2005年04月17日

やっぱりコバピるコバピ

「コバピ」から、出世魚のように(?)「コバプ」になるかと思われたコバピ。「おお、なんか最近調子良いみたいじゃねーかよー」と九子局。コバピはやっぱりコバピった(;_;)。

コバピるコバピ棋譜を消してしまったので正確じゃないけど、問題になったのは左図のような局面。

私は下辺右方の石のアジワルもあって、中央にカベを作られたのに、左下をガメツク貪ってしまった。ふと気付くと左下に大ゲイマでカカった石のシノギがない(涙)。「ま、なんかアジツケにでもならねーかとノゾキを決めて(しまった)局面。

図は見にくいかもしれないけど、Aに継ぐよね。これ、絶対Aに継ぐよね?

私は以前ウワテの人に指導碁を打ってもらってるときに言ったことがある。「『ノゾキに継がぬバカはナシ』という格言があります。その格言を裏返しにすれば、『継がなくても良いノゾキを打つ奴はバカだ』という意味になりませんか。ましてやあなたはウワテ。ウワテの方がそんな馬鹿なノゾキを打つはずはありませんよね?」。

まあ上の言葉は半分冗談で、私もノゾキを打たれたらまず反発する手段から探しはする。でも自分の石の死活問題に発展しそうな可能性があればまずツギを打ちますね。

ところがここでコバピが打った手はB。「君さ。なぜノゾキに継がない?」と言うとだって右の石がはみ出してきてなんかやられるんじゃないかと思ったから、と。

なんかってなんだよ(苦笑)。君はいつも多子局になると、終盤の序盤あたりで、相手が「取り敢えず決めておくか」のノゾキに継がずにぼろぼろになることが多いんだよな。「だってこっちも怖いかもと思ったんだもん」と言うことが多いんだけど。

そんなときいつもコバピに言います。「こっちが怖いかな」と思って、そっちを守って、その結果君の碁が良くなったことがあるのかね?」と。「どうせ良くなってなんかないだろ。つまりどうせ読めてねーんだ。ならば君の未熟な頭で考えるより、格言にまでなってる言葉に従ってみたらどうなんだよ」と。

大人になってから碁をはじめた人なんて、どうせ囲碁を「知らない」。でも大人だから(普通は)「体系的な思考」ができる。「そんな手、普通はない」と言われれば「そうなのか。だけどなぜなんだろう?」と考えることが(たいていは)できる。

まあ指摘しなくてもいつかは覚えるって「希望」もあるんだけど、似たような棋力同士で打ってると、実はなかなかその「希望」も叶えられない。そんなときにいろんな棋書に示される「理論」がすごく助けになるのに、なぜだか「自由」の言葉にすがって棋理を軽んじる人が多いんだよなあ。もちろんそれで本人の進歩が後れるのはそれこそ「自由」なんだけど、「囲碁は二人いなくちゃ打てんのじゃよ」だから、どうしても誰かに影響を及ぼしてしまう。しばしば「悪影響」を及ぼしてしまう。

まあ私も。指導して頂いた碁で「いや、でもこっちが気になっちゃって」と言うことはあります。でもそれは「だってこうなったら君、結局ぼろぼろじゃん」とより強く言われたいから(笑)。決して「私は私なりに『思って』打ったんだから叱らないでくれ」なんて気持ちじゃない。

「思い」じゃなくて「読み」が外れるのはしょうがない。「手がある」のが見えないのは単なる(勉強を含む)経験だからしょうがない。でも、自分が学んできたことが否定してるのに、弱いモンが「思い」で間違いを打つのは避けたいよな>コバピ。

「どうしてみんな前田さんに九子で勝てるんだろ」と言ってたコバピ。「いや、それはノゾキに継ぐからじゃないか」と言われて落ち込んでたコバピ(笑)。「うまくなれない」ことに焦燥感を感じてるコバピ。

そろそろ「思ったから」とかいうエクスキューズから卒業したまえよ(^^)。

投稿者 前田博明 : 2005年04月17日 18:11 | トラックバック
コメント

それより黒に一手打たれれば全滅する中央の白のほうが気になりました。

Posted by: 高柳 : 2005年04月18日 17:21

えーと、丁寧にご覧いただきありがとうございます^^。図を読んではいないですが、中央は生きてました。不正確な図ですみません^^。

Posted by: まえだ : 2005年04月18日 17:24

はやく コバ・ぺ がみたいです。

Posted by: だるだる : 2005年04月18日 23:12

だるだるさん、ありがとうございます。出世魚のように早くコバ・ぺになれるよう頑張ります。

Posted by: こばぴ : 2005年04月19日 11:30
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