ちょっと記事投稿の頻度が変になってますが、今回取り上げる棋譜は巻幡「新初段」。相手は大矢浩一八段(当時)です(棋譜ダウンロード)。
この碁は結構面白かったですよ。僭越ながら言えば、私などがプロ棋士に指導碁を打ってもらってる感じ(もちろん私の場合は石をおかせてもらうわけですがね)。黒が頑張って頑張りまくるのに、白に「そんなに頑張った価値がありましたか?」と問われるんですよね。私はそういうとき「先生、この黒バカですか」とぼやいてしまいます^^。
黒4までは「懐かしい」臭いのする四連星。こういう懐かしさを感じると、私は Billy Joel の Everybody Has A Dream を口ずさんでしまうんです^^。
白16はまあ方向から見ても「この一手」って感じですか? とか言いつつ私は、つい手拍子で E7 なんかを打ってしまう。E7 を打つとき、打たないときってのは意外に難しい問題ですよね。白から E7 に打って黒が受けないとき、どのタイミングで C7 の権利を行使するのかも私なんかにゃあわからない。
で、白 16 で左辺を打っていないので黒19は打ってみたくなる場所。うまくすれば「壁攻め」になりそうな感じですよね。ただ私はここを「打ってみたいな」とは思うけど自重するところ^^。だって面倒くさいのが嫌いなんだもん^^。
白20は当たり前の手だけど、まさに「このタイミングだ!」という好例か。それとのコンビネーションで白30。「あんた、カベを作ったけど、その努力に見合う成果が得られているかねえ?」という問いかけ。こういう陰険な手を打てるようになるのが「強くなる」ということなんですよね(大笑)。
そして。私のような面倒くさがりからすると最高に「疑問」(いや、私が偉そうなのはいつものこと(爆))なのは黒35。黒35を打ってもさあ、右辺の白は三々の権利を留保してるしあまり意味があるように思えない。むしろ白36と詰められて、黒ばかり忙しい気がしてしまう。私は黒35、絶対に打ちません。「どうしても上辺を打つとしたらどこに打つ?」と尋ねられればJ16に打ちますね。
黒37は、一見「調子」に見えるけど、そんなもん打ちたくない手。この手によって得るモノがないんだもの。
黒41もまた「若さの力」を、(ヘボな)私は感じてしまいます。黒43までとなって、確かに白を攻めてるんだけど、いろんなアジが残りすぎていて、後で面倒くさくなるのはあまりに明白。ウワテを怖がる私には五万年かかっても、否、五劫の時を過ごしても決して打てるようにならないでしょう^^。
白44。これは白が苦笑しながら打った手かもしれません(私はウワテにしばしば苦笑されます^^)。黒45は当然だけど、白46で黒は壊滅的なダメージを受けるんですよね。「え、そんなにひどくなるの? その嘘ほんと?」って感じ。幸いにプロ棋士と打ってもらう機会が少なくはない私。白50の逃げ出しを見た時点で投了してしまうかもしれません。
黒57は、私も打ちそうな手。だから巻幡先生に失礼ながら、私の気持ちで推し量ると「なんとか利かし一本で調子を掴みたい」と考えて打つ手。ところが白58を見たら「利かし」どころか、相手の反発一本でまいってることに気付く。うん、ウワテと碁を打つとこういうことが本当によくあります(苦笑)。白62までとなって「私はいったい何をしているんだろう?」と悲しくなってしまいます。
黒63からは最後の勝負を求めてのところ。この勝負、白は受けないかと思ってたんですが、受けるのがまた新初段シリーズらしい。
黒67までとなって。私はとある人並み外れたアマ高段者に尋ねてみました。「さて、ここから白36をどのようにしのぐでしょうか?」。アマ高段者の回答は「え、シノグんですか?」(笑)。ここまでの図を見て「明らかに白モチです」というアマ高段者。「これ、シノがなくちゃいけないんですか^^?」と。
そう、白は白36なんてシノグ必要はないかもしれない。でもさすがは新初段シリーズ。大矢八段(当時)はこの白を見事シノギきり、そして全局に渡って黒の打った手に対して「意味がありましたか?」と問いかけ、黒投了に導いたのでした。
尚、この碁に関しては、そのうちに巻幡先生ご本人に確認してみようと思います(^^)。「相手の手の意味をなくしてしまう」という、まさに碁の本質である「陰険さ」を、大矢八段(当時)が見事に発揮した一局だったと思います(^^)。
投稿者 前田博明 : 2005年05月26日 00:21 | トラックバック