弟子や、かわいがっているシタテ(相手側にどう思われているかは不問にする(爆))のいる私です。そして私は碁を打つよりも碁を見てる方が好き。で、いろんなシタテの碁を見てます。
私の実力からして、当然見てあげられるのは級位者ってことになる。で、級位者の頃はちょっとしたきっかけで碁が強くなる(私も1週間で八子強くなったことがある)から教えるのも面白いし、またその級位者は誰でも一気に強くなる可能性があることを見損じて、すごく私に感謝してくれる(爆)。
でもそのくらいの実力の人を待ち受けている「罠」はあるんだよね。級位者の頃を覚えている人には身近な話題だと思うんだけど、碁は2級強くなったと思った瞬間に5級くらい弱くなった気がすることがある。私も何度もその大波にもてあそばれて、碁をやめようと何度も何度も思った(^^;。
そういうふうに揺り返しがあるのは、でも実は当然のことなんだよね。たとえば定石をひとつ覚えると、相手が定石を外したときにパニックになったりする。それまでは自分も気まま、相手も気ままの無手勝流で「パニック」なんて縁遠いモノだったのに、自分が定石を打ってる気がするだけに、相手をとがめなくちゃとか、この変化はどうするんだったっけと考えに考えてひどい手を打ったりする。
また碁には「絶対に打たなくちゃいけないところ」がある。「フクラミの急所」なんかが好例。私と打ってて、たとえばコバピがフクラミの急所を逃すと殴られる(笑)。殴られた痛みから、そういう急所を逃さないようになるんだけど、急所を打って「どうだ、俺が急所を先に打ったぜ!」と相手を見ると「へ? そこ急所なんですか? 別に大きくないと思いますから別に良いですよ」なんて手抜かれてしまう。「せっかく急所を打ったんだから私が良いはずなんだよ〜」とまたパニックになって後の碁がぼろぼろになったりする(笑)。
そんなこんなで、たとえばウワテに「ちょっと強くなったんじゃないですか」と言われると同時に互先の碁を落とし続けるなんてことはある。きっと誰もが通った道だと思う。
でもね。
定石を覚えることが悪いことであるはずがないし、急所を逃さず打つのは碁打ちの絶対条件なんですよ。互先の相手にせっかくの手を無視されてパニックになってしまうのは、まだその定石の意味が完全に頭に入っておらず、急所を打っても効果がないように思えるのは、その後、相手にうまく騙されてしまってるから。
強くなったと思った瞬間の不調。私はこの大きな波を四度ほど経験してきました。最初の三度はそのたびに碁をやめようと思って、いろんな人に迷惑かけ、そして慰められ、励まされてようやっと碁を続けてた。
きっと初めての大波に翻弄されて、完璧に自信をなくしちゃったりする人もいるんだろうな。覚えておいて欲しいのは、そういう大波をくぐり抜けると、格段の進歩が待ってるんですよね。くぐり抜ける前の自分と比較すればまるで別世界にいるような感覚。
私はその「突如ひらける別世界」の快感に目覚めて、この前の不調は不調そのものが楽しくてしょうがなかった。「うん、俺は不調になるたびに驚くほど強くなってきた。今でも結構強いのに、この不調をくぐり抜けるとどこまで強くなるんだろう」なんて(大笑)。
ウワテに褒められるのにどうも碁がおかしくなってしまっている人。ショックを受けないでね。そういう波は「当然」のものなんです。ウワテはおかしいと思うところはちゃんと指摘してくれるはずだし、「碁がしっかりしてきてる」なんて褒められれば、それは本当にしっかりしてきてるんです。
「なんだ、こんな不調、誰もが経験するものなのか」と軽く考え、そして日々の精進を忘れずに。そうすれば「別世界」の入り口がすぐそこに見えてくる。その扉をくぐり抜けたら「不調時に助けてくれたシショー、どうもありがとう」と感謝の念を忘れずに(笑)。