講義は「ノゾキ」。
相手のイッケントビ(一間飛び)や断点を「次にキリますからね」と置く手を言う。「ノゾキに継がぬ馬鹿はなし」だかなんだかという格言があるそうで、一般的にはのぞかれた場所を繋ぐことになる。
で、対戦。と、いうか今日は手空きだった。いろんな人の手を見て回った。
見ていて思ったのは、序盤の石のやり取りを見て形勢判断ができるようになったということ。少なくとも私にとって、碁の形成を見るのは難しいことだった。自分で打っているときにも自分が勝っているのか負けているのか判断できない。それで単純に地になりそうなところを地にしているうちに負けることもあった。
しかし最近になって、ようやく黒と白のどちらが勝っているのかが判断できるようになった(もちろん数目差の細かいところはわからない)。形勢判断ができることで、無理をしても攻めるべきなのか、安心して守っておけば良いのかを判断することができる。おかげでせっかく勝っている勝負を自分の無理手で壊してしまうようなことはなくなった。
そうこうするうちに、先生に指導碁をしてもらっていた初心者の男の子が勝負を挑んできた。先日二子局で80目程度の差をつけて勝った相手だ(もちろんそんなに差のつく相手に対し、真剣に勝ちに行くのは大人気ないがいろいろ事情があるのだ)。
「やりましょう」と言ってくるので勝負を受ける。横から知り合いの女性が「四子局くらい?」と言うも、相手の男の子は「いや互いでいいですよ」なんてことを言う。このひとことにより本日も私の大勝が決定した(笑)。結局は百何十目差で私の勝ち(苦笑)。相手の地を埋めても膨大にあるアゲハマを数えるのはやめておいた。
彼の悪いところ。今日は何を思ったか、隅に先着せずにカカリを打ってきた。私が一応受けてもまだ隅に先着しない。なので私が3隅を占めることになった。
また、形勢が固まったのちに隅の地を求めて入り込んでくる。こちらが応じなければならないところならまだしも、一切応じる必要のないところに入ってくる。彼はただただこちらのアゲハマを増やしているだけだった。
囲碁の勝負。「一に空隅、二にカカリ。三に辺への展開」。これはよほどの実力差があるのでない限り、否定しようのない棋理。だから下手は上手に対して隅に石を置いて勝負する。非常な上手は目ハズシを打ったり、隅に先着せずにカカリを打つこともあるけれど、それは素人にはうかがい知れないヨミがあるからだ。そういう形をまねてもしょうがない。
さらに彼は。未だ囲碁のことを「気付く・気付かないのゲーム」と思っている雰囲気がある。石が込み合ってきたとき、既に死んでいる石の近くに手を入れ、こちらが気付かなければ大復活に繋がるような手を連打していた。もちろんこちらは気付く。前にも書いたように思うけれど、囲碁を「気付く・気付かないのゲーム」と思っているうちは強くなれない。また囲碁の面白さもわからない。さらには対局相手にも「潔さのない奴」と思われてしまう。注意して欲しいと思うところだ。
その後。最近弟子二号(?)となった女性と二子局。最初、彼女がなんだか変な手を打ってくるのでそれに応じていると、自分の手もすごく気持ち悪い手になった。ひと隅にやけに石が密集している。一応攻め合いには勝てそうな展開だったけれど、人に見られたくない。どうしようかと思っていたら彼女も気持ち悪くなったのか「最初からやりなおしさせてください」。
望むところなので最初からやり直し。
で。この二局目は最後まで打ち切ることができた。結局は私の大勝になってしまったけれど、あまりに明白な彼女の弱点がいくつか明らかになったので指摘しておいた。
たとえば「自分の模様を平気で無視する」ところ。「模様」は「地」ではない。だから模様をひたすら守ろうとするのは間違い。しかし模様を作ったのであれば、その模様を活用して「地」を作らないと打った手がもったいない。すなわち、模様に入り込んできた相手を攻め立てることで、自らの地を固める。それが通例だ。
しかし彼女の場合は模様に入られると別の場所に模様を作りに行く。模様を作ってもそれを活かさなければ結局は単なる棒石が縦横に延びているだけ(ひどい場合には全部死に)になる。私も一時この勘違いにはまっていたのだけれど、囲碁はあくまでも「地」を取る勝負。自分の石がたくさん伸びていても、それが「地」になっていなければ負けるのだ。
あるいは。これは伝えなかったのだけれど、「行きがけの駄賃」の手が多いようにも思う。アタリにできるときにはアタリにしてしまう。伸びることができるときには伸びきってしまう。そう、上手の人なら「味消し」と呼ぶような手筋。
モノの本によれば「必要のない手は全て悪手」。すなわち「行きがけの駄賃」のつもりで狙いなく打つのは良くない。直接的に良くない結果を招くのではないかもしれないが、将来に存在したかもしれない素晴らしい狙いが消えてしまう。それを上手たちは「味消し」と呼ぶのだ。
もちろん。この「必要のない手」を完璧に見極めることができれば、それはかなりの上手なんだろう。最初のうちは「相手が無視しても、こっちの得にならない手」が不必要な手と思っていれば良いのかもしれない。
で、ホントの弟子の話。今日は弟子の勝負をほんの5、6手見ただけだった。その5、6手の中で弟子はやけに細かいところに連打していた。帰る道すがら「自分の石が生きていて、相手の石も生きている箇所において、コスミしか打てないようなら別に打つ場所を探した方が良い」と伝えてみた。常に当てはまるわけでもないけれど、絶対に間違っているというわけでもないと思う。
弟子曰く。「そのひと言。なんか大きいかもしれない!」。弟子は以前。「俺が君の石を右から攻めるのなら、君は左側に地を作ればいいじゃないか」と言った途端に二子ほど強くなってしまったことがある。今回の言葉で弟子はまた二子強くなるのかもしれない。
ちなみに。今弟子は私と二子局。二子強くなったら互先になるな>弟子。
投稿者 前田博明 : 2002年12月16日 23:00 | トラックバック