2002年10月28日

「死活」 −講義−

本日の講義は死活。囲碁は「二眼」のない石は死に石となる。すなわち相手に取られてしまう。「二眼」を理解するのに知っているべきことは、「相手の石を囲めば取ることができる」というルールと、「着手禁止点」というルール。

詳細な説明は入門書などに譲るが、「二眼」あれば「着手禁止点」の関係で相手の石を囲むことができなくなる。すなわちその石は「生きる」ことができるわけだ。

こう書くと死活は単純に見えるかもしれないが、白、黒の形が変わってくることでとてつもなく複雑になる。複雑になってくると「ホウリコミ」や「ウッテガエシ」などのテクニカル・タームも関連してくる。書店で売られている「詰め碁」の書籍は、この死活に関わる問題を集めたものだ。

弟子は今、私と十九路盤四子局(弟子がハンデとして最初から4つの石を置く)で打っているが、せっかく置いた石をいじめられて取られてしまうことも多い。そのせいで死活に自信を失い、必要以上に守ってみたり、見当はずれなところを守っている様子。死活は勉強して覚えることもできるが、まあ「慣れ」。もう少しすれば「なんとなく形が悪いみたい」とわかるようになるはずだ。

弟子の話が出たついで。

やはり弟子は十九路の広さに呆然としているようだ。昨日は弟子とほぼ同じ実力の人と対局していたが、「隅を守りたい」という気持ちと「でも隅に封鎖されてしまっては勝ちがない」という両方の気持ちのせいで、守るでもなく攻めるでもなく、大量の団子石(意味なくかたまってしまった石をダンゴと呼ぶ)を作ってしまっていた。双方ともに相手の石を十数個取っての乱戦になっていた。

まあ弟子の不調(と、いうほどでもないが)は私の責任が大きい。このところ不調だったせいで、弟子との対局では本当に「イヂワル」な手筋を多用していた。おかげで師匠の私はこれまで苦手だった「戦い」に慣れてきたが、弟子は「いぢめる?」と「ぼのぼの」のように臆病になってしまった。しばらくは置石なしの指導碁を打って、きちんとした手筋を覚えさせてやることにしよう。

ところで。

昨日の私はまたずいぶん若い少年との対局。たいていの場合、少年たちは「結構マジ」に碁を打っている。「やがてはプロに」と考えている少年もいる。そんな少年たちと打つと、こちらが妙な手を打ってつまらない思いをさせてしまうのではないかという緊張感がある。もともとうまい碁ではないが、その緊張感のせいで余計に変な手を打ってしまうこともあるわけだ(負け惜しみかな)。

それでも。

昨今の絶不調から見ると、この日の対局は自分なりに納得する碁を打つことができた。一箇所、ウッテガエシにて相手の石を取れる形になったところもあった。そんな形の手ができただけで「ほのぼの〜」と嬉しくなってしまった(苦笑)。結果は20目くらいの差で負けたものの、復活の兆しを感じる碁ではあった。

それもこれも。

苦手だった「攻め」の碁を覚えさせてくれた弟子のおかげ。君はいじめられてばかりでつまらなかったかもしれないが、おかげで師匠は一皮向けた。ありがとう!>弟子。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2002年10月21日

「三連星」 −講義−

いつもは不調になると、『よくわかる囲碁 序盤の打ち方』(小川誠子・新星出版社)を読んで復活する。この本、日本棋院で購入したのだが、最初に読んだときにも「わかりやすくて良い本だ」と思った。そして「地」と「勢力」のバランスで悩み、わけがわかんなくなったときに読み直して調子を取り戻すこともできる。

しかし。今回はこの本の効き目も及ばなかった。相当な不調だったのかもしれない。まあ、不調というよりも「本当の実力」が付いていないというだけのことなんだけれども。

それで今回。ずっと前に購入していながら読むのを躊躇っていた『システム布石 三連星』(武宮正樹・誠文堂新光社)をぱらぱらと繰ってみた。読むのを躊躇っていたのは武宮氏が嫌いとかではなく、私の実力からして「三連星」とかなんとか、そういうシステムを採用するのは尚早だろうと思っているから。

今回も「三連星」を「マスターしよう」と思ってのことではなく、なんとなく今回の不調を打開しようとしてのこと。

効果覿面だった。何度も話しに出る「手談囲碁」にも連勝。ハッピーマンデーの対局でもまずまずの手ごたえを感じることができた。

弟子。

弟子は今日も連勝記録を伸ばしていたそうだ。先生方も「いやいや強いんじゃないですか」と。う〜む。このままではいけない(何が?)。取り敢えず自分の対局を終えて弟子の対局を見る。確かに打ち筋はかなり良くなっている様子。私が見ている対局も、しっかり守備に気をつければそのまま弟子の勝利となりそうだった。

そこで(と、いうわけでもないが)。対局者の方に「ここは三々に入ってみては?」なんてアドバイス(真剣な対局、というよりも「授業」なのでそういうのもアリなのだ)。まぁここに入っても弟子の勝利は揺らぎそうになかった。が、ちょっと弟子の守備が乱れた。「どうです、こちらからアテてみては?」。

それで弟子が負けの形となってしまった。すまん>弟子。別に負けさせようとしたわけじゃないんだ…(信じてくれ)。

まあとにもかくにも。弟子の棋力は間違いなくアップしている。授業では「カケツギ」と「空き三角」を習ったとのこと。こういうところから、「石の働き」をマスターしていくことになるのだろう。十九路盤も近いぞ!>弟子。十三路でも、今私と対局する時は二子置いているけれど、今日からは黒番(石は置かず、でもコミ出しなし)ということにしてみようか。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2002年10月16日

「絶不調!」 −フリー対局−

弟子は絶好調だ。十三路盤で五連勝とのこと。ふ。でもまだ二子置かせて師匠の私が勝つ(でも私は囲碁教室での五連勝の経験はないように思う)。ちょっと成長の速度が速すぎるようなので、しばらくはインチキでも教えようか。「地よりも勢力だよ。三線の二間飛びで陣地確保なんてインケンなことをやってるんじゃない!」なんて…

一方の私。絶不調であった。ようやく勝てるようになってきた「手段対局」に連戦連敗。しかもときに40目差の惨敗を喫する。

実はこの不調。前にも経験がある。何度も書いているけれど、囲碁は「地」を競うゲーム。とは言っても三線のあたりでひたすら手堅くやっていると、いつの間にか中央が全部相手の地となり負けてしまう。そこで必要なのが「戦い」だ。

とりあえず。囲碁の面では「平和主義者」な私は、基本的に必要最小限の「戦い」しかしないで済むように、陰険に、もとい、じっくりと地を囲っていく。しかしそれで勝てない状況になると徐々に戦いも出て行かざるを得なくなる。そして「戦い」で勝てるようになると「地」と「戦い」のバランスを見失ってしまう。

結局水曜日のフリー対局にもこの絶不調のまま臨み1勝1敗。相手の三々に入った石が偶然に死んでしまって、そのおかげでなんとか勝ちを拾った。

さて、この地とバランス。前回棋院に通っているころも同じようなところで躓いた。今回はこの壁を突破できるかどうか。まぁ、これは「壁」というよりも、まさに囲碁の本質の部分なので突破しないことには「囲碁好き」を名乗る資格すら失ってしまいそうだけれども…

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2002年10月14日

「9歳に連敗」 −講義−

祝日にも関わらずハッピー・マンデー。本日の講義は石の「アテ」方。初心者向けの問題と、それからちょっと難しめの問題。こういう問題というのは、最初は全くわからない。次に「問題」として出されれば分かるようになってくるけれど、実戦で見極められるようになるまでは長い時間がかかる。残念ながら私も数多くの見落とし・筋間違いを犯し続けている。

で、講義の後は対局。私の対局話の前に弟子の対局。あまり観ることはできなかったのだが、今日は2連勝(十三路盤)だったとのこと。2局目の終わり間近を観たけれど、どうも相手の死に石を生きていると勘違いしている様子。打ち筋によっては、相手に生きられるのみならず、自分の石も大量に死んでしまうところ。どう打つのかじっと見守る。

ただ、戦いはそこで展開されることはなく、相手の地の中の三々に入り込んでいった。三々に目をつけるくらいの実力にはなったのだなぁ…(私は1ヶ月かかった(苦笑))。

弟子の三々入り右図、弟子は白番。三々に入った白を活かすのが嫌で黒が切ってきた。しかし、相手の石のない場所での三々入りは「必ず」生きることができる(手筋に間違えがなければ)。切るのは無謀だった。

で、図まで、一応弟子の打ち筋に間違いはない。しかしここで弟子は黒石を取ってしまった。ここの黒石はもう百パーセント死に。白は黒を取るのではなく、右から2列目、下から3行目あたりの場所に石を置いて、二眼を作りにいくべきだった。おかげで白は死ぬ形となってしまったが、なんとか相手のミスで二眼作ることができて生き。

この「百パーセント死んでいる」をマスターするのにも少々時間がかかると思うが、良い勉強になる碁だったのではないだろうか。そもそも三々に生きる道があると判断できる時点で同時期の私より上だ。「無駄な手」を打たず、他に回ることができるようになれば棋力は大きく伸びる(まぁ、それが難しいのだが)。

尚、相手の死に石を生きていると勘違いしていた件だが、ちょうど三々の争いが終わる頃に先生がやってきて、「あぁ、そこで終局ですね。その石、生きられなかったのは痛かったですね」とおっしゃった。この言葉で弟子の大怪我は未然に防止された。下手な手を打って自分の石を取られなくて良かったな>弟子。


さて、私の対局。9歳で棋歴一年の子供との対局。互い先(ハンディなし)で打ったが、1局目は惨敗。彼の打つ速度と見掛けの幼さにおろおろしてしまった(いや、言い訳じゃなくて…)。

二局目がほぼ双方の実力が出ただろうか。9歳の子の16目半勝ち(コミ5目半)。二局目はわりに良い感じに打てて、結構大きな地を囲えた。しかしそれで満足してしまって、相手が自陣に入ってくることを想定していなかった。そこであらされての敗北。うん、良い勉強になった(いや、負け惜しみじゃなくて…)。

それにしても。自分の四分の一の年齢の子に負けるのは面白い。もともと英国の「クラブ」システム(ラグビーやサッカーなどの)にあこがれる私。子供と大人が交じり合い、競技の力のみならず、いろんな面で相手に自分を認めてもらうというのは教育的見地(くさいかな)からも好ましいと思うのだ。

今日対局した子は、勝って驕らず対局相手を認める目を持つ良い子だった。そういう子を見ると嬉しくなる。


尚、ハッピーマンデーの後、会社に戻って弟子と一局。弟子は今日二連勝で私は二連敗。バランスを取っておかないと馬鹿にされるかと思ったので、「ハメ手」も使って徹底的にやっつけた(笑)。弟子よ、師に対する尊敬を忘れるでないぞ。
投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2002年10月09日

「女の戦い!」 −フリー対局−

毎週水曜日は「フリー対局」。1月〜3月まで受講した際には、ハッピーマンデーよりワンランク上のクラスの人も参加して、講師の方が実力的に適当な組合せを決めて対局していた。今日、別のクラスの人がいたのかどうかはわからない。

で、戦い。3局打ってなんとか3局勝つことができたが、気付いたことがある。それは…

女性は戦いが好き!

ということ。

「切り」の例囲碁で言う「戦い」とは、囲まれかけた相手の地(陣地)に入り込んでいったり、相手の連絡の悪いところを切っていくことを言う。右図で印のついている黒石が、今白の連絡の弱いところを「切って」いったところ。

切ると相手の石の連絡を絶って攻撃ことができるが、自分の石も攻められやすくなる。だから私の場合は「無理かもな」と思うと切らない(これはこれで悪いこと。ちゃんと計算して切ることができるようにならないと強くなれない)。一方、少ないながらの個人的経験で言うと、女性には「切り」が好きな人が多い。「よし、この布石はうまくいったぞ」と思っていても、あちこちから入る切りに対処しているうち、いつの間にか地が足りなくなることがある。

講師の人にこの話をすると、「プロでも女性はよく切りを入れますよ」ということだったので、調べれば面白い理由が出てくるのかもしれない。

尚、弟子(会社の部下)の方は、今日から十三路盤に移ったそうだ。日ごろの特訓(?)の成果あって、トビやケイマはわりと打てるようになった様子。しかしナチュラルにぼけているせいか、相手にアテられても見逃すことが多く、せっかくの布石が機能しない。まあアタリなどは慣れてくればわかること。キレイな布石をマスターすれば、そのうちに強くなる、、、のではないかと思ってる。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2002年10月07日

「復活の日」 −講義−

2001年12月。幸田露伴の「囲碁雑考」という文書を読み考えた。「俺、もしかすると、日本人として大事なことを忘れているんじゃなかろうか」。それで。碁を、始めた。

昔から熱しやすい性格は変わらない。即座に囲碁の本を十数冊買い込み、碁盤・碁石を購入し、パソコン用のフリーウェアをダウンロード。そしてすぐにフリーウェアでは物足りなくなり、シェアウェア、製品パッケージも購入。当時使っていた Palm にも囲碁ソフトを入れて電車の中でやっていた。

そんな中、日本棋院市ヶ谷会館(本院)で開催されている「ハッピーマンデー囲碁教室」という教室にも通い始めた。ちょうど「ヒカルの碁」ブームもあって、子供・女性を含め大盛況。3ヶ月を無事修了したのだった。

それから。いろいろあった。いろいろあって、ハッピーマンデー囲碁教室再入学。

初日。

「ヒカルの碁」以来の碁人気は衰えず、ハッピーマンデーは大盛況。なんとこの日は以前使っていた教室ではなく、大広間のようなところで開催された。ちらほらと見知った顔もいる。1月のコースからずっと通い続けている人もいるみたい。

講師も変わらずにハンス・ピーチ四段(ドイツ人)。私の通い始めた頃は長髪。いつの間にかボウズになり、今日会ったらパーマ頭になっていた。彼のファンだから講習に通い続けたいなんて言っていた女の子もいたな…。ちなみに彼もチャリンカー(自転車乗り)で、以前新宿を颯爽と走っている姿を見かけたこともある。

さて講義内容。前半講義で後半が生徒同士の対局というスタンスも変わらず。

講義の冒頭に、ある程度の経験を持つ人と、素人組に分ける。経験者は、受講者が以前残した棋譜を参考に、クイズ形式による検討。初心者クラスは九路盤を使って、基本ルール(「着手禁止点」など)のお勉強。そして講義の後に経験者は十九路、初心者は9路を使って対局開始。

私の対局組合せが決まるまで。部下の九路盤対決を見ていた。部下はハッピーマンデー講座に入る直前に私から1日だけの囲碁講義を受けている。相手の方は、本を読んだりはしていたけれど、人と打つのは初めてという方だったらしい。

見ていて。

面白い。

九路盤だから、さほど考える余地もないようなものだが、お互いに必死に知恵を絞る。そして知恵を絞りながらも自分のアタリ、相手のアタリを見逃してしまう。。。そう。囲碁は最初はそのようなゲーム。「気づくか気づかないか」がハラハラドキドキで面白い。トランプのババ抜きをしながら「ババを引いてくれ!」なんて思うときに似ている。

もちろん。囲碁の魅力はそこに留まらず、「気づく気づかない」を卒業した先にさらに面白さが見えてくる。私自身。九路盤で打ち始めた頃には、囲碁本来の魅力からは離れたところにいるのを知りながら、それでも面白く対局したものだった。

そうこうするうちに私の番。経験者ということで十九路を打つ。人と打つのはすごく久しぶりでやや緊張しつつ、とりあえずコミが出るか出ないかという結果だった。前日に布石に関する本をちらちら眺めていたこともあって、わりと綺麗な布石が打てたんじゃないかな。ただ、平和を愛する性格のせいで(?)、中盤が弱く大幅に陣地を奪われてしまった。来週までに中盤の戦い方の本でも読むとしよう。

講座が始まって。裏が十三路盤で表が九路盤になっている碁盤を買った。部下を相手に九路盤の「指導碁」なんて偉そうなことをして水曜日の対局に備えている。

ちなみに今日。囲碁を覚えて3日目の部下に九路盤で負けた。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック