「定石ってなんのためにあるのよ!」という議論になった。「え? 定石って、部分的に互角の分かれを目指すためにあるんですけど」という私の回答に先方は納得しない。
「だってさ。碁って戦いでしょ? その中に『互角を目指すもの』とかが存在して、みんなそういう風に打つってのは変じゃないの?」と。
ふ〜む。戦いの中に互角を持ち込むための筋を双方で打ち合うというのは確かに変か。議論を仕掛けてきた人の言うことに一理あるかもしれない。
ただね。理解して欲しいのは、定石とは「部分的」に互角を目指すモノ。私もよくやるんだけど(と、いうか私にはまだまだ知っている定石が少なすぎるわけだが)、双方で「部分的に互角」の手を打ち合って、一段落した時点でふと気付くと全局的に最悪な展開になっていることがある。
つまり部分的に互角であると言われている定石でも、全局的に判断すれば打ってはいけない定石があるということ。部分的に互角の定石も、互角からほど遠い結果を生み出すことがある。
さらに議論を続けるうちに、この「互角」という言葉に違和感を感じるのかとも思った。全局的にひどくなるのに「互角」? まあ確かにちょっと変かな。で、考えた私は言ってみた。
「定石というのは、部分的に損をしないための石の形です」
この定義は私の経験からしてもぴったりくる(自画自賛(笑))。高段者と打っていると、「石の形だよな」と思いつつ打っていても思わぬ損をさせられることがある。否、「ことがある」というか、いつもそうだ(笑)。級位者の人でも、相手が三々定石を知らなくてひどい得をしてしまった経験を持つ人は多いと思う。こういう損を防ぐのが、過去の経験から生み出されてきた「定石」というもの。
また、全局的に見てひどい定石を打ってしまったら、それはそれとして、最悪でも部分的な損は防がなければいけない。そういうときには定石に従うのが簡明。
さらに。ある程度強くなってくると定石途中での変化や手抜きをするようになってくる。これも「互角」という言葉を使うと「なぜ互角になるところなのに手を抜くんだろう?」なんて疑問が出てくる。しかし、定石を「損をしないための筋」と理解していれば、「ここでの損は甘受します。しかしその損と交換に、違う場所で得をする予定なのです」と主張しているのだと理解できる。
上に書いたような議論。囲碁界で、もう何千万回も議論されてきたことだと思う。でも上のことをまさに「実感」として理解できるようになった自分が嬉しかった。議論していた相手の人も(それなりに?)納得してくれたようだった。
投稿者 前田博明 : 2004年03月11日 11:39 | トラックバック