今日の講義は「次の一手」。特定の形になれば「ノータイム」で打たねばならない一着がある。手を抜けば自分の石を殺されたり、あるいはヒドイ形(石が全く効率的ではないとか、相手の石がやけに得をしているとか)になるケース。
このノータイムの手。打てるようになるまでには結構時間がかかるんだよな。たとえばよくある隅近くで相手がカカッタ自分の石にコスミツケた場合。最初のうちはついヒラキを打ちたくなる。この石を普通に上に伸びることができるようになるのは時間がかかる。
また、星への着手を両ガカリにされると、つい三々の方に逃げたくなる。これをノータイムで中央へ顔を出せるようになれば、ちょっとは碁がわかってきたということ。最初のうちは、なんとなくヒラキや生きが何者にも代え難い大事な手に見えてしまうのだ。
尚、講義の最初に囲碁を打つマナーのような話もした。私に実践できていないのは「打つ場所を決めてから石を持つ」ということ。なんだかいつも碁笥に手を突っ込んでいるのだ<私。ただこの悪癖。冬場で石が非常に冷たいので徐々に改められつつはある(笑)。
インストラクターの方曰く。「ずっと碁笥に手を突っ込んでいてはいけませんよ。そう言えば以前、碁笥と間違えて湯飲みに手を突っ込んだかたもいらっしゃいましたけど、それもいけません」(笑)。そう、その当事者はもちろん私の弟子だ(爆)(1月27日の日記参照)。
対局。今日は三子局で二戦。中押し勝ちとなった一局目は結構うまく打てたように思う。三子局であるにもかかわらず、淡路九段が囲碁入門教室(毎週日曜日にNHKで放送)で言っていた「後手でしっかり打つ」を心がけてみた。結局相手は、相対的判断で自分の方の石が弱く見え、その手入れをしているうちに私に地を稼がれてしまった形。
でもそれで調子に乗った馬鹿な私は二局目で大敗ムード。負けるのもイヤだな、と変な手を打って勝ってしまったんだけど、相手が応手を間違えなければ相手の勝ちとなるはずだった。
弟子の対局はあまり見ていないけれど、近くで打っているので声は聞こえてきた。やはり二局打って二局とも十目くらいの負けだったとのこと。そうか、まだ弟子に勝つ人はいるんだな。3月の講座終了時までには俺以外に負けないくらいになれよ。俺にはずっと負けていいから(笑)>弟子。
後刻食事しながら弟子に聞いたところでは、この日の対局では「裾空き」が気になってしょうがなかったとのこと。ふむ。これを機会に「裾空き囲うべからず」という格言があるのを覚えておきたまえ>弟子。まあ、死活に関わる場合に手を入れて囲いにいってもしょうがないんだけど、そうじゃなければ、相手と攻め合っているうちに、勝手に囲われてしまうまで手を入れたくない。相手が裾空きを狙う素振りをすれば、上に伸びて脅かしてやればいい(笑)。
この「勝手に囲われる」感覚を掴むのはなかなか難しいんだけど、東大囲碁部の人も言っていた。囲いにいくというのは、すなわち自分の地の境界線を自ら決めてしまうこと。以後にあるかもしれない発展の可能性を自ら消しているわけだ。
この日の私自身の対局でも、中盤で自ら求めて自分の地を確定させた手は2つくらいしかなかった。そうやっているうちに地は「生じて」くるんだ>弟子。
尚、以前も何度か登場している教室内のホープ、美人のSさん。
そうそう、弟子の話によると彼女は20歳だとのこと。う〜ん、あまりそのくらいの年齢の人に美人だとかなんだとか言っていちゃいけないかな(笑)。「うるせーんだよっ、おやじっ!」とか言われると(ちょっと)寂しいしな。
で、その彼女は、これもやはり前に登場した攻撃好きなSさん(最近攻撃一辺倒を改めている様子)と対局。二局やって1勝1敗だったそうだ。うむ、この進歩は早いぞ。繰り返しになるけれど、この攻撃好きな方の(笑)Sさんと対局してから私はスランプに入り、そこから抜け出すのに時間がかかったことを考えれば大したものだ。
帰り間際、彼女と少し話した。「私も早く強くなりたいですっ」。うん、彼女は本当に強くなりたがっているように見える。いろいろな勉強もしているみたいだし。序盤に関する本をあまり読んだことがないということだったので、たまたま手元に持っていた『序盤の打ちかた』を貸してあげた。この本は恐ろしい本で、「うまくなりたいっ」という強い意志を持って読めば、誰でも3〜5級くらい棋力が上がってしまう本(この本の話もあちこちで何度も書いた)。
「俺は大人だから、本だけはいくらでも買えるから、『こういう分野の本が欲しい』と思ったら言ってみてね。貸してあげるから」。そんなふうに言ってから「ああ、こういう言い方がオヤヂくさいのか」と反省した。
投稿者 前田博明 : 2003年02月24日 23:00 | トラックバック