今日は六子局、七子局で対戦。六子局では、初めて「対局時計」なるものを使ってみた。講師の藤田先生(ああ、実名書いちゃった)が、「じゃあハンデで前田さんは15分で」とおっしゃる。時間を計って対局したことのない私は「まぁ、15分もあれば良いんじゃない?」なんて思って甘く考えていたけれど、15分じゃあぜんぜん時間が足りなかった。
七子局。こちらも厳しい戦いだった。私が生意気にも七子置くもので、講師の方々がよってたかって私をいぢめるのだ(苦笑)。曰く、「前田さん、そんな手合いじゃないでしょっ」。「その薄い石、どうするんですか」。「なんのために入ったのかわからなくなってませんか?」。「その白石攻めれば取れますよ」。「その白が取ったことにしてる黒石、まだまだしのげますよ」。
などなど。
そりゃね。七子置いた時は自分でも「生意気なことやってるな」と思ったさ。対局時計に続いて、七子も初めての経験だったから、どう打っていいのかよくわかんなかったさ。でもそんなにいぢめなくてもいいじゃんね〜。いぢめられて思い出したんだけど、私も月謝を払っている生徒なんだよなぁ(苦笑)。
対局結果? 六子局は1目勝ち。七子局は打ち掛け。
弟子。
弟子は私が最近提唱する(?)「呟き碁」を実践していた(笑)。この呟き碁、ようするに自分の意思を常に口に出しながら打つ碁。
「その辺に先着したいんだけどどうかなぁ」とか、「あれ、あの石切れるんじゃないの?」など。「この石、死にそうな気配もあるけど、しばらくは生きてるふりをしてみよー」とか。
なぜこんな「呟き碁」などを提唱しているか。
囲碁は「手談」と言われることもあって、対局中は話などしないのがマナー。でも初心者のうちは「手談」と言われても、盤面の石が何を話しているのかなんてわからない。相手の石が逃げていても自分が攻められているのだと勘違いして守りに入ったりする。
ほうっておけばそのような人も「手段」ができるようになるんだけれど、でも「呟き碁」の導入によって「手段」に慣れる速度があがるんじゃないか、なんて考えたわけだ(エラソー(笑))。
本当に成果が上がるのか?
実は教室に行く前に、弟子と石を置かずに「呟き碁」を打ってみた。
弟子は私の意図を次々に外しながら(呟き碁だからあたりまえだっつーの(笑))、最後には私の大石を殺して中押し勝ち。
そう、この「呟き碁」。確かに成果は上がるのだ(涙)。
今日の講義は「次の一手」。特定の形になれば「ノータイム」で打たねばならない一着がある。手を抜けば自分の石を殺されたり、あるいはヒドイ形(石が全く効率的ではないとか、相手の石がやけに得をしているとか)になるケース。
このノータイムの手。打てるようになるまでには結構時間がかかるんだよな。たとえばよくある隅近くで相手がカカッタ自分の石にコスミツケた場合。最初のうちはついヒラキを打ちたくなる。この石を普通に上に伸びることができるようになるのは時間がかかる。
また、星への着手を両ガカリにされると、つい三々の方に逃げたくなる。これをノータイムで中央へ顔を出せるようになれば、ちょっとは碁がわかってきたということ。最初のうちは、なんとなくヒラキや生きが何者にも代え難い大事な手に見えてしまうのだ。
尚、講義の最初に囲碁を打つマナーのような話もした。私に実践できていないのは「打つ場所を決めてから石を持つ」ということ。なんだかいつも碁笥に手を突っ込んでいるのだ<私。ただこの悪癖。冬場で石が非常に冷たいので徐々に改められつつはある(笑)。
インストラクターの方曰く。「ずっと碁笥に手を突っ込んでいてはいけませんよ。そう言えば以前、碁笥と間違えて湯飲みに手を突っ込んだかたもいらっしゃいましたけど、それもいけません」(笑)。そう、その当事者はもちろん私の弟子だ(爆)(1月27日の日記参照)。
対局。今日は三子局で二戦。中押し勝ちとなった一局目は結構うまく打てたように思う。三子局であるにもかかわらず、淡路九段が囲碁入門教室(毎週日曜日にNHKで放送)で言っていた「後手でしっかり打つ」を心がけてみた。結局相手は、相対的判断で自分の方の石が弱く見え、その手入れをしているうちに私に地を稼がれてしまった形。
でもそれで調子に乗った馬鹿な私は二局目で大敗ムード。負けるのもイヤだな、と変な手を打って勝ってしまったんだけど、相手が応手を間違えなければ相手の勝ちとなるはずだった。
弟子の対局はあまり見ていないけれど、近くで打っているので声は聞こえてきた。やはり二局打って二局とも十目くらいの負けだったとのこと。そうか、まだ弟子に勝つ人はいるんだな。3月の講座終了時までには俺以外に負けないくらいになれよ。俺にはずっと負けていいから(笑)>弟子。
後刻食事しながら弟子に聞いたところでは、この日の対局では「裾空き」が気になってしょうがなかったとのこと。ふむ。これを機会に「裾空き囲うべからず」という格言があるのを覚えておきたまえ>弟子。まあ、死活に関わる場合に手を入れて囲いにいってもしょうがないんだけど、そうじゃなければ、相手と攻め合っているうちに、勝手に囲われてしまうまで手を入れたくない。相手が裾空きを狙う素振りをすれば、上に伸びて脅かしてやればいい(笑)。
この「勝手に囲われる」感覚を掴むのはなかなか難しいんだけど、東大囲碁部の人も言っていた。囲いにいくというのは、すなわち自分の地の境界線を自ら決めてしまうこと。以後にあるかもしれない発展の可能性を自ら消しているわけだ。
この日の私自身の対局でも、中盤で自ら求めて自分の地を確定させた手は2つくらいしかなかった。そうやっているうちに地は「生じて」くるんだ>弟子。
尚、以前も何度か登場している教室内のホープ、美人のSさん。
そうそう、弟子の話によると彼女は20歳だとのこと。う〜ん、あまりそのくらいの年齢の人に美人だとかなんだとか言っていちゃいけないかな(笑)。「うるせーんだよっ、おやじっ!」とか言われると(ちょっと)寂しいしな。
で、その彼女は、これもやはり前に登場した攻撃好きなSさん(最近攻撃一辺倒を改めている様子)と対局。二局やって1勝1敗だったそうだ。うむ、この進歩は早いぞ。繰り返しになるけれど、この攻撃好きな方の(笑)Sさんと対局してから私はスランプに入り、そこから抜け出すのに時間がかかったことを考えれば大したものだ。
帰り間際、彼女と少し話した。「私も早く強くなりたいですっ」。うん、彼女は本当に強くなりたがっているように見える。いろいろな勉強もしているみたいだし。序盤に関する本をあまり読んだことがないということだったので、たまたま手元に持っていた『序盤の打ちかた』を貸してあげた。この本は恐ろしい本で、「うまくなりたいっ」という強い意志を持って読めば、誰でも3〜5級くらい棋力が上がってしまう本(この本の話もあちこちで何度も書いた)。
「俺は大人だから、本だけはいくらでも買えるから、『こういう分野の本が欲しい』と思ったら言ってみてね。貸してあげるから」。そんなふうに言ってから「ああ、こういう言い方がオヤヂくさいのか」と反省した。
最近もまた自分の棋力向上を日々感じる私。今日は下手の方、2名と対戦。
最初の方(今年の1月に碁を始めたそうだ)と打つときに「何子置きますか?」。
何気なく出てきた自分の言葉にちょっとびっくりした。以前までは、相手に三子以上置かせるのは、はっきり言って恐怖だった。碁では、隅がもっとも地を作りやすく、そして効率も高い。辺の発展性や厚みの活かし方など全くわかっていなかった私は、二子置かせるだけでほぼ勝利を諦めてしまうような実力だった。
ところが最近。上手の方に五子で打ってもらったりしているので、逆に相手に五子置かせた時にどのように戦うべきかということが理解できてきた。昔は三子も置かせれば「騙し手」連発で勝利をもぎ取っていたんだけれど、最近は敗勢明らかなときしか騙し手を使わずに済むようになった(笑)。ま、敗勢明らかになれば、ちょっとは上手の意地を見せておかなくちゃいけないかな、なんて思って…。もちろん言い訳だ。
思うに。
最近になって、ようやく「ヨセ」以外の局面での先手・後手を意識できるようになったのだと思う。「ヨセ」の局面での先手・後手はわかりやすい。しかし中盤の戦いは相手が受けようが受けまいが関係ないところに置いてしまいがち。孔先生にも言われるけれど、「かわいそうな手」を打ってしまいがちだったわけだ。「あなたの打った手。私がこう受ければイラナイ手になるでしょ?」。
そんなことを言われてイジメラレていた私。最近になって「なるべくかわいそうな石を作りたくない」と、一手一手の意味を考えることができるようになってきた。
結局二局ともに勝利。最初の方は、いわゆる定石的な手よりも得をしたい、と無理手を打つ傾向があるようだった。確かに初級者同士で打っていると、定石よりも「ガンバル」手を打てばそれだけ得することが多い。しかし上手と打つとその「ガンバリ」は結果的に咎められ、定石よりも損をすることが多い。
まあこの「損」は体験してみないと理解できないので、上手と打つときにはもっともっと「ガンバル」手を打って、その手によって生じる結果を体験してみるのも良いんじゃないかな。
二番目に打った方は「先手を取りたい」という意識は持っているんだけど、それをうまく実戦に活かせない感じだった。ちょっと一カ所での戦いで、最後までキメすぎる感じかな。キメて得られる利益と、よそに回って得られる利益の比較がまだできていないのかもしれない。
まあ、「よそに回るタイミング」なんていうのは「碁の本質」みたいなところ。「ここはどれくらいの得になるんだろう?」ということをもっと意識して打てば、先手を取って相手を攻めることがでできるようになるだろう。
弟子は。おそらくは教室で私の次ぐらいに強い女性と対戦。「今度彼女と打たせてもらいなさい」と言い続けていたんだけれど、今日は彼女が入ってきた瞬間に「あ、いいとこにきた。弟子と打ってやって下さい」と。
相手の女性にコートを脱ぐ間もほとんど与えず(笑)すぐに対局開始。私の判断ではいい勝負になるが、最後は相手の方の棋力が上回るだろう、という感じ。
ところが。
弟子が秘密特訓でもしているのか、相手の方が弟子をナメタのか。序盤はいきなり弟子の大きなリード。そこで師匠はもちろん弟子にプレッシャーをかけた(虎の穴方式)。「君ね、この序盤を見て黒白どっちが持ちたいかと言えば、百人中百人が黒を持ちたいと言うよ。これで負けたらかなりショックでかいよ」。
弟子も序盤での優勢は十分に意識していた。
しばらく席を外し、十分後くらいに戻ると局面がやけに紛れていた(笑)。相手の女性の方は、師匠である私が見ている間は緊張していたんだろうか? 私の指導のおかげで手抜きすることの大きさ、先手を取ることの重要さを意識している弟子。しかし、局面が紛れたときに、手抜いたところに手を入れるべきか否か、弟子は混乱してしまうらしい(笑)。かつ、今日相手をして頂いた相手は混乱が深まれば深まるほど、そこにシンプルな着手を見いだして大成果を上げるのを得意としている(彼女も私同様、インケンなところがあるに違いない(笑))。
結局弟子は混乱の中で石を殺させてしまい、敗戦となったようだ。弟子よ、優勢であれば1手の損をしてもシンプルにした方が良い局面もあることを覚えておきなさい。
この戦い、弟子はかなり印象に残ったらしく「あそこで手を入れていれば」とか、「あそこで違う風に打っていたら」などと一所懸命検討していた。うん。さらに弟子にプレッシャーをかけておくことにするか。
弟子よ、次に打てば君は必ず勝てる。序盤であれだけリードしていて負けるわけがないんだよ。
ふ。相手の方にもここを見てもらって「何言ってんの? 私の方がまだ上でしょっ!」という勢いで、弟子を鍛えるお手伝いをして頂こう(笑)。よろしくお願いします>相手の方。
ハッピー・マンデー教室の中でも、いろんな方がこのサイトを読んでくれるようになった。だから書いておこう。「今度の水曜日は私の誕生日です」。いえ、ちょっと仕事が忙しいもので、「お誕生会」はご遠慮申し上げますけれど、プレゼントはあのその。
で、今日の講義は「手筋」。講義の前に先生に「えへへ、私ね、土曜日に五段とかの人と対局して、もうあなたは初段間近だとか言われたんですよ」なんて生意気な口をきいたもんで「前田さん、このくらいのプリントはすべて簡単でしょう」と。いじわるだなぁ>孔令文先生。でもあのくらいだったら問題なかったですよ(ふっ)。
でも。実は「手筋」は難しくて悩んでいるポイントではある。いろんな「手筋集」のような本を買って読んでいるんだけど「相手を押す手なしに追い込みましょうっ」という問題がなかなか解けるようにならない。なんだか死活とかとはまたちょっと別の発想が必要な感じ。何度同じ問題を解いても間違い、自分の中で結論付けた。「うん、この問題集がすらすら解けるようになれば楽々有段者だ」。いや、まぁ。「すっぱい葡萄」のように、今の自分に解けないことを合理化しているだけなんだけれど。
講義の後は対局。弟子が比較的最近に二子置いて負けた人と対戦。インストラクターの方曰く、「相手の方に三子置いてもらってください」と。「私は弟子と二子でやってるんですよ」等々、三子を回避しようと抗弁したけれどインストラクターの方の決意固く、結局は三子局。今日の相手は私も「きっちりした碁を打つ人だな」と感じている人。こんな人を相手に三子置いてもらうのは、いつも以上に緊張する。
で、緊張したままの序盤、4子の要石を取られた(爆)。しかし「合理化」の得意な私。「うん。そうそう。この石は確かに要石だったんだけど、それはあくまでもこの局面での話さ。全局的に見ればたいしたことないね」。強がってみた。
その強がりが功を奏したのか、最終的には48目対18目の完勝。まあ最後に「生きるはずのない隅」に打ち込んで、相手の方を混乱させて生きてしまったので、実際の差はそれほどない(馬鹿なことをしてすみませんでした>相手の方)。
でも弟子には言っておいた。「君、今の碁を見たかね。三子置かせてあの差がつくわけだ。君もあの方に二子置いて負けたりしちゃいけないんだよ」。
勝てば官軍の師匠である。最近師匠を再度信じ始めた弟子は神妙に聞いていた。
あれこれはともかく。今日の講義前の孔令文先生との会話の中で。このサイトの話も出てきた。「前田さん、ホームページ持ってるでしょう」と。「え、読んだ(読んでしまった)んですか?」。「ええ」。
それはちょっとまずいのである。隠しているけれど(隠してないってば)、本サイトには「今日の私の相手は孔令文。なんだか強そうな奴だ」(1月14日)なんて文も掲載されている(笑)。「先生、どこを読んだんですか?」との問いに「全部です」。
きっと次に対局するときは、私が日記なんか書きたくなくなるくらいにヤラレルに違いない。しかし私は勝負を逃げない。ただ、いつもの五子局だと、マジにやられまくるかもしれないんで九子局にしてください>先生。できれば九路盤でお願いしますね。。。
ちなみに九路盤九子とは下図。こんなハンデ戦、さすがに白が勝つのは難しい。プロが相手でもこれで負けることはあるまい…、いや、負けないんじゃないかな、、、、少しは覚悟しておこうかな…
九路盤九子局 「そっかー。先生、全部読んだんだ〜♪」となんだか楽しげに語るのは弟子。実は弟子。師匠を嫌っているのかもしれないなんていう猜疑心にとらわれてしまうのだった。
フリー対局。
教室に着くと、期待の新星(1月22日の記事参照)Sさんがひとり座っていた。「この期を逃すまじ」と対局申し込み。「何子置きますか?」に彼女はあっさり六子置いた。う〜ん、六子というのは私もあまり打ったことはないな。でもまぁこちらが強引に申し込んでいるのでそのまま対局。
で、六子だとさすがに辺への展開も難しい。基本的に少なくとも隅のひとつは取らないと勝負にならない感じ。相手のSさんも勉強熱心な方なのできちんと大場は押さえて私の配石を制限しているし…
で、本来なら取れないはずの隅を強引に奪取(笑)。ただ彼女の「勘違い」があまりに明白だったので(泣く泣く(笑))奪取した隅をお返しして(相手の石を置き直してあげて)継続。たんたんと終局して彼女の十数目勝ちだった。
隅の死活は本当に奥が深い。
碁を始めた頃はあまり死活を意識せず、それなりに広く隅を取り合って局が進行する。「相手の隅を攻める」ことの難しさはなんとなくわかるので、初心者同士ではあまり死活の問題は生じない。次第に、「攻める」楽しさを覚えてくると初歩の死活問題が生じる。この段階では「生きる形」を知っているか否かが勝敗の分かれ目。詰め碁問題集を眺めたことがあるかどうかで勝敗が決まるだろう。Sさんはまだ詰め碁の経験があまりないらしく、この「生きる形」がよくわかっていないようだった。そんな相手に強引に隅を取っては私が嫌われる(笑)。「こういうときは眼形を意識して置いた方が良いですよ」と優しいフリをして隅をお返ししたのだった。
Sさんとはもう1局打ち、今度は五子局。隅を強引に殺しに行けば六子でも「勝負」にはなりそうだけど、それでは彼女も面白くあるまいということで、もうちょっと布石などの楽しみが残る五子局。ここでも彼女は素直な配石で良い勝負。「こういう勝勢の時にはこういう手にも気をつけましょう」ということで(単に勝ちたかった(笑)?)、二隅を殺す(爆)。結局この二隅もお返しして、今回は持碁。
一局目に私に隅を殺されて、ちょっと変に守るところがあったのと、駄目場の多い碁になると石の置き方に混乱してしまうところ、それからヨセでの先手の取り方がまだわかっていないなど弱点はあるけれど、着眼はいい。インケンな私の碁に負けず頑張って欲しいもの。
次にはこれまで打ったことのない男性と対局。そんなに棋歴はないみたいだけど、よく勉強していて結構力を付けている様子。弟子が白番で対戦して負けたそうだ。
で、一応相手の方に黒番を持ってもらって対局。彼の布石は三連星。前にも書いたが三連星は私が採用を諦めた布石。三連星は完全に勢力志向の布石なので地に甘くなる。相手の荒らしに対する対応が非常に難しいのだ。
私はと言えば、相手の三連星にすぐにはかからずこちらは低い中国流。白番で三連星・中国流などの布石を採用するのもおかしな話だとは思うけれど、同じくらいの実力の相手にはよく機能する(笑)。前にも書いたように、中国流の布石は初級者相手には多大なプレッシャーを与えるので、ここを攻めさせているうちに相手の模様を荒らせば勝負になると判断している。
私の中国流に構えると相手は上辺の星。三連星対中国流になるとこう打ってくる人が多い。私は中国流最大の大場である下辺の星。相手は続いて天元。うむ、武宮氏の三連星解説本を読んで勉強しているに違いない(?)。
そこからは私が下辺の星から連絡して相手の星にかかり相手が受けて、、、と展開。一段落したところで相手の鶴翼の中央を荒らす。大模様を張ったはずなのに形勢が悪化してきたと判断してきた彼は中国流の模様を荒らしにかかる。
これもよくある展開だけれど、三連星に比べて低く構えている中国流は荒らしが難しく、守備も比較的易しい。相手が「適当に荒らして出て行く」という気持ちならば、きちっとまとめてこちらの模様を地化する。相手が頑張ってくるのならその石を殺しにかかる。ここで彼は頑張ってしまい、ちょっと逃げ出しに失敗して殺されてしまった。
こうなってしまうとあとは私のペース。中国流の模様は地化しているので、あとは相手の模様を荒らせば勝負は終了。とりあえず中央はいつでも荒らせるように顔を出しておき、下はハサミツケなどの手筋で相手を混乱させる(笑)。「ぜんぜんわからんっ」「こまった!」「次に打つポイント候補を5つにまで絞ったんだけど…」とぼやく彼(笑)。
そう、この辺は対応を知っているかどうかの問題。「サルスベリ」(英語人はこれを「フラミンゴ・レッグ」と呼ぶらしい)という技も対応を知らないと相手に何十目も地を荒らされてしまう。この辺は何度かやられるうちに対処方法がわかってくる。
結局相手の方が困っているうちに時間となり打ち掛け。
こちらの勝因は、三連星の模様に入っていったときにあまり地を固める攻め方をされなかったこと。これで中央はいつでも荒らせるという安心感が生まれた。三連星は模様の中に相手を入らせて、小さく生かすときの生かし方が問われる布石。相手が辺で生きるなら中央への道は遮断してしまわなければいけない。
それから相手の方が中国流の性質をあまり知らない様子だったこと(まあ私たちくらいのレベルでいろんな布石に対する対処法なんて研究している人はいないけれど)。こちらの模様に入ってきたとき、彼は「荒らす」のではなく「地を奪いに」きている様子だった。そのような戦い方は中国流が歓迎するところだ。
あとは細かい手筋なんでどうでも良い。なかなか勉強している感じの人だった。
ただインストラクター(アマ五段くらいらしい)の人が別のところで言っていたけれど「僕は相手が三連星だとそれだけで勝ったと思うんですよ」と思う人もいる。私の弟子が彼と打ったときは、彼の模様に入り込む勇気がなくて負けたんだと思う。三連星は確かに初級者相手にはそのようなプレッシャーを与えることができる。しかし同レベルの打ち手と打つようになれば、相手は必ず荒らしてくる。相手の荒らしを「喜んで」受けられるようになればまた強くなることだろう。攻撃やシノギの勉強をするためにも下手と打つときには三連星を捨てて見るのも良いかもしれない>彼。
尚、弟子が聞いていたらしいけれど、彼は「久しぶりに負けた」と言っていたらしい。おそらくはここまでは「三連星におびえる」相手だったんだと思う。こうして荒らされて敗勢になってしまうのは良い勉強になるんじゃないかと思う…。と、棋歴7ヶ月の私が言うのもおこがましいか(苦笑)。ごめん>彼。でもまた打ちましょう。
弟子。
最初は攻撃好きな下手の方と白番で対戦。最近の私があまり攻撃によって混乱させる打ち方をしないせいもあってか、相手の攻撃に怯えてしまう(笑)。一応最後には相手の無理を咎めて大石を殺して勝利したようだが敗勢だった。うむ、もう少し攻撃に対する耐性をつけないと駄目かな>弟子。
続いて私は見ていないけれど、別の人に三子おかせて対戦。この勝負は危なげなく勝ったようだが、インストラクターの方に「あなたも薄いですねぇ」と言われていた。弟子は髪が薄いのでその話かと思った(爆)。でも、「前田さんに似てきたんじゃないですか」という言葉で碁の話だと認識。
う〜ん(苦笑)。でも最近の私たちは(生意気なことに)相手に石を置かせて対戦することが多い。とくに弟子の場合は相手に模様を構えられると入り込んでいくことができない。それを避けるために薄いのを知りつつ先に手を付けていってしまうんだよな…
でも例えば孔令文先生などと打つときは、こちらが五子置いているのに、相手の石が薄く見えることはあまりない。本当の実力者と、なんちゃって実力者の違いが出ているんだろう(笑)。いつかは相手に石を置かせてもアツク打てるように頑張ろうぜ>弟子。
今日の講義は定石。いわゆる「ツケノビ」定石をやった。
定石というと勘違いする人がいる。ある人と話をしたとき、私が囲碁をやっている話が出て「囲碁は定石があって、決まった布石ばかりで面白くないのでは?」ということを言われた。
確かに。囲碁には「定石」の他に「手筋」と呼ばれるものもあって、ある形になったときには「ふつうはこう打つもの」という石の配置はある。しかしその定石や手筋は何百(何千?)とあり、そしてその途中に「変化」もある。もちろん周囲の状況によって採用する定石も異なるし、変化の形も違う。すなわち、「囲碁の勝負とは定石の知識の多寡」では絶対にないのだ。
と、力んで書いてみたけれど、ふと「自分はいったいいくつの定石を知っているだろう?」と考えて、ほとんど知らないことに気付いた。さすがに基本中の基本となる定石(「三々定石」や「ツケノビ」など)は知っている。いくつか並べてみたことはあるけれど、そのほとんどを覚えていない。私のような初心者の場合、たくさんの定石を覚えるというよりも、「定石」の中に出てくる石の動き方をいくつか覚えていれば良いのだろうと思っている。講義では先生も同様のことをおっしゃっていた(と、解釈している)。
で、講義後の対局。
私自身、下手(ヘタではなく、シタテと読む)の方との対局も非常に面白く感じているんだけれど、講師の方々が気を遣ってくださる。今日も受講生が奇数だったこともあり私は手空き。またしても強敵(苦笑)・孔令文先生との対局となった。
対局は五子局。先生に九子で勝てれば初段だとのことで、「勝負をかける」のなら九子で打たせて頂いた方が良いのだろうとは思う。ただ九子になれば「発想」で勝負できるところがなくなり、局地戦を繰り返すだけで碁を終えることになる。私としてはそのような碁は楽しさ半減だと思っているので、無理に五子局でお願いしているわけだ。ちなみに五子局で勝てれば4、5段だそうだ(笑)。
で、結果はもちろん負け。「まあ前田さん、1級くらいの実力といったところですか」。うん、それはそれで良いんだけれど、途中から自分が何をしているのかわからなくなって、ちょっと自分にむかつく碁になってしまった。勝敗に拘るわけでもなく、だからと言って互先での手筋を教わろうというわけでもない。そういう状況に自ら持って行って教えを請うているわけだけれど、その中途半端な状況に自ら混乱し、意味のない手を連打した。
終局後の検討でも、私の無意味な手に対するお叱り連発。「ええ、そこは確かにそうでした。ただ、私の狙いもあったんです、一応…」。「そう、その狙いはあったでしょうけれど、狙いが間違ってますね」(爆)。
私の場合。上手の人に置き石させてもらって碁を覚えてきたわけじゃない。だから置き石したときの戦い方がよくわかっていないということはある。しかしもうちょっと五子には五子の戦い方があるはず。囲碁関係の本のタイトルにもあるけれど、「下手の心構え」ができていない自分を恥じることになる碁だった。
で、孔令文先生にも「守りのタイミング」を指摘された日。家に戻って、NHKの囲碁講座をビデオで見た。番組では「強くなりかけた人に多いんですが、強気強気で大けがをするケースがあるんですね」と言っていた。
そう、まさにその通り。この日の孔令文先生との対局でも守りのタイミングを逸することが最近の私にはある。通信対局でも、強気強気で大けがをしてしまうことが多い。
シンクロニシティじゃないけれど、この日一日、ずっと「お前は棋理がわかっていない」と言われ続けたような感じ。本はよく読み、下手の人には自ら棋理を説くようなこともある私だが、自ら盤面に向かって勝負しているときには、その冷静さを欠いてしまうことがあるのだろう。このことを肝に銘じ、「棋理に応じて」とボヤきながら碁を打つことにしてみようか。
と。なんとなく浮き沈みの激しい私ではあるけれど。それを見習ってか否か、弟子の浮き沈みも激しい。先日私に惨敗して、さらに局後の検討で「ここら辺の君の手。何をやっているのか全く理解できなかった」などと言われ泣きそうになっていた弟子。さらにその翌日にも私に惨敗し「じゃあ並べてみようか」の私の言葉に「いいですっ」と検討拒否までした弟子。
この日は、つい先日二子置かせてもらって打った人と互先。二敗だったものの、盤面では4目勝ち、2目負けの僅差だったとのこと。
弟子曰く。
「私、もちろん良い師匠に恵まれているからなんですけど、強くなっています」。
わはは。勝ち碁増えて礼節を知る。そう、君は強くなってる。だから「どうも調子が悪いかな」というときにも、あまり不機嫌にならないでくれ。怖いから>弟子。
今日はフリー対局。
先日、五子局で打った方と四子局で対戦。五子局でも良かったんだけど、先日私のミスで私が負けたので取り敢えず一子減らしてもらった。
ちょっと前までの私。相手に石を置かせると、徹底的な無理手をなんとか生かしてもらって勝負するということしかできなかった。置き碁とはそういうものなんだと思っていた。
しかし。アマ六段と言われる人と五子で打つと、私のようなむちゃくちゃな手を打ってこない。あくまで普通に応手しているようなのに、結局は相手の方が勝ってしまう。これはカッコイイっ! 相手の無知(笑)にツケコムのではなく、あくまでも「地力の違い」を表現しているように見える。その人の置き碁を見てから、私も、たとえ置き碁であっても「可能な限り普通に打つ」ことを心掛けている(でも負けそうになると得意技の「インケンな手」が出てしまうけれど)。
で、対局。二局打って両方とも私の勝ち。一局目はわりとうまく打てた。相手の方は、こちらの意図をきちんと把握し、こちらの攻撃を事前にかわす石運びをする。つまりは守りは結構ちゃんと打てている。ただ、相手の目論見を外して自分が守りを固めた後、相手の石を「イジメル」発想があまりないようではある。
相手の方の欠点がより明確に現れたのが二局目。
一局目を終えた後に、相手の方が「前田さんの石はどこにでも入ってきちゃいますよね」と言う。それが「強い」という評価なのだと勘違いした私は、相手の模様に手を出しすぎて、3つの弱石グループができてしまった。これはもう完全に負け碁パターン。ほぼ勝利を諦めて、いつ「これは指導碁なんですからねっ」モードに変更しようかと考えていた。
しかし。相手の方は私の弱石を「イジメ」てこない。弱石の中央への脱出を図る私の石運びを見て、相手の方はそれを「攻撃」だと考えてしまった。攻撃には手厚く応じるのが相手の方のパターン。私は弱石グループの脱出に成功し、3つのうち2つのグループの連絡に成功。ついでに(?)相手の方の石を取ってしまった。
終局後。「私の石のここにあった二つのグループ。ともに生きてませんでしたよね」と説明する私。「あなたのちゃんと生きている石が私の弱石グループの真ん中にあったわけですから、私が片方を守ればあなたがもう一方を攻めてあなたの勝ちだったんですけどね」。
「なるほど」と言いながらもちょっと納得のいかない様子の相手。そう、私もよくわかる。私たちクラスの打ち手が上手と打つとき。「上手の人が弱石を作るはずがない」という先入観にとらわれてしまうのだ。それはとくに「オトナ」の人が持ちやすい先入観。子供だとそういう先入観よりも先に「俺が負けるわけがないっ」という意味不明な(?)自信により先入観を持たずに戦うことができる。
オトナの打ち手がこの先入観から逃れるには「勉強」しかないと思う。上手が弱石を作るわけがないという先入観を打ち破って、「相手のこの石はどう見ても弱い」と判断する知識。私の碁の先生(アマ六段)も言っていた。「碁では相手が上手だと萎縮するのはいけないし、さらに言えば相手を信じてはいけない」と(笑)。けだし名言である。勉強と、相手を疑う気持ち。これがあれば今日私の相手をして下さった方も一気に強くなるんだと思う。石の運びは綺麗なんだから。
その後。何度かこの日記にも登場している私のライバルと対戦。先日中国流で徹底的にやっつけたのが効いたのか、そのライバル子も中国流に構えてきた。「ざけんじゃねー。中国流は俺の布石だ」とばかり、私も白番に関わらず中国流で対抗(笑)。三連星対中国流というのはやったことがあるけれど、中国流対中国流というのは初めて。
で、ライバル子は最初の三手で中国流を打ったものの、あとはあくまで普通の打ち方。私の星にカカリ、なんとなく自分の模様をシマってという手順で打ってきたので、私が先に中国流の模様を完成させた。
終局して、ざっと眺めれば私の勝ちは間違いなく思える。棋院も締まる時間になっていたので「じゃ、帰ろうか」というと「これ、どっちが勝っているんですか」とライバル子。「俺が勝ってるじゃねーかっ」と言ったが彼女は不満気。大雑把な目算では私の圧勝と思ったけれど、取り敢えず整地。結局は盤面で私が十七目ほど勝っていた。
まぁ勝ちは勝ち。大雑把な目算で「俺の圧勝だろうがっ」と言えるほどの差ではなかった。自分の目算能力の低さに反省して(?)相手のライバル子にもアドバイス。
「せっかく中国流にしたんだからさ。もうちょっときちんと模様を意識して戦えば良かったよね」。ライバル子曰く、「中国流ってそういう布石なんですかっ!?」。「そう、俺たちのレベルだと、中国流の模様がばかでかく見えるんで、どうしても無理手で応じたくなる。そこをやっつけるのが中国流だよ」。「なるほど〜。私は取り敢えず(最初の三手を)並べてみただけなんで」と言っていた(笑)。なんとなく納得したような、納得していないようなライバル子ではあった。
弟子。
上の話と通じるけれど、弟子は最近「私を疑う」ことを覚えた(苦笑)。私の模様にガツンと入ってきて、徹底的に荒らして出て行ってしまう。私は弟子を信じているので(笑)、私が模様を作れば弟子はおびえてそこには入ってこないものだという前提で打っている。つまりはそこを荒らされると私の勝ちが遠くなる。
弟子は今日。先番で私に勝ってしまった。再度弟子に私を信じさせるためには、二子置きなど甘いことをさせず、互先で徹底的にやっつけるしかないだろうか(笑)? そんな気持ちを胸に、数時間置いての再戦では徹底的に弟子をやっつけた(笑)。
弟子よ、私を信じなさい…
2月。ということで、私の棋歴は7ヶ月となり、弟子は4ヶ月となった。ここ2ヶ月程度は非常に充実した時期で、自分の棋力向上を実感してる。弟子もぐんぐん強くなっている…はず。
今日の講義は眼と欠け眼。これ、簡単なこと、というか基本中の基本なんだけれど、最初のうちはわかりにくい。とくに一線をハネているときや、空き三角の形で欠け眼を作っているときに、そこを眼と勘違いすることが多い。棋歴4ヶ月の弟子も「えぇっ、そこ生きてたんじゃないんですかっ!」と言う。
まあ、本当に初心者のうちは、死んでいる石からどんどん伸びて被害を拡大することもある。死んだ石を諦めることができるようになったのはまぁ進歩だろう。
で、この死活。単純な「この石は生きてるでしょうか、死んでいるでしょうか」という問題に終始するのでなく、発展形として「手筋」の問題とも絡んでくる。たとえば相手のダメを詰める「ホウリコミ」。ある程度になってくると、相手のダメ数を詰めたり、眼を作らせない手段としてホウリコミが「当たり前の手筋」として浮かんでくるけれど、最初のうちは気付きもしない。
「ホウリコミなんていう手筋が浮かぶ人は、どこか頭の構造が違うのかな」なんてちょっと前まで考えていた。今の弟子は多分そんな風に感じているんじゃないかな。でも少し手筋の勉強をすれば、考える前に「う〜んと、ここはホウリコミしかないわねっ」と手が動くようになってくる。
でもしかし。ホウリコミはいかにも「手筋」という感じがして、やられた方は気分が悪い(笑)。師匠である私との対戦では控えるようにしなさい>弟子。