言葉があっただろう(た、たぶん…)。そんな言葉の裏には、俺に優しくしてくれた何十人がいるから、君たち、頑張ってその何十人にも恩返しできるようになりなさい(笑)。
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