2002年11月20日

「嵌め手」 −フリー対局−

フリー対局の日。本日は参加者やや少なく、弟子と四子局で打っていた。そこに、弟子の相手として適当な相手がやってきたので観戦に回る。いろんな人の手を見ているうちに手空きになった人が出たのでその人と対局。

相手の方は弟子よりやや上手の人。ちょっと相手の石音に反応しすぎるところがあるけれど、まあ悪い打ち手じゃない。で、はじめようとするとおもむろに石を置く。「え、置き碁ですか?」。「ええ、三子局で」。ふ〜む、本当の実力で言えば三子も離れてないと思うんだけれども。二子でならちゃんとした碁での勝負で良いところか。三子置かせるとこちらはやや相手を驚かせる手で応ぜざるを得なくなる…

結局「じゃんけん」で彼女が勝ち三子局。いくつか石を交換したところで、やはり嵌め手を打たねば勝負になるまいと判断。強くなってきた弟子を相手に嵌め手は鍛えているので(笑)、私の得意とするところだ(苦笑)。

で、結局。嵌め手に見事なまでにはまる彼女を前に完勝。後半は完全に自分の応手に自信をなくした彼女。完全に無理な挟みツケの連打に手もなく隅を奪われた。

「私、騙されてます? ねぇ、騙されてます?」。そう、騙されてる。でも碁の打ち方を知ってる人に三子置かせると、私レベルだと嵌め手で応じないと勝負にならない。「ええ、あそこの手は下がってるだけで完全にあなたの地にすることができたんですけどね」、と私。

「そっか〜。やっぱ社長なんかやってる人は人を騙せないとだめか」。

あっはっは。それはねーだろって。

ひとまず休憩して今度は四子局。まずは右下の攻防となり、私は嵌め手の上を行く無理手で攻める。前局で私に騙されまくった彼女は混乱の極み。石の形を見て「なんだか変だな?」と思ってはいるらしいけれど、なんとなく私の悪手が「手」に見えてしまうらしい。かわいそうに彼女は種石となる三子を囲まれ、結局五子にして取られてしまった。

通りかかった講師の方に彼女は聞く。「ここからどうすれば良いんですか?」。講師の方曰く「え、そこの石、取られてしまったんですか?」。「そうなんです。だからどうするのが最善なんですか!」。講師の方は冷たく言い放つ。

「投了でしょう」。

かわいそうにそこで彼女は投了となった。四子置いた左辺の二子は、近くに石を打たれることもなかった。

彼女もたまにこのページを見てくれるそうだから書いておく。昨日の「碁」で自信をなくす必要は全くない。嵌め手には正しく応じれば絶対に自分が勝てるはず。だから普通の対局ではあんなつまらない「嵌め手」を打たれることなどないはずなんだ。「嵌め手」は打つ側が馬鹿。それに応じられないからといって、囲碁の力が劣っているということにはならない。

まあ昨日の対局から学ぶことがあるとするならば、「嵌め手には必ず無理な形がある」ということ。昨日私が繰り出したさまざまな悪形を覚えておいて、その無理を咎める勉強はすればいいだろう。それにより中盤の紛れにも強くなるはずだ。

参考までに言っておくと、昨日彼女が最初に対戦した相手(中学生)は私より数段上手。彼女は二子置いて一応最後まで打ち切ったらしい。で、その相手に私は二子置いて負ける(彼が気を抜けば勝つ(笑))。「ちゃんとした碁」を打てば、そのくらいに勝負にはなるはずなのだ。私に四子置いて負けたということは、それは私の手がほとんど全て「嵌め手」で構成されていたということ。

あくまでも「ゲーム」として打った碁だったので、あんなことで自信をなくしたりしないで欲しい。

弟子。

以前、弟子が二子置かせて勝負した相手との再戦だった。中盤を見ると、弟子の大石がほぼ死んでいる。「どうしたんだ」と問えば、なんとなく相手のキリに応じているうちにそんな形になってしまったらしい。完敗の情勢だ。ただ、望みは弟子の死に石を復活させる手筋が残っていること。「打ち込み」が必要なので、おそらく気付きにくいところなんだが、「やってみよー」なんて偶然そこに打ち込めば弟子の圧勝となる。

結局。弟子はやはりその「打ち込み」の筋には気付けず、自分の石は死んでしまった。ただなんとなく「その辺り」には拘っていた様子が見えた。すなわち「この形は何か手がありそう」なんて思ったのかもしれない。そういう感覚が非常に大事。「手がありそう」な形に拘っているうちにいろいろとわかってくる。

ただ、そこの大石の復活がなければ相手の完勝と見えた勝負も終わってみれば六目程度の差だったらしい。どうやら弟子がキリ進むうちに隅への侵入を許してしまったらしい。もしかして弟子も師匠に似て「嵌め手」を操るようになったのか(笑)?

弟子の対局相手の方は終局後、講師の方に「私の級位、上がりませんか?」と問う。講師の方の見立てでは、相手の方は厳し目に見て19級くらいらしい。と、いうことは弟子は16〜17級? 強くなったじゃないか>弟子。そのうちに私の「嵌め手」をびしびしと咎めてみてくれ。

投稿者 前田博明 : 2002年11月20日 23:00 | トラックバック