2004年06月14日

カタチって何だ! −講義−

今日の講師は高梨先生。「『大きい・小さい』を超えた手」と題して行なわれた講義は「必然の一手」のこと。

この「必然の一手」。ようは「カタチ」と言い換えても良いと思うんだけど、級から段などにジャンプアップする際に必須の知識なんだよね。「フクラミの急所」なんかが例。

級位者のうちはさ、「う〜ん、ここ打たないとダメだと書いてあったけど、でも他に打ちたい所もあるしな」と余所に回ってしまう。なんとなく得したように見えても、後でその部分が「アジワル」になってきたり、あるいは相手に打たれて、それが形勢を決める一手となってしまうことがある。

ウワテがシタテの碁を見るときも、こういう「急所への着手」を見る。ぱっと一目見て、急所の位置を一方の対局者ばかりが打っているようなら、打っている側が有利だし、棋力も上だと判断できる。私も以前、令文先生の奥さんと碁を打ったことがある。それを見ていた覚先生が「う〜ん、似たような実力ですが、ここを打たれた以上前田さんが悪くなりましたね」と。

当時は「まだ序盤なのになんでそんなこと言うかなぁ」なんて思わないでもなかった(苦笑)。でも今になって思えば、「そろそろ初段」と言われていた時期、私にはこの「カタチ」の概念が完全に欠けていた。今は、弟子たちがカタチの急所を逃して大場に先行すると、それを叱ってあげられるくらいにはなった。


講義後の対局は、小学生との対局だった。四子局。なんか私に似た所のある小学生で(笑)、なんかびびってしまって囲いに行き、そして大きなヨセを全部打たれるという展開になってしまった。結果は百十目程度と 70 目程度。

相手が「模様の接点」などを意識せずに囲いにきた場合、ウワテがその碁に勝つことはほんとうにイージーなことなんだなと勉強になりました。

局後には「俺、おっかないけど、取り敢ず碁のときは(こばぴを除き)殴ったりしないんだから、もっと積極的に打たなくちゃね」と。考えてみれば私もそのような指摘を受けていた(受けている?)なぁ(苦笑)。

かわいらしい小学生だった(え、あの、自分のことをかわいいと言っているのではなく(爆))。


講義前には教室に通う年長の男性同士の対局を見学していた。両方とも、たまに「ご指導下さい」なんて言って私と打ったことのある人。

お二人とも。打つ前に想像していたよりもずいぶん強いんだよね。大場の意識はあるし、カタチの意識もそれなりにある。ただ今のところは「利き」の概念がまったく頭にない。まあ私も「利き」には弱いんだけど(笑)、彼らの場合は直近の利きを読まずに、相手に利きを打たせる、ないしは作らせる悪手を連発する所がある。

まあ。そういうところが意識できれば一桁級どころか、すいすいと有段者になっちゃうかもしれないけどね(笑)。


でね。教室には女子高生もいるんだけど、彼女がなんか宿題のレポートをやっていた。資料をちょっと読ませてもらうと「リービッヒの最小律」なんてのが書いてある。

私は不勉強ゆえにこの「リービッヒの最小律」を知らなかったんだけどさ(「生物」の授業なんてほとんどやってなかったし)。「植物の生育は、必要な元素のうちで最小量のものによって制限される」というものらしい(間違ってたらごめんね)。

「そんなもんあったりまえじゃんな〜」なんて考えてふと思った。

囲碁ではさ。この「最小律」が成り立たないね。たとえば「序盤」「死活」「攻め合い」「ヨセ」なんてものに分けて考えてみよう。私の場合「序盤」は強い(当社比(笑))けれど、「攻め合い」とかは面倒くさがってしまいがち。「死活」と「ヨセ」はまあまあそれなり。でも私の棋力が「攻め合い」によって決まっているのではない。

あとさ。人と打っていて、やけに序盤が弱い人がいる。「なんだコイツ。むちゃくちゃ弱いじゃねーか」と思ってると、「攻め合い」がやったらと強くてひっくり返されたりするんだよね。

「こんなに勉強しているのに強くならない」と思っている人も結構いると思います>ハッピー・マンデー。でもさ。結局最終的な棋力ってのは、序盤から終盤の各局面の平均みたいなもの。序盤を必死に勉強しても、確かに綺麗な序盤は打てるようになるけれど、それだけで攻め合いに強くなったりはしない。

ある程度のウワテになれば、「自分に欠けているもの」とか、「勉強すれば最も効率よく強くなる部分」というのが見えてきます。

でもね。そうなるまでにもある程度バランスのとれた強さを身につけておく必要がある。それまでは「焦り」なんて必要ないんですよ。自分のペースで、ゆっくりと、そして「面白そう」と思う所を勉強していけば良いのです。

「阿呆なことに悩んでいたなぁ」。囲碁を継続していれば、今の自分にとってドデカイ悩みでも、いつかそう思えるようになります(五段くらいに強くなるとどうなのかは経験がないのでわかりませんが(^^;)。

のんびり勉強し、できることならば「強いウワテ」ではなく「上手いウワテ」に出会って、囲碁を楽しんでいってください(^^)。きっと「え〜と、今の私の棋力は当時のシショウくらい。ってことはシショウって大したことなかったのね(^^;」なんて思えるようになります。

では、また。

そうそう。私と打つとやけに必死になってお礼を言う人がいますが(笑)。私にとって、シタテの方々と打つことは楽しみであり、そして勉強にもなりました。私にとってそういう意味があるからこそ、ハッピー・マンデーに居続けたわけですから。

みなさん、どうもありがとうございました。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2004年06月13日

じゃっきーさんの碁 Variations

- テーマ

心の底から感動した。「感動」と書くとなんか安っぽくなっちゃうけど。

合宿(「ふれあい囲碁祭り」という箱根での催しを「合宿」と呼んでいます)で見たじゃっきーさんという女性の碁。彼女は今、私と逆コミ百目で打って十四目負けちゃうくらいの実力。その彼女が合宿前に私に尋ねてきた。「前田さん、五子局ってどう打てば良いんでしょう?」。

私は。自戒を込めて言うんだけど、級位者のうちに相手に石を置かせることは大反対。白番は手がどんどん荒れていくし、黒番は恐怖感で碁が打てなくなる。身近に適切な批判ないし指導をしてくれる人がいなければ、級位者の置き碁は「棋歴五十年2級」への最短距離だと思う。

彼女相手に、ちょっと石を並べてみたりしながら解説もどき。主に布石感覚の話をした。話をしながら、「まあそんな完璧に打てるようになるわけがないよね」なんて思いながら。

で、合宿の最終日。おそらくは彼女の最終局。私の対局の合間の短い時間ではあるけれど、彼女の碁を見ていた。

凄かった。あやうく、後ろからポカポカと殴りそうになった(笑)。あるいは私が女性であったら良かったのにと思った。女性であれば「凄いね、凄いねっ」なんて言いながら彼女に抱きつきたくすらなった(苦笑)。

局面は終盤だったんだけど、彼女が本当に「しっかりした五子局」を打ったことは、その局面からもわかった。相手を「騙している」ところもない。彼女なりの本手を打って、そして目算してみればほとんど追いつきかけている。本当かな? と思って三度も目算をやり直した。

打ち掛けにしようよ」。教室で打っていた碁ならば、絶対にそう言ったと思う。彼女と、その相手だった人にとって、この後のヨセは「運」みたいなもんだろう。見たところヨセをしっかりと打てば白の勝ちになりそうな碁。でもそんなヨセが打てるかどうかはわからない。勝敗の結果で、ここまで素晴らしい五子局を打った彼女の努力を否定するようなことになったら悲しい。

私の対局後。同じく対局を終えたじゃっきーさんに会った。「良い碁だったね!」と言う私に、彼女は「せっかく教えてもらったのに負けました。すみません」なんてことを言う。数目程度の負けだったそうだ。やはり「負け」という結果が出た以上、彼女の実力では、まだ自分がどれだけ凄い碁を打ったのかわからないんだろうな。「あのね、凄い碁だったよ。俺はむちゃくちゃ感動したんだから」。

そういう私を疑わしげに見る彼女。「え、そうなんですか? 私、『せっかく教えたのに負けやがって』と叱られると思ってたんですけど」と半分冗談のように言う。そうだ、彼女は私がマジギレ(苦笑)した姿も見ているんだな(笑)。教室でこばぴを扇子音(?)高く殴りつけた(笑)ところも見ているんだ。

「あんな碁打ってて、叱るわけないじゃないか。本当に凄かったよ。あんなに打てるとは思わなかった。あれだけ打てるなんて凄い!」。言いながら盤面を思い出してみた。

(私の「指導」も含めて(笑))「いろんなことをヒントに、私に逆コミ百目で勝てない初級者が、一所懸命に素晴らしい碁を打ったんだ」ということが一目でわかる盤面。どう打つべきか悩んでいたじゃっきーさんの姿も浮かぶ。

「俺、関西人だったな」。突然そんなことを思い出した。「関西人である以上、褒めっぱなしで話を終わるわけにはいかんじゃないか。どっかで話にオチをつけなくちゃ」。

冗談めかしてオチにしようと思った。「俺ね、君の碁を見ていて涙が出そうになったんだから」。

そう言った私の目には、不覚にも涙が浮かんでいた。

結局、話自体にオチを持ち込むことには失敗したわけだ。でもエラソーな私が、人の碁を見て泣いちゃったこと自体がオチになったよね(笑)。本当に素晴らしい碁でした。「ありがとう」なんて言うのは変かもしれないけど、でもあんなに良い碁を打ってくれて、本当にありがとう。

投稿者 前田博明 : 23:30 | トラックバック

じゃっきーさんの碁 Variations (2)

- 級位者と置き碁とシタテ打ち

手が荒れてきてますね」。

これは私のことをとても評価してくれている棋院職員の方が、しばらく前の私の碁を見てぽろりと出した本音。言われた瞬間はとても傷ついた。「シタテとばかり打っていると手が荒れるんですよ」。そうも言われた。その言葉も、いろいろとあってハッピー・マンデーに拘っていた私を大いに傷つけた。

もちろん、こちらが傷ついてしまったのはこちらに思い当たることがあったから。自分の手が碁になっていないようには感じられてた。それに棋書にはよく「二子程度のウワテと打つのが上達の早道」なんて書いてある。自ら望んで級位者の集う教室にいた私。「もうちょっと実力をつけないと、ハッピー・マンデーにいる意味もなくなるんだぞ」と、怯えてもいた。

残念ながら碁会所などに行く勇気もなかった私。とにかく棋書を買って勉強し、そしてたまに打って貰えるウワテの方々の打ち方を必死に覚えようとした。

「ウワテの方は、シタテに石を置かせるときも、最初から勝つに違いないと思いながら打つんですか?」なんてことをウワテの方に質問したこともあった。「置き石があるんですから黒の形勢が良いのは当たり前。で、こちらは普通に打つんですよ。それで形勢がよくならないんなら置き石の数がおかしいんです」。そんな回答を聞いて、ちょっと安心するとともに、「普通に打つというのはどういうことなんだろう?」と、いろいろ悩んだりもした。

ようやく。自分に「初段」の自信がついてきた頃から、シタテに対して「ちゃんとした(当社比(笑))」置き碁が打てるようになってきた。シタテが私に勝って、そして石を減らしてくる喜びが感じられるようになってきた。相手によって「ウワテから攻めるべき箇所」の選択もできるようになってきた。

私の、級位者のうちの置かせる碁は滅茶苦茶だった。シタテの人たちに迷惑をかけたと反省してる。そしてそれは自身にも跳ね返って、成長を遅らせることに繋がったと思う。

級位者のうち、置き碁はなるべく避けるべきだと思う。どうしても打たなくちゃいけない場合には、ときに腹立たしく感じることもあるだろうけれど、ウワテに自分の碁を見せて、ひどい箇所を指摘してもらった方がいい。級位者のうちにする「勝ち負けを競う置き碁」は、自分自身と、それから相手にとっても、百害あって一利なしになる可能性が高いのだと思っていて欲しい。

手が荒れていますね」。そういう言葉をウワテから聞くのはとてもショックだ。とくに自身に「指導碁」のつもりがあるときには。受けたショックから抜け出せないんじゃないかと思うくらいにショックを受ける。そうなる前に、なるべくなら無意味な置かせ碁を避けて、実力向上を目指すべきだと考えてる。

投稿者 前田博明 : 23:25 | トラックバック

じゃっきーさんの碁 Variations (3)

- 言葉たち

■ 「私、前田さんの碁が好きですから」。
1年くらいも前になるのかな。壁にぶつかって、碁を打つ自信をまったくなくしていた私に対して、とある女性が言った言葉。弱いくせにエラソーに(苦笑)、「俺と打っても、その人のためになんかなりゃしねー」なんてことを(いや、本当にエラソーだ(笑))ウェブに書いた。その記事を読んで、照れながら彼女が必死に言ってくれた言葉。

いくら厚かましい私でも(爆)、さすがに「そうか、この子は俺の碁が好きなんだな」とは思わなかった。でも、さほど親しいわけでもない私を、一所懸命気遣ってくれているんだなとは思った。その気遣いが嬉しかった。

そういうことを言わしめた気遣いが、荒んだ気持ち(笑)を慰めてくれて、そして今の私に繋がっています。


■ 「今の前田さんになら負けても納得いきます」。
これは実名を出して問題ない。こばぴの発言。彼女は、言うなれば私の一番の被害者だ(笑)。扇子で教室中のみんながびっくりするくらいの音を立てて殴られることはさておき(爆)、級位者だった私にむちゃくちゃな指導碁という名のいぢめをくらって碁を壊した。一応「こんな碁に負けても悔しく思う必要なんてないんだよ」とフォローはしたものの、彼女は相当に悔しかったに違いない。

「ちょっと互先で打ってみようか?」。最近になって彼女と互先で打ってみた。50手ほどならべた時点で、盤面に置かれた石の形は既に碁になっていなかった。そこで出たのが彼女の発言。

私は強くなりました(笑)。そろそろ棋歴も二年になり、そしておたく心(苦笑)を持つ私は、徹底的に碁にはまってた。今なら、教室の生徒たちに「指導」できることも増えてる。

「今の前田さんになら負けても納得いきます」。この言葉は、私の「ハッピー・マンデー教室」に対する思いを認めてくれた言葉。彼女の意図以上に(?)私の心に響き、そして私を支えています。


■ 「合宿前に打ってみて貰えませんか?
勇気が必要だったろうなぁ。ハッピー・マンデーの、比較的新しい生徒が私に言ってくれた言葉。

彼女は私の傲慢さ(苦笑)も知ってるし、怒り出すと手が付けられなくなることも知ってる(大笑)。そんな私に向かって、彼女は勇気を振り絞って「打って下さい」と言ってくれた。

もちろん。彼女は「まあ教室では一番強いんだろうし、ちょうど良い練習になるかな」くらいに思っていたんだとは思う。でもこの言葉で、私は「ああ、教室にいて良かった」と心から思った。

実はあちこちで言いふらしている。「いえね、先日ね、教室の子が私に向かって『打って貰えませんか』と言ってきたんですよ。あはは。俺もちょっとは認められてきたみたいですよ」。この言葉もまた、彼女の意図以上に拡大解釈されて(爆)、私を大いに励ましてくれました。


■ 「ご指導頂けますか?
最近、教室の男性たちが掛けてくれる言葉。

前田さんは結局女好きなんですね」と、とある棋士に言われたことがある。まあそうなのかもしれない(爆)。でも本当は、ハッピー・マンデーの中では、男性と仲良く(仲良く、ってのもなんか変だけど)したいと思い続けていた。

「結局さぁ。俺が偉そうなのがいけないんだよね。なんか若ブッテいて、いつもだらしない服装をして、それなのにいつも若い女の子たちといる。そんな奴がいたら俺だって仲良くしたいとは思わないかもしれないもんな」。そう自省してはいた(笑)。でもそんなに若ブッテいるつもりはないし(苦笑)、だらしない服装は自転車通勤のせいだし、ハッピー・マンデー教室では若い女の子の比率が高いから、女の子といる機会が多いのもしょうがない(笑)。それに年下になら「教えてあげるよ」と言いやすいけど、年上の方々には「ご指導します」なんて言いにくいじゃんかね(笑)。

でも。ある方がまず最初に声を掛けて下さった。その方がうちのサイトを見ているのかどうかは知らない。でも「ご指導頂けますか?」なんて声を掛けられて、私は本当に嬉しかった。その方には同年代の仲間も多くいらっしゃり、その仲間の方々も声を掛けて下さるようになった。

自分から声を掛ける勇気を持たなかった私に、みなさんと打つ機会を与えて下さって、本当に感謝しています。「前田先生」と呼ばれるのはちょっとアレですけどね(笑)。


■ 「なんだ、強いじゃないか」。
ちょっと名前を出すのに差し障りがあるかもしれないので控えるけれど、とあるプロ棋士が言ってくれた言葉。一度、幸運に恵まれて指導碁を打って頂いた直後には言われた。「君、師匠なんて言われてるのに弱すぎる」。

「また来週打ってあげるから棋院に来なさい」。そう言われて私は棋院で彼と二度目の対局。今でもそうなんだけど、当時の私は重傷の「ウワテ恐怖症」。「ウワテの方が打って下さるのに、その碁を壊してしまっては申し訳ない」。そんなことばかりを考えて、手は縮こまり、思考はほとんど停止していた。

「俺は強くなる必要があるんだ」。そう考えて、「とにかく、もうちょっとちゃんとした碁を打とう」、と二度目の対局の前に、必死に自分に言い聞かせた。大袈裟でなく恐怖でふるえそうな自分を、「ここで見捨てられたら、強くなる事なんてできないんだからね」と叱責した。

「なんだ、強いじゃないか。初段だな」。二度目の対局の後、そのプロ棋士が言ってくれた。「今日の碁は残しておこうか」と言って、おもむろに売店で碁罫紙とペンを求めて棋譜を書いてくれた。「じゃあまた打とうな」と言って立ち去り際に、「そうだ、先日失礼なことを言っちゃったお詫びと、今日の碁の記念に」と扇子を頂いた。

一度目で完全に見捨ててしまっても良かった私に二度目のチャンスをくれて、そして認めてくれた言葉。この後、別のプロ棋士とも対局する機会があったんですが、そのときにはこの「強いじゃないか」の言葉が支えてくれました。後に対局した棋士の方も「ああ、やっぱり前田さんは強いんですね」と言ってくれた。二度目のチャンスを与えてくれた棋士がいなければ、私のウワテ恐怖症が(多少なりとも)改善することはなかったでしょう。

投稿者 前田博明 : 23:15 | トラックバック

じゃっきーさんの碁 Variations (4)

- 囲碁とハッピー・マンデーと私

この話はあまりに個人的な話で気持ち悪いです(笑)。一応、警告しましたからね(笑)。

主題であるじゃっきーさんの碁。私の囲碁生活にひとつの区切りを与えてくれました。

じゃっきーさんの碁を見る前日、私は友人に電話を掛けました。それは「囲碁とハッピー・マンデーと私」の話。

実は今。ハッピー・マンデーにいることが凄く苦痛なのです。今回の合宿への参加を躊躇っていたのも、その苦痛が原因。合宿の二日目の終わりに、ハッピー・マンデーをしばらく休むことを決意しました。「これからは、これまで関係のあった人たちとではなく、ひとりで碁を打っていくよ」。そう伝えました。

合宿の一日目。何かと私を評価して下さるウワテの方に言われました。「シショウはさ、あと1年くらいハッピー・マンデーにいなくちゃな」。「何言ってるんですか。私はずっとハッピー・マンデーですよ」。その時は口に出しませんでしたが、ずっとそう思ってました。「だってね、最近はこれまで縁遠かった年長の男性の方々も声を掛けて下さるようになったんですからね!」。

「苦痛」とバランスを測って、それでもハッピー・マンデーにいることが愉しい、とそう思ってました。えと、「信じようとしてた」とか「言い聞かせていた」のかもしれないけど。

でも弱い奴は、苦痛を感じると、だんだんと人間性までおかしくなっていくんですよね。

上の「Variation」に書いてきたみたいに、ハッピー・マンデーは凄く嬉しいこと、愉しいこと、気持ちよいこと、勉強になること、etc. を与えてきてくれました。でも苦痛を感じる度合いが増えるに連れて、その嬉しさやなんやをちゃんと自分の中で評価できなくなってしまうかもしれない。きちんと評価すべきを評価できないのはクズだと思ってるのに、自分がだんだんクズ化しそうな気がしてくる。

自分の中で結論が出た合宿二日目の夜、眠れなくて、三日目は対局時間になるまで寝てました(ん? なんか矛盾だな(笑))。起きて慌てて対局場に行って。コンタクトのずれが気になってしょうがなくて。シャワーも浴びていない自分が気持ち悪くて。そしてトイレに行きたいなあなんて気を散らして。結局その碁は早々に投了。相手の方はきっと「なんて失礼な碁を打つ奴だ」と思ったでしょうねえ。

部屋に帰ってシャワーを浴びて、ずれたコンタクトを捨てて眼鏡にして、そしてトイレにも行って。そして気持ちを落ち着けて対局場に行ってみたのがじゃっきーさんの碁。

いや、「タイミング的にぴったりの時にじゃっきーさんの碁を見たから感動した」と言ってるんじゃないんですよ。彼女の碁は本当に「凄い」碁でした。

実は彼女の碁をネタに前にも記事を書いたことがありました。彼女と九子局を打ったときの話。彼女はそのときも、事前の私のアドバイスをきっちり消化して、私がこれまでに見た最高の九子局を打ったんです(ちなみに七子局で最高の碁を見せてくれたのはこばぴ。互先で私にいろいろと教えてくれたのはかおる)。そのときもちょっと感動して記事を書いたんだけど、関西人らしいオチが見つけられなくて結局公開しなかった。

彼女は。納得できる理由に基づいた説明があると、それをしっかりと消化するタイプなんでしょうね。今回のテーマである彼女の五子局も、タイミング云々じゃなくて、それ自体で感動しちゃう碁。

実際。彼女の碁を見たときには、前日電話で友人と話したことなど忘れていました。あとでそのことを思い出して、「そうか、これは天啓なのかな」と。

これまで存分にエラソーだった私(笑)。さらに傲慢に思いこみを言わせて貰うとさ(笑)。ある事件、なんてこのサイトでぼかす必要はないんだけど、でも「ある事件」をきっかけに、「初心者の人の指導ができるくらいに碁を知りたい」と思って居座り続けたハッピー・マンデー教室。そんな気持ちに、最近になってようやく実力が追いついてきた。

で、これがすごい傲慢な思いこみなんだけどさ(苦笑)「直前に俺に『五子局の打ち方』を聞いてきた子が、本当に素晴らしい五子局を打ってくれた」(笑)。これは「お前の望みは完遂されたぞ。だからもうお前の役割は終わったんだぞ」という天啓なんじゃないかな、なんて。まあ、苦痛が根にあるわけだから、「それは酸っぱい葡萄だよ」と言われれば反論はないんだけど(笑)。

でもともかく。「酸っぱい葡萄」ではあっても、本人の中で理論的に完結できるのが、クズ化しないための自己防衛なんでしょう(笑)。

これからしばらく、ひとりで碁を打っていきます。

でもね。月曜日と水曜日には棋院にいるんだな、これが(笑)。伸びた実力の運試しをしたい人。はやめに棋院にくればいつでも腕試しのメジャーとなりましょう(笑)。

今回の合宿で、えらく私を気遣ってくれたOさん、Sさん、Kさん。合宿の目標であった「途中で帰らない」を達成できたのはあなたたちのおかげです(笑)。ありがとうございました。

投稿者 前田博明 : 23:05 | トラックバック

じゃっきーさんの碁 Variations (5)

■ (補遺)偽・じゃっきーの報告

「ほほう、武宮先生の本を読んでいるんですか」。言いながら、中年のクセして短パン姿の野郎が、本を読んでる私に近付いてきた。「てめーよー。自分のうちの庭仕事してんじゃねーんだから、TPO を考えろよ」。そんなことを思ったんだけど、入ったばかりの教室で「敵」を作るわけにもいかないし。それにこの中年男。なんか態度がやけにでかいので、もしかして指導員とかだと後でいぢめられるし。

「ええ、なんか武宮先生は攻めの棋風みたいで、それが私に合ってるかなと思って」。いちおー答えてみた。「なるほどね〜。そういう意識なら三連星はいいですね。でも私は三連星が打てないんですよ」。えっとさ。誰かあなたに「三連星は好きですか?」とか聞きましたか?

「ちょっと打ってみますか?」。そう言っておもむろに目の前に座って、碁笥を開けてる。う〜ん、この態度はやっぱり指導員かなんかなのかもしれないぞ。こんな指導員がやってる教室ならどーせすぐやめちゃうから良いんだけど、でもまあせっかくお金も払ったんだからまあ様子を見てもいいかもね。

「え〜と、じゃあお願いします」。打ち始めた。取り敢ず私よりは強いみたい。なんか打ちながらぶつぶつ言ってるけど、何言ってんのかはよくわからない(苦笑)。なにしゃべってんのかな、この人。「俺は碁のことをよく知ってますよ」とアピールしてんのかな?

「ええ、そうです。三連星を敷くとそのような打ち方がいいんですね!」なんてなんか一人で納得してる。私は武宮先生の本を読んでるんだってーの。武宮先生ご自身の本で学んで、なんで指導員だかなんだかわからないあなたに私の三連星を評価してもらわなくちゃいけないんだって(笑)。

あとで聞いてみたらあの中年男。やっぱり指導員でもなんでもないらしい。何人かはあの男のことを「シショウ」とか呼んでる。なんなのかな〜。でも「シショウってどういうことですか?」とか聞いたら、また碁のときみたいに一人でぺちゃくちゃしゃべりだしそうだし。

ま、変な人もいるけど、ホンモノの(?)指導はプロの先生や、なんだかとても強そうな藤田という渾名のF先生がやってくれるみたいだしいいよね。でも今日のように突然「おや、打ちましょうか」とか言われると怖い。F先生に言いつけておこうかな?

と、それが私と前田氏の出会いでした。
その後評価が変わったかどうかはトップシークレット扱いとさせて頂きます。

by 偽じゃっきー

投稿者 前田博明 : 22:45 | トラックバック

2004年06月02日

ハッピー・マンデーでも二子局 −フリー対局−

「久しぶりの二子局」なんてことを掲示板に書いているうち、ハッピー・マンデー教室でも二子局を打った。相手は久しぶりのKさん。男性陣の中では今や私の次に強いくらいかな? 箱根の囲碁合宿には初段で出場とのこと。


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これが先日の千寿会、および今日の二子局の布石。初手はもちろん小目で、黒空き隅の後に締まってみた。最近はハッピー・マンデーでは七子くらいが多いので、自分が小目に置いて、さらにシマリまで打てるとなるととても幸せに感じるんだよね(大笑)。

この布石を最初に見たのはいつだったかなぁ。置かせる碁で初手に小目に置くなんて技法すら知らず、大いに驚いた記憶がある。その後見てみると、強い人は三子までの置かせ碁では初手を小目に置くことが多いみたい。星の数倍も定石があるので、ウワテにとってさばきやすい感じなのかな。

で、この碁。結局私の中押し勝ち。序盤は見損じはするわ、変なところで形を決めるわで、白にまったく良いところがなかった。中盤、黒が一手余計に逃げてしまった隙を突いてなんとか逆転。

Kさんは「よく読む」のでハッピー・マンデーの中でも有名なんだよね。ただ、「読み」に頼りすぎて(と、いうのは、私たちくらいの実力では読み漏れだって多いはずだから)、「アジ」にやや鈍感な気がする。最近の私は(手筋本の影響か(笑))「アジ」に頼って打っているところもあるので、それでやや打ちにくかったのかもしれない。


そうそう、脈絡はないけど「アジ」で思い出した。今日の「有段者の集い」。珍しく三度対局して一勝二敗だったんだけど、その二敗が笑っちゃう碁だった。

負け惜しみで言うんじゃないんだけど、相手の方があまりに「変な手」を打ってくる。序盤で私がちょっと攻めた所を逃げ出すんだけど、どんどん自らアジワルの形にしてしまっていた。

日頃「攻めは嫌いです」と言っている私。攻めたくはなかったんだけど、相手があまりに妙な形にするのでついつい追ってしまう。「美人は追うな」という格言(?)もあるそうだけど、この二局での相手の石は「美人」というよりも「貢ぎ物」。「そうかそうか。それまでもくれるか。くるしゅうない」。そんな感じで打ってた碁。

でも。

中盤になってふと気付いた。「あれ、そんなところにも俺の石あったの(爆)?」。

そう。なんか相手の貢ぎ物を頂いているうちに、ある部分にある自分の石の存在を完璧に忘れてた。ほぼ形が決まってから盤面を見渡して「あれ、そこの私の石、いったいなんなんでしょうね?」と。

結局二局とも私の忘れ去られた石を味良く取り込まれて、数目差で負けた。石をいくつか忘れ去っていたことに気付いて、いろいろと足掻いてみたんだけど、大ヨセの段階になっていては「忘れていた石」の復活など無理なことだった(爆)。

一日に二局もこういうことがあると(別に悲しみはしないけど)びっくりするよねえ…


で、私の対局を終えて教室を見渡していると、Oさんと言うか、Hさんと言うか、KGS というところから殴り込み(笑)にやってきた人が、私の弟子のササヤンと打っている。あれは五子局だったのかな?

見ると白は五子も置かせているくせに、まさに「大模様」が完成しそうなところ。ササヤンは相手の模様に気付かずにいるのか「なんか私の石、攻められてないから守っちゃおうかしら」とアサッテに石を置こうとしている。

う〜ん。置かせ碁ならば周囲から助言があっても怒りはしまい。そう思ってササヤンに「あのさ。この白、どでかい模様を作ろうとしてるでしょ? そういう模様を作られたら一気に追いつかれるから、ここはきちんと入っておかなくちゃいけないよ」と。

OさんないしHさんは、快く「そうですね」と私のアドバイスを受け入れてくれた(^^;。

そうそう。碁ってさ。下手なうちほど周りからのアドバイスを嫌うという一般原則があるね。もちろん勝負してるときなんかのアドバイスはあり得ない。でも教室ってのは、ヘタがうまくなろうとしているところだよね。少なくともハッピー・マンデー教室はそうだと思う。その教室に、せっかく先生や、ウワテの人たちがいるんだから、そういう人の助言や口出しは、たとえ相手の有利になる助言でも、聞く方がタメになると思うんだよね。急速に伸びる人ってのはたいていそういうアドバイスや口出しを受け入れている。

ササヤンはね。結局この碁に負けたんだって。最後「この石取られるわけないよね。取られたら終わりだよ」と言っていた石を取られたらしい(苦笑)。まぁ酒が入ってたみたいだからしょうがないか(^^;。


もうひとつ。

今日はこばぴを結構強くひっぱたいてしまった(^^;。自分でもびっくりした(^^;。

いやね。こばぴがヨセを打ってたんだけど、私は相手の人にいろいろアドバイスしてた。「う〜ん、ここは打っておきましょうか。後でここに打ったら相手は手を入れざるを得ませんから」。ヨセではよく出てくる言葉だよね。

で、しばらく後。先ほど話題にした所に石がきて、こばぴの手入れが必要となった。するとこばぴは何を考えているんだか悩んでいる。手入れしないと相手に十数目献上してしまうところだったんだけどね。

で、こばぴ。ようやく納得した表情をして碁笥に手を伸ばす。見ていた私は安心した。「そうか、俺が手入れが必要だと言っていても、自分でちゃんと読み直しているんだな」。

弟子の成長にうんうんと頷く私の目の前で、こばぴはまったく関係ない所に石を置こうとした。

後で手入れが必要になるっつってんだろうがっ! なにやっとんじゃ!」。

気付くと「ビシッ」という音とともに、扇子でひっぱたかれるこばぴがいた。自分でも驚いたくらいだからまわりの人はもっと驚いたんだろうなあ。あわてて「あら、前田師匠はスパルタね」なんてフォローしてくれていた(爆)。いや、フォローしないとこばぴが泣き出すんじゃないかと思えるようなひっぱたき方だったみたい(^^;。

ごめんね、こばぴ。俺もびっくりしたから許してね(爆)。

投稿者 前田博明 : 23:00 | コメント (2) | トラックバック