今日のメインイヴェントは9歳の子との対戦。10月14日の日記にもかいた「S」君。棋歴1年ほどの小学生だ。10月14日の対戦では2連敗した。とにかくかわいい彼の外見と(本当にかわいいんだ、これが)、打ち込む速度に圧倒されての敗戦だった。
で。ハッピーマンデーの先生たちの見立てによれば、私とこの子の棋力はさほどかわらないとのこと。「先生たち、なんで俺をかいかぶってんのかな。年寄りだからかな」と思いつつ、先日彼と再戦の機会があった。
その時の彼。20手目くらいの序盤に「天元だっ」の掛け声とともに天元に打ち込んだ。隣で見ていた先生が「それはないな〜」と言っていたのを聞いて、「と、いうことは私にチャンスがあるに違いない」と、積極的にS君の石を攻めていった。結局は彼の天元打ちが敗着となり私の完勝。
まあ彼の「天元打ち」はまあ遊びの手。私をくみし易しと見て天元打ちを敢行したんだろう。彼の考えよりも私が少々マシな打ち手であったということかなと、そのときは感じた。
そして。本日このS君と再戦。今日の彼はなんだかクリスマスファッションでかわいい(ん?なんか女子高生の日記ウェブみたいな文句だな(苦笑))。「かわいいなぁ」と思いつつ序盤の交換。序盤では私の石がうまく機能していたのだけれど、右下の攻防で一手の間違いを彼が徹底的についてくる。そう、とてもかわいい彼なんだけど、自分の弱点を攻められたときの応手や、相手の弱点を見極める眼力は鋭い。
「S君。相手の一手のミスをそんなに攻め立てちゃかわいそうじゃないか」と情に訴えてみる。彼はかわいらしく「えへへ」と。しかし彼の攻めは緩まない。
情に訴えても駄目だったので、しかたなく守る。布石で築いた私の優勢はあっという間に消えた。中央での戦いでは彼に利があると思う。「もうやることないな〜。こまったよ、S君」とまだ情に訴えてみたりもするんだけどきいてくれない。
ふと。右上を見ると、彼の二つの拠点を同時に攻める手筋が見える。どちらかを絡めトル手筋は見つからないけれど、しかし優勢を完全に崩された私の着手はそこしかない。「おりゃ」と打ち込み。「えへへ」と彼が受ける。うむ。私の決意の一着も彼に軽くかわされるんだろうかと感じる。しかしもうここしかない。攻めを続ける。
と、彼がひとこと。「えへへ。死んじゃった」。満面の笑顔。うう、なんてかわいいんだ。
死んだ彼の石はそれなりの大石。あとは彼の利のある中央での戦いをなんとなくかわして終局。20目ほどの差で私の勝利となった。
これで通算成績は2勝2敗なれど、私の2連勝。
「S君、ぼくもちょっとは強くなったかな」。
「まえださん強いよ。負けてばかりだ」。
よしっ! 彼の記憶の中では「前田さんは強い」ということが焼きついたらしい。ともに石を片付けて「ありがとうございました」。そう、彼はかわいいだけじゃなく、ちゃんとご両親に躾けられていてとても礼儀正しい。まさにオヤジキラー(爆)。まだ時間もあるからもう1局打っても良かったんだけど、勝ちの思い出を大事にしたいじゃないか(苦笑)。
で、かわいい男の子の次は美しい女性と対局。私が絶不調の頃に対局して負けてしまった女性。打ってみると、やはり現時点では私の棋力が大いに勝っている様子だった。当時の不調の深さを思い知るとともに、自分の進歩が嬉しくなった。
私も先生方も彼女にいろんなアドバイスをしているうちに時間となり内掛け。最後はコウ争いをしているうちに、別の箇所にコウ含みのセキができるという面白い展開だった。本当はそんな手はいやで、相手とフリカワってしまおうと思ったんだけど、先生方が「それじゃあつまらないでしょう」と。
根が関西人の私はギャラリーの期待に応じてコウ含みのセキへと進む。そしてコウ立てに選んだ私の手を見て先生方。「妖しい!」。「なんだか相手の時計を進める手ですね!」。
ふむ。ギャラリーにも喜んでもらえたようで、良かった良かった(笑)。
弟子。
今日の弟子は、私の絶不調と、その後の大躍進を生むきっかけとなった女性との対戦。とにかく攻撃が好きで、当時の私は布石で圧倒しながらも、彼女の攻撃によりボロボロとなってしまった。当時の私はキリすら打てないタイプだった。そんな私の石を縦横無尽にキリ進み、私を混迷の底に落としこんだのだった。
最初は弟子が先番で圧勝。次には弟子が後番で完敗。まあ相手の打ち筋に驚いてしまった(この弟子はとにかくよくいろんなことに驚くのだ)のが敗因だろう。もうちょっといろんな人との対局を重ね、自分の打ち筋に自信を持つようになれば勝てるはず。
弟子はいつも私にビシビシと切られているので、切り自体には驚かなかったようだが、執拗な攻撃に驚いてしまったようだ。なんでもそうだけれど、攻撃は不発に終わってしまえば後に繕いようのない弱点が残る。相手の攻撃を軽く受け流し、その後の相手の弱点を突けるようになればたいしたものなんだがな>弟子。
弟子2。
弟子2は、上に書いた弟子の対戦相手とお友達。よく一緒に打っているんだけど、今日も二人で打っていた。見ていると、相手の攻撃にひたすら受けまくっていた。「なぜそんなに受けまくるの?」と問えば「昔、相手の手を無視したら囲碁は対話なんだから受けてくれないと寂しいって言われたから」なんて。
まあそれはそうだ(苦笑)。それに相手の攻撃は受けなければ自分の陣形がなくなってしまう。しかし。受けながらも、相手の応手を求め、それにより自分が先手になるというポイントを探す努力を怠ってはいけない。最初のうちは気付きにくいのだが、囲碁における先手・後手というのはとにかく大きい。一箇所先手を取り損ねただけで勝勢が敗勢に変わってしまうこともある。
単純な受けはできるのだから、間違っているわけじゃない>弟子2。しかし、あくまで順番に打っているわけなんだから、間違ってない、だけじゃ勝ちにもっていけないんだ。守勢のときこそ攻勢に出るポイントを探すようにしてみよう。
講義は「ノゾキ」。
相手のイッケントビ(一間飛び)や断点を「次にキリますからね」と置く手を言う。「ノゾキに継がぬ馬鹿はなし」だかなんだかという格言があるそうで、一般的にはのぞかれた場所を繋ぐことになる。
で、対戦。と、いうか今日は手空きだった。いろんな人の手を見て回った。
見ていて思ったのは、序盤の石のやり取りを見て形勢判断ができるようになったということ。少なくとも私にとって、碁の形成を見るのは難しいことだった。自分で打っているときにも自分が勝っているのか負けているのか判断できない。それで単純に地になりそうなところを地にしているうちに負けることもあった。
しかし最近になって、ようやく黒と白のどちらが勝っているのかが判断できるようになった(もちろん数目差の細かいところはわからない)。形勢判断ができることで、無理をしても攻めるべきなのか、安心して守っておけば良いのかを判断することができる。おかげでせっかく勝っている勝負を自分の無理手で壊してしまうようなことはなくなった。
そうこうするうちに、先生に指導碁をしてもらっていた初心者の男の子が勝負を挑んできた。先日二子局で80目程度の差をつけて勝った相手だ(もちろんそんなに差のつく相手に対し、真剣に勝ちに行くのは大人気ないがいろいろ事情があるのだ)。
「やりましょう」と言ってくるので勝負を受ける。横から知り合いの女性が「四子局くらい?」と言うも、相手の男の子は「いや互いでいいですよ」なんてことを言う。このひとことにより本日も私の大勝が決定した(笑)。結局は百何十目差で私の勝ち(苦笑)。相手の地を埋めても膨大にあるアゲハマを数えるのはやめておいた。
彼の悪いところ。今日は何を思ったか、隅に先着せずにカカリを打ってきた。私が一応受けてもまだ隅に先着しない。なので私が3隅を占めることになった。
また、形勢が固まったのちに隅の地を求めて入り込んでくる。こちらが応じなければならないところならまだしも、一切応じる必要のないところに入ってくる。彼はただただこちらのアゲハマを増やしているだけだった。
囲碁の勝負。「一に空隅、二にカカリ。三に辺への展開」。これはよほどの実力差があるのでない限り、否定しようのない棋理。だから下手は上手に対して隅に石を置いて勝負する。非常な上手は目ハズシを打ったり、隅に先着せずにカカリを打つこともあるけれど、それは素人にはうかがい知れないヨミがあるからだ。そういう形をまねてもしょうがない。
さらに彼は。未だ囲碁のことを「気付く・気付かないのゲーム」と思っている雰囲気がある。石が込み合ってきたとき、既に死んでいる石の近くに手を入れ、こちらが気付かなければ大復活に繋がるような手を連打していた。もちろんこちらは気付く。前にも書いたように思うけれど、囲碁を「気付く・気付かないのゲーム」と思っているうちは強くなれない。また囲碁の面白さもわからない。さらには対局相手にも「潔さのない奴」と思われてしまう。注意して欲しいと思うところだ。
その後。最近弟子二号(?)となった女性と二子局。最初、彼女がなんだか変な手を打ってくるのでそれに応じていると、自分の手もすごく気持ち悪い手になった。ひと隅にやけに石が密集している。一応攻め合いには勝てそうな展開だったけれど、人に見られたくない。どうしようかと思っていたら彼女も気持ち悪くなったのか「最初からやりなおしさせてください」。
望むところなので最初からやり直し。
で。この二局目は最後まで打ち切ることができた。結局は私の大勝になってしまったけれど、あまりに明白な彼女の弱点がいくつか明らかになったので指摘しておいた。
たとえば「自分の模様を平気で無視する」ところ。「模様」は「地」ではない。だから模様をひたすら守ろうとするのは間違い。しかし模様を作ったのであれば、その模様を活用して「地」を作らないと打った手がもったいない。すなわち、模様に入り込んできた相手を攻め立てることで、自らの地を固める。それが通例だ。
しかし彼女の場合は模様に入られると別の場所に模様を作りに行く。模様を作ってもそれを活かさなければ結局は単なる棒石が縦横に延びているだけ(ひどい場合には全部死に)になる。私も一時この勘違いにはまっていたのだけれど、囲碁はあくまでも「地」を取る勝負。自分の石がたくさん伸びていても、それが「地」になっていなければ負けるのだ。
あるいは。これは伝えなかったのだけれど、「行きがけの駄賃」の手が多いようにも思う。アタリにできるときにはアタリにしてしまう。伸びることができるときには伸びきってしまう。そう、上手の人なら「味消し」と呼ぶような手筋。
モノの本によれば「必要のない手は全て悪手」。すなわち「行きがけの駄賃」のつもりで狙いなく打つのは良くない。直接的に良くない結果を招くのではないかもしれないが、将来に存在したかもしれない素晴らしい狙いが消えてしまう。それを上手たちは「味消し」と呼ぶのだ。
もちろん。この「必要のない手」を完璧に見極めることができれば、それはかなりの上手なんだろう。最初のうちは「相手が無視しても、こっちの得にならない手」が不必要な手と思っていれば良いのかもしれない。
で、ホントの弟子の話。今日は弟子の勝負をほんの5、6手見ただけだった。その5、6手の中で弟子はやけに細かいところに連打していた。帰る道すがら「自分の石が生きていて、相手の石も生きている箇所において、コスミしか打てないようなら別に打つ場所を探した方が良い」と伝えてみた。常に当てはまるわけでもないけれど、絶対に間違っているというわけでもないと思う。
弟子曰く。「そのひと言。なんか大きいかもしれない!」。弟子は以前。「俺が君の石を右から攻めるのなら、君は左側に地を作ればいいじゃないか」と言った途端に二子ほど強くなってしまったことがある。今回の言葉で弟子はまた二子強くなるのかもしれない。
ちなみに。今弟子は私と二子局。二子強くなったら互先になるな>弟子。