「読み」。
私がそうだったから言うんですが、この「読み」という言葉に騙されてしまっている人も多いんじゃないでしょうか?
「いった〜、ライト場外に消えるホームラン! どうですか、解説の五月女さん、今のはバッターの読みが完全に当たったんじゃないでしょうか?」。
私たちが最初に聞く「読み」って結構こういうケースだったりするんですよね。それで「読み」には「当たり外れ」があるんだと刷り込まれてしまう。
でもね。囲碁の読みには「当たり外れ」ってないんですよね。あるのは「読んだか、読んでないか」。私レベルだと「読みが正しかったか間違っていたか」。つまり「ちゃんと」読めば、その読みが「外れる」なんてことはあり得ない。
「当たり前じゃん、そんなの」と思ってる人は置いといて(笑)、私はこのことに気付いてから、結構強くなりましたよ〜(^^;。それまでは「う〜ん、相手、ここに打つかな? でもそうなったらだいたいこんな感じ」なんて考えて、それを「読み」だと思ってた。
実はそんなの「読み」じゃない。そんなのは「感覚」なんですよね。もちろん「感覚」で正しい手を想定することは必要なんだけど、本当はその想定した手をきちんと読まなくちゃいけない。囲碁の人たちはよく「第一感」って言葉を使いますが、まず「第一感」で「ここに置きたい!」と想定し、そしてその手の善し悪しを「読む」わけです。
囲碁の「読み」ってのは言ってみれば「虱潰し」なわけです。「え、そんな面倒くさいことやってんの?」と、最初のうちは思います。「そしたら打つ前からどういうふうになるかわかってんの? それってもしかして面白くないんじゃないですか?」。そんな風に思う人もいるかもしれない。
いやいや、そんなことはないんですよね。相手に「正着」を読まれても、その手が一番大きい。そういう手を求めていろんな変化図を読む。そういうところが碁の楽しみだったりするわけです。
「え〜と、相手がここに打ったら相手がよくなりそうだけど、たぶん相手はここに打たないな」。私はそういう「読み」を「念力」と称して多用していた時期があります(苦笑)。あるんですよね、私くらいの棋力で打っていると、相手が次にどこを打つのかが百パーセントわかるってこと。で、「どうせ相手はここに置くから他の手は読む必要がない」なんて思っちゃう。
経験者だからこそ強弁します。そんなの碁じゃない。そんな碁を打っていても強くはなりません。前から何度も書いてますが、囲碁には「相手が気付かないかもしれない手」ってのは基本的にはない。相手もこちらの思惑など全部わかってる。そういう前提でこそ、より囲碁が楽しめるんだと思ってます。
私が指導碁を打つとき、多くの人が「その手はなぜ打ったんですか?」と、私に問われていると思うんです。そう言うとき、実は私が「読んだ」最善手を打っていないからなんですね。その時に「いや、なんとなく」なんて言うとたいてい私に自分が置いた石をハガサれるでしょう(笑)。あるいは「いえ、ここが心配だったので」と言うと「心配」な変化図をやってみたりする。「ね、心配じゃないでしょう?」と結局またハガサれたりするわけですけどね(爆)。
なんだか話がずれてしまったけど(^^;、「囲碁の読みには『外れ』というものはないのだ」ということ、時々思い出して見て下さい。「詰碁」の勉強というのは、「死活」の勉強という意味よりも、より正確に、より早く、より急所の部分を読む練習をするという意味もあるんですよね。『ひと目の詰碁』が 0.1 秒で解けるようになっちゃった人も、そういう観点からもう一度問題を解いてみてください。きっと新たな段階に進化すると思いますよ(^^)。
_| ̄|○ はい、ちゃんと読みます。。。
Posted by: へぼたろ : 2004年11月15日 23:43あっはっは。偉そうだった? 本意は違うんだよ。私、本当に「野球」みたいなイメージで「読み」という語を使っていたことがあって、「そうか、囲碁における読みとは違う意味なんだ!」と気付いておでれーたもんだから…
Posted by: まえだ : 2004年11月15日 23:52