何はともあれ、今日は弟子の話から行こう。
弟子が碁笥と間違えてお茶を入れた紙コップに指を突っ込んだ。弟子にも言い分がある。「相手の方、何だかすごく真剣な雰囲気を持った方ですごく緊張しちゃったんです」。
ふ。ぼけた弟子よ。
これまであまりパーソナルな記述を避けてきたが、弟子は24歳、妙齢の女の子。ぼけ〜っとした雰囲気で、まぁはやりの言葉で言えば「ナゴミ系」なのかもしれない。まぁ、師匠の贔屓目も含めて言えばかなりかわいい(笑)。
で、そんな弟子なのではあるが、師匠のインケンな厳しい指導のもと、棋力はグングン伸びている。でも一般の方には我が弟子の棋力などわからない。私と二子で打ってはいるが、普通の人がみれば「ぼけえっとした女の子」。そんな弟子が、たいていの相手に二子程度の石を置かせて打つ。相手の方にとってみれば「何、この子?」という感じだろう。
弟子自身も。「私のようなボケが、相手の方に石を置かせて打つなんてことして良いのかしら?」なんて感じている。だから相手の方に「石を置いてください」なんて言うときにはかなりドキドキしているわけだ。
今日も。相手の方に二子置いてもらって対局をはじめる際、「なんだか強そうな人なのに、私なんかが二子置かせちゃって良いのかしら」なんて緊張感いっぱい。おまけに、これまであまり話もしたことのなかった人が相手だ。弟子は緊張感でいっぱいになり、そしてパンクした。
右手に碁笥。
左手にお茶を入れた紙コップ。
右利きの弟子は、あろうことかおもむろに左側に手を伸ばし、石を取るつもりで紙コップに指を突っ込んだ。
もちろん相手の方も、この捨て身のギャグを無視はできない。「ぷっ」っと噴出してしまわれたそうだ(笑)。さらに弟子。中盤で勝敗の趨勢が見えてきたあたりでさらにこう言った。
「あの。お茶、入れなおしてきて良いでしょうか…」。
さすがは我が弟子ではある。大阪人のノリそのまんまだ。一度使ったネタでも徹底的に使い倒す。「すごいな」と思って弟子を褒めようとした刹那、弟子は言った。「だって、ただでさえ緊張してたのに、お茶に指突っ込んじゃって、喉も渇いちゃったし…」。
ふ。弟子よ。君は素晴らしい。
以上の話は全て弟子から後刻報告を受けた内容を元に構成している。
で、私。その話を聞いた瞬間に、遠くにいるインストラクターの方を大声で呼んで、この話を聞いてもらった(笑)。わりと「クール」目をウリにしている(?)インストラクターの方もこの話には思わず腰を曲げて笑った。「ぷぷっ。ぷぷぷっ。そ、それで、、、、。その、相手の方の反応はどんなだったんですか?」。
私たち師弟は、皆さんに喜んで貰うことを一番に教室に通っている(爆)。
さて、私。今日は尊敬する女性棋士(と、言っても同じ教室の生徒なわけだけれど)との互先対局。10月か11月の対局で、すごく力の差を感じた方。その打ち筋に隠れ見える知識に対し、深く尊敬の念を抱くとともに「いつか成長した暁にはこの人ともう一度対局したい」と思ったのだった。
対局前。相手の女性に握って貰い、私が白番。「私、すごく強くなりましたのでよろしくお願いします」、と。いや、相手の方にプレッシャーをかけようとしたわけじゃない(笑)。以前は私の力が及ばずにすごく失礼したと感じていたので、「今日の私はちゃんと相手になりますよ」ということを伝えたのだ。
対局は。
ここ数日、「相手の石の逃がし方」を研究している私に、ぴったりとはまった展開となった。相手の方のかかってきた石を、思う方向に逃がしながら、それをうけるふりをしつつ自分の地を固める。ここのところ「忙しいんですっ」という言い訳をしながら仕事もせずに碁三昧の私があるいは上手になったかもしれない。しかしながら今日の対局は、力の差云々ではなく、私の構想にすっぽりとはまり、そしてそのまま私の勝ちとなった。
尊敬する打ち手と対局して、そして自分の思う通りの碁を打つことができた。碁自体は打ち損じもあり、決して「会心の碁」というわけではなかったけれど、それでも自分の成長を見せることができて嬉しかった。
授業終了後は、孔令文先生含め、インストラクターの方々と雑談。「ねぇ、先生。私強くなったでしょ!」。「自分でも思うんですよ。なんかすごく強くなったよな、って」。
ハッピー・マンデーは、講師の方が級位認定をして下さる。講師の方々に「強くなった」と印象付けることで、1級くらい上の認定にならないかという涙ぐましい努力だ(嘘)。
尚、今日から「にゅーめがね」にした私。ちょっと眼鏡の形が孔令文先生の眼鏡に似ている。「先生。僕も先生と似た形の眼鏡にしました。これできっと死活も間違えませんよ!」、と対局中にアピール(なんの?)する私。
でもそんなこと言っている先から、孔令文先生の見ている前で打ち損じた(爆)。「しまった」と思った私は先生に強弁しておいた。「先生っ。こっちの石がよしんば死んだところでこっちの手はこっちの手で大きいんですからね!」。孔令文先生は「馬鹿な生徒がいるよ」という表情で「そ、そうですね。その手も一子取れているので大きいですね」と半ば呆れながら同意してくださった。ふっ。呆れられようがどうしようが、先生に認めてもらったことだけを糧に自信を深めていくのが私のやりかた。
これでいーのだ。
尚、順番が逆になってしまったけれど、本日の講義は「カカリ」。
なんだか、私にとっても「シマリ」とか「カカリ」は難しい。囲碁を打ち始めて、最初の頃は小目に打てば必ずケイマに締まるものだと思っていたし、まさか相手がそのシマリを邪魔してくることがあるなんて思ってもいなかった。今でも自分のシマリと相手へのカカリ、どちらを優先すべきか悩む。それに相手の大模様のヒラキを見て、中途半端なヒラキでもない、シマリでもない手を打ってしまうこともある。
最初のうちは。「シマれるところはしっかりしまる。カカルチャンスがあればしっかりカカル」という意識で、ひたすらシンプルに進めた方が良いんだろう。初心者のうちに「地と勢力のバランスはどうよ?」なんて考えると、たいていはボロボロの碁になってしまう(と、経験者は語る)。
シンプルに、基本に忠実に。そうやって打っていればどんな上手と打っても差はせいぜい50目程度。50目程度の差の碁なんて、素人が盤面を見ても「あれ、ちょっと負けてるかしらね」くらいのもんだ。上手の人と最後まで打ち切る碁が打てれば、それだけで結構勉強になるもんだと思う(ま、相手の方によっては50目差がついた碁を打ち続けることを嫌がる方もいらっしゃるので、それはそれでけーすばいけーす)。
蛇足みたいになって申し訳ないけれど。水曜日に弟子と対局したSさん。
今日も授業の始まる前に本を見ながら石を並べていた。その石の並べ方が非常にスムーズで早い。早大囲碁部も言っていた。「棋譜を見て石を並べる。徐々に並べる速さが早くなり、それがすなわち棋力の向上なんですよ」と。Sさんは、このクール(1月〜3月まで)が終了するまでに、私と方を並べてしまうのかもしれない。嬉しいけれど、強くなりすぎて私との対局機会がなくなってしまうかもしれないのはちょっと残念だ。
ちなみに。今日は教室で中位くらいの方と対局して、Sさんは見事勝利していたそうだ。学ぶ姿勢真摯なる人は成長が早い。
ピーチ先生、あなたの教室で、こうやってすごく成長して、そしてまた誰かに碁の楽しさを伝えてくれそうな人が出てきてますよ。今頃きっと、ピーチ先生、お葬式ですよね。小林千寿さんのお話によれば、不本意そうな表情を浮かべられていたとか。
ピーチ先生、少なくとも遺志を大事にしたいと思っている人はたくさんいます。結果も残ってきています。ぜひとも、それだけは伝えさせてください。私の弟子を含め、面白い打ち手を何人も揃えてそのうちに対局申込に行きますからね。
投稿者 前田博明 : 2003年01月27日 23:00 | トラックバック