2003年03月26日

「ハッピー・マンデー クール終了にあたって」 −フリー対局−

今日で本当に、1月からのクールが終了。自分がある程度強くなったこともあって、非常に実り多いクールだった。

1番に嬉しかったこと。

それは自分なりに「指導」(偉そうだが、他に適当な言葉もないので)したつもりの人たちがあっという間に、とてつもない速度で強くなっていること。月曜日の記事に書いたけれど、私に四子で負けて「納得いかんっ!」と怒っていた女性。「再戦だっ」と挑戦状をたたきつけてきたので、返り討ちにしようかと思ったところ、逆に私が中押しで負けた。

彼女は1月にハッピー・マンデーにデビューして「十九路盤で打てるようになるといいな」くらいの気持ちで打っていたそうだ。しかしながら非常に勉強熱心で、対局中も非常に頭を使う。私の6ヶ月時点の実力まであと一歩、というところまで伸びている感じ。ハッピー・マンデーの中でも既に「上級」扱いで良いと思う。

他にもいろいろと対局中に「呟き碁」形式(掲示板参照)を導入して、「ここはだめでしょ?」なんて言ったことを、次の対局にはしっかり活かしてくる人も多くいた。

人にアドバイスをして、そのアドバイスを受け入れてもらえるくらいには、私も成長したということか。

追記:
ここに書いた女性からクレームがきた。 実力が伸びたのは「私」のおかげではなく、私の「貸してあげた本」のおかげだそうだ(爆)。ちなみに貸してあげたのは「序盤の打ちかた」(小川誠子)。

ふ。まあいいよ。この本の素晴らしさを発見して人に勧めるだけでも俺の役目が果たせたんだから。

弟子も。

美人である特性に「身体を張ったギャグ」(1月27日の記事参照)をミックスし、今では「ファンキーな先輩」としての地位を獲得しつつある(笑)。

実力の方も、本人は「伸び悩み」だとか「私はやっぱり向いていないのかも」なんてブツブツ言いつつ、しっかりと伸びている。

ただ可哀想なことに。私は弟子に負けることはホントになかなかカンベンならない(笑)。なので、実力に応じた置き石で師匠と対戦できず、師匠との「勝負」を通じて伸びることがなかなかできない点だ(爆)。

ただ今回のクール。あまりに悲しいできごともあった。それについてはあまり触れない。私たちは「事件」に目を向けつつ、「事件後」を生きてる。「事件」なんてない方が良かったのは言うまでもない。しかし「事件」を通じて、私はいろんな活動を始めている。多くの方の協力も得られた。また、私とは別個に動いていた方々との協調作業もできそうな感じ。

「事件を無駄にしない」とは言いたくない。しかし、「事件」をきっかけにいろいろと動き始めてはいる。

追記。

今日、私に挑戦状を叩き付けた人との対局の後(笑)。自称23級という人と対局してみた。最初は五子で対局してみたんだけれど、どうも23級という感じではない。まだ「石の効率」などをきちんと理解はしていないようだったけれど、「石の形」はなかなか綺麗。

「では序盤だけちょっと互先の形で並べてみましょう」と並べてみる。で、中盤まで済んだところで「藤田というあだ名のF先生」を呼んだ。

「F先生、彼女、23級と言っているんだけど、それはおかしいでしょ?」
「え、この対局は…」
「互先ですよ」
「変な手というのは全くなさそうですね。23級ということはないですね」

うむ。これまで彼女とはほとんど話をしたこともなかったけれど、対局してみて良かった(強引に私が彼女の目の前にあった碁笥を開いて対戦を強要したのだけれども(笑))。自信を持って、着々と進歩して欲しいと思ってる。

と、いうわけで。「偉そう」な(自称)師匠と、美人な(他称)弟子は次のクールにも参加します。新たに参加される方がいらっしゃれば、ぜひよろしくお願いします。

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2003年03月24日

「最後の授業」 −講義−

孔令文先生は明日から日本語を使わない…

とかいう「最後の授業」ではなく。1月からの「ハッピー・マンデー」のクールで、講義が行われるのは今日が最後。これで弟子の棋歴は6ヶ月となり、私の棋歴は9ヶ月となった。

講義。

今日の講義は孔令文先生の「世界碁会における日本の碁」。

いろいろと意見のあるところだが、日本の碁は「芸道」としてとらえられ、その方向での進歩が非常に大きいことは否めない事実だろう。これは孔令文先生のみならず、多くの人の意見が一致するところだと思う。

孔令文先生曰く。中国・韓国は「いかに勝つか」の研究が非常に進んでいる。詳しくは書かないが、孔令文先生は中国棋界と非常に深い関係を持つ人。しかし。「僕は子供の頃から日本で、日本の碁を学んで育ってきた。そして日本の碁の奥深さはまだまだ世界で活躍できるのだ」ということをおっしゃっていた。

失礼な意味で言うのではないが、孔令文先生は現在4段。普通の「囲碁ファン」はあまり名前も知らないだろう。しかし、「なんかやりそうな」雰囲気を持つ。いつか大きなことをやってくれるんじゃないかと期待していたりする。

ちなみに帰り際。孔令文先生とちょっと話をした。先生曰く。「前田さん、ページの更新さぼっているでしょう?」。先生はまだ私の昔のサイトをご覧になっていたらしい。うむ。

情報戦で負けているぞ!>孔令文 (爆)

いや、その。

新しい URL もお伝えしましたので、機会があれば「かおるの小部屋」にもお越し下さいませ。

対局。

掲示板の常連の「くろねこ」という女性と対戦。彼女は今年の1月にハッピー・マンデーに参加。「十九路盤で打てればいいなと思って始めたんです」という彼女。私たち師弟に負けないどころか、上回るペースで成長している。

対局は四子。

序盤に彼女の勘違いないし、私の「偉そうな態度」に対する怯えからか十子ほどを殺してしまった。四子の実力差があれば、ここからは差が開く一方の展開のはずだった。しかし彼女は見事食らいつき、大寄せの段階での差は五目ほど。

つまり。序盤に石が死んでしまったのは「事故」だったということ。次のクールで彼女は私に追いついてくるかもしれない。

と、私はこう褒めているのに、彼女は私に負けたことが納得行かず、水曜日の再戦を求め挑戦状を送りつけてきた(笑)。まあ。負けた相手に再挑戦できる気持ちを持っていれば、今後もますます成長していってくれることだろう。

弟子。今日も弟子の碁を全く見られなかった。

対戦相手は私が先日三子置かせて負けた女性。この女性はすごくしっかりとした碁を打つ。「薄さ」でゴマカス(笑)私たち師弟の天敵のような碁敵だ(苦笑)。

弟子は結局二局打って一勝一敗だったとのこと。うむ。弟子は師匠の悪いところはきちんと批判的に継承し、弟子なりの打ち筋を見つけていっているらしい。

棋歴6ヶ月の弟子。碁会所などに打ちに行っても「7級から10級くらいです」と名乗っておかしくない。私と互先で打つ練習(勝負は3子〜4子、指導碁は2子)をして、あっという間に敗勢になることから自信を失ったりもしている弟子だが、着実な進歩に師匠は喜んでいる。

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2003年03月12日

「初めての九子局」 −フリー対局−

はじめて、相手に九子置かせて碁を打った。

まあ。私に九子局を戦いきる力がないのはわかっているんだけど、相手の人が五子でも面白いようにこちらの「嘘手」にひっかかり、「もう九子でしょう!」と言うので打ってみた。

序盤。左辺および下辺の戦い。このあたりまでは結構「普通」に打つことができたように思う。左辺および下辺だけで見ればこちらが優勢な感じ。しかし残った右・上辺の相手の石がやけに固まっている。

本当に九子を置かせる実力のある人なら、こんなふうに固めたりしないように打つんだろう。気付いたときには時既に遅く、相手の断点を頼りに「騙してみるしかなかろう」と強引な無理手。

こんな対局をするうちにT先生や他の生徒の人がやってきて、全員一致して相手の方の応援(笑)。私があまりな嘘手を打ち、相手が混乱してこちらの狙い通りの手を打とうとすると「ああっ、そこはっ!」なんて声を上げる(苦笑)。

結局。強引に右上に打ち込んだ石が生きてしまって私の勝勢。時間もなくなったのであとは手のあるところも手を入れず、ダメを詰め合って終局。結果は数目差で私の勝ちだった(^^;。

その前には、女子高生二人組のうちのひとりと対戦。五子局だったけれど、なんだか彼女は最近自信を失っている様子。まず右・下辺で私の拠点を固め、左辺を荒らしに行った石が生きた時点で彼女の投了となった。

「ここ、教えて下さい」と言っていたけれど、どうも着手のバランスが崩れている様子。不必要に守りを固めるかと思うと、荒らしに行った石を全部取りに行ったりする。

一手一手の着手はそんなに間違ってない。「間違ってない」というか、私のレベルとそんなに離れているわけじゃない。なので、生きも死にもある、という状況で私を攻めれば私の石は死ぬだろう。ただ「殺しに行くべきか、押さえ込むべきか」という判断にちょっと混乱があるようだ。

彼女は教室の中では、上手・下手グループで分ければ上手組。なので相手に石を置かせたりして戦うことが多かった様子。ただ今期の生徒たちは成長速度が速い人が多く、そんな人たちとの対戦で彼女の「混乱」が生じてしまったんだと思う。

細かいアドバイスは打ちながらじゃないとできないけれど、まずは「自分の判断力に自信を持って、着手の前にその判断力を使ってしっかり判断して着手する」ということかな。「最近やられることが多いから守ってしまおう」とか、「ここは相手が入って来すぎているから殺しにいってみよう」という「感覚」での着手をやめること。

弟子は。「噂のT」先生(掲示板参照)と九子で対戦したとのこと。二面の指導碁だけど、なんと一目差の善戦だったそうだ。

弟子に「まぁ、本気で勝負を挑むなら、俺とは四子か五子かなぁ」なんて言っているけれど(普段は二子局で対戦している)、実は思った以上に差が縮まっているのかもしれない…。ちょっと恐怖を感じた師匠ではあった。。。

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2003年03月10日

「石の形」 −講義−

今日の講義は「石の形」。

まぁ、「手筋」のようなものかな。実戦に出てきそうな形を取り上げて、一手の打ち損じで地を損したり、あるいは死活問題にまで発展するような形。そんな形を教わった。

ちなみに、以前孔令文先生が見ているときにやってしまった「抜き返し」の形(私は抜き返しを見損じて、危うく石を殺すところだった)も出てきた。

講義終了後。

孔令文先生といろいろと話をさせてもらった。で。先生が「あれは間違いでした」という前に書いてしまおう。「前田さんには九子で勝つ自信はないですよ」。先生がそう言った。間違いかもしれないけど、言うには言った!

先生は常日頃「私に九子で勝てれば初段です」とおっしゃっている。

ふふ。プロ公認(間違いかもしれないけど)の初段だ(^^)。

で、対局。今日は初めて対局する方と四子。最初に大石のアタリを放置したり、自らアタリの場所に突っ込んできたりするので「そこはアタリだからダメですよ」なんて言いながら対局。そんなことをしていると、なんだか敗勢になってきたので「ダマシ」で隅を奪ってみた(苦笑)。でもその後もアタリの場所を置き直してもらったりしていたので、結局数目差で負けてしまった。

地を数え終わった瞬間。ちょっと悔しかったな(爆)。でも上手が見損じのアタリを取るのもちょっとね…

相手の方は、基本的なテクニックはほとんどご存じらしい。ただ、ちょっと無駄な石を置いてしまうことがあって、その積み重ねで結構な損をしている感じ。まあ、私が隅を荒らしたりして、相手を萎縮させてしまったせいもあるのだけれど…

その後で、何度か日記に登場した女子高校生と対局。彼女の指定で二子局対戦。彼女、結構強くなってきてる。こちらの一手目をいきなり挟んできたり、石が接している中で一間に空いているところは必ず割り込むという変なところもあったけれど、いわゆる「布石感覚」は以前より向上している。中盤くらいまで負けるのかもしれないな、と思いながら打っていた。

ただ、まあこれは「好み」の問題もあるんだろうけれど、辺を相手に許しすぎるのは「甘い」と言えるかもしれない。私が初手にかかった石を挟んできて、そして私が両ガカリ。結局両ガカリにした両方の石を生きて、両辺ともほぼ私の地にしてしまったので、こちらには「保険」ができてしまった。

結局のところ。

中盤の後半になって。私が「このままでは細かい碁になってしまう」と、相手の模様をアラシにいったところでちょっと彼女のミスが続いてしまったみたい。私の生きていない石からの攻撃に丁寧に応手し、こちらの石を「攻める」観点が欠けていた。こちらも死活の不安を抱えながら石を伸ばしていたので、ここをもうちょっと上手に応じればまだ勝負になったと思う。結局は70目くらい対30目くらい。

以前は確か二子局で70目だか100目だかの差がついたので、私の進歩も考慮に入れて彼女は結構成長しているかな。

弟子。今日は弟子の碁を全く見られなかった。以前「碁笥と間違えて湯飲みに指を突っ込んだ」時に対局した相手と対戦したそうだ。弟子の捨て身の作戦が功を奏したのか、今日の後半はお互いに和みつつ対局を楽しんでいたようだった(笑)。

尚、弟子の仲間のおしゃれな女性は、黒番で対局して上手と思われる人に中押し勝ちしたらしい。この件、詳細は掲示板の方に書くことにしよう。

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2003年03月05日

「粘り強さ」 −フリー対局−

私の話ではないけれど。

弟子は妙に粘り強い。序盤で圧倒的に負けていて、「これは涙ながらの投了モードかな」と思っても、いつの間にか逆転している。しかも圧倒的に形勢有利になっていたりする。まあ一方で、序盤に圧倒的に勝っていても負けてしまうこともあり、一概に「粘り強い」とは言えないのかもしれないが。

まあ実は。私も大勝の形勢の碁をなんとなく負けてしまうこともあったので、そういう意味で師匠の弱点を受け継いでいるのかもしれないけれど…

ま、それはともかく。序盤で圧倒的に負けそうな形勢の碁をひっくり返すのは、たいていは「無理」をして、相手がその「無理」を咎め損なっているからだ。本来は凄く大きな差はひっくり返るものではない。

弟子の場合。普通の人よりは頻繁に、上手(と言っても私レベルだけれど)と対局する機会がある。なので、私の無理気味のシノギなどを見て「私もイケルかも」なんて思うこともあるんだろう。そしてそういう「シノギ」は下手相手には通用する。

ただ。碁は下手相手にいかに無理なシノギを完成させるかというゲームではない。上手に対して行えば絶対に許してもらえないシノギなど、実は「シノギ」ではない。

と、まあ偉そうに言ってるけれど、弟子と二子局になったらいきなり相手のアツミに突っ込んでアラシを成功させていたのは師匠の私だ(笑)。最近はそういう打ち方を反省して、しっかりと布石してから戦いに乗り込むようにしているけれど、師匠の悪い面をちょっと受け継いでしまっているんだろうな(苦笑)。で、師匠はそういう手筋で弟子を混乱させたのに、今弟子がそういう手を打つと「それはダメだ」なんて言われてる。可哀想な弟子だ(笑)。

そういえば。弟子は相手に模様を張られることが極端に苦手だ。自分より4、5級下の相手でも、三連星や中国流の布石を張られると自滅する(笑)。実はこれも師匠の以前の弱点なのだ(大笑)。本当にかわいそうな弟子だ…

弟子。秘策を授けよう(あれ、囲碁に秘策はないって前言ってなかったっけ?)。

模様を張られた際に、上手が打つような応手を打つ必要はない。「模様を張られる」ことが得意か苦手かは人それぞれだし、あと、経験積めば相手の模様などいつでも荒らせるという落ち着きも出てくる。そういう落ち着きがないうちに、上手が打つように「広い方からカカル」という棋理に則った打ち方をしていてもなかなか勝てないんだ。

模様を張られたら。狭い方からかかれ>弟子。君が対局するのはたいていは君より下手。で、あれば狭い側からかかったせいで、相手の模様が地化してしまうということもない。

例えば三連星を張られたら。普通は外側からカカルのが良しとされる。しかしそうしては、相手の模様が何となく地化してくる。経験を積まないうちは、その時点で自分が敗勢にあると勘違いし、無理手を打ち続けることにもなってしまう。

そうなる前に、相手の狭い側からカカッテみなさい>弟子。相手が下手ならそれだけで「地を荒らされた」と勘違いして打ち筋がボロボロになるだろうし、君と同レベルならば、そこで「模様」は消えて通常の戦いに転換できるはず。

但し。その打ち方が「応急処置」であることは意識しておきなさいね。いつか上手になったら、上手風に外からかかっていけるようになろう。

だいたいにおいて。模様で勝負する碁なんてのはトテツモナクムズカシイものなんだ。君がアタフタしなければ、模様碁だからといって負け続ける理由はないのだよ。

ちなみに。私が相手の模様にビビらなくなったのは今年に入ってからの話。君は師匠の悪いところも覚えてしまうけれど、トータルで見れば師匠の倍の速度で成長してるんだ(^^)>弟子。

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2003年03月03日

「手筋」 −講義−

今日の講義は「手筋」。

手筋にもいろいろあって大きく分ければ「攻め」と「守備」。細かくわければ「石を取る手筋」、「切断する手筋」、「形を崩す手筋」、「ヨセの手筋」、「連絡する手筋」、「形を整える手筋」、「サバキの手筋」、「キメル手筋」などがある。

私は。この「手筋」が苦手。本はいくつか持っているけれど、「詰碁」、「序盤」に比較して数ランクは難しく感じる。まあそれも無理のないことで、「手筋」を語るには「石の形」を知らなければならない。「石の形」は、ときに正解がないのではとも思うくらいに難しい問題だと思う。また、断片的に「手筋」を覚えても、その場が手筋を発揮すべき場所なのか否かの判断も難しい。

『やさしく解けるポケット手筋180』(日本棋院)なんていう初級者向けの本でも、とても「やさしく」は解けない(苦笑)。

対局。

本日は弟子とともに、インストラクターの方と井目(9子)で対戦。インストラクターの方の二面打ち。いつもは(教える余裕を持ちたくて。一説にはただ負けたくないからという話も…)弟子と二子で打っている私。なぜにインストラクターの方と打つときには同じ井目打ちなのかということは取り敢えず拘らずにおこう。きっと上手から見れば私と弟子の差などないに等しいのだ(苦笑)。

で、対局。開始前に「さすがに井目では負けないだろうさ」と(根拠のない)自信を持って臨んだのが良かったのかもしれない。80目以上の地を確保して、後半は「守り」で勝ちきった。

そうはいっても。実は最初の20手くらいはひどい碁になってしまった。相手を攻めてるつもりがあっさりと囲みを破られ、「これはひどいな」と感じた。しかしさすがは井目。第一の囲みを破られても、簡単に第二の囲みで相手を囲いきれる。あまり九子置いて打った記憶がないのだけれど、「こんな簡単? どっかに罠がある?」と逆にビビッテしまう展開ではあった。

自分の対局を終えて、隣で打っている弟子の盤面を見る。なかなか良さそうな盤面、、、と思ってよく見るとひとつの隅が全部死んでいた。なんでも、相手の石を取れば問題なかったところを、なんとなくウケてしまって死んでしまったとのこと。

弟子はこれが相当にショックだったようで、教室後の食事中もずっと「私ミスばかりだ。やっぱり碁に向いてないのかもしれない」なんて言い続けていた。

弟子よ。君は今、「カカリの方向」だとか、「アラシの方法」だとかいうことで悩んでいる。それはそのまま師匠がちょっと前に悩んでいたことだと理解しろよ。それに九子で打てば、相手は隅のひとつくらい殺さないと勝てないわけで、そこは上手の手筋で隅を殺しにくる。それで殺されたくらいでショックを受ける必要はないさ。

師匠はさすがに先輩で、さらに病的に(?)本を読んでる。師匠の言うことが難しくても心配ない。去年の師匠の日記でも読んで「あら、私に指導し始めた頃でもそんなことで悩んでいたの?」と気楽に考えれば良いのだ(笑)。

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2003年02月26日

「七子局・呟き碁」 −フリー対局−

今日は六子局、七子局で対戦。六子局では、初めて「対局時計」なるものを使ってみた。講師の藤田先生(ああ、実名書いちゃった)が、「じゃあハンデで前田さんは15分で」とおっしゃる。時間を計って対局したことのない私は「まぁ、15分もあれば良いんじゃない?」なんて思って甘く考えていたけれど、15分じゃあぜんぜん時間が足りなかった。

七子局。こちらも厳しい戦いだった。私が生意気にも七子置くもので、講師の方々がよってたかって私をいぢめるのだ(苦笑)。曰く、「前田さん、そんな手合いじゃないでしょっ」。「その薄い石、どうするんですか」。「なんのために入ったのかわからなくなってませんか?」。「その白石攻めれば取れますよ」。「その白が取ったことにしてる黒石、まだまだしのげますよ」。

などなど。

そりゃね。七子置いた時は自分でも「生意気なことやってるな」と思ったさ。対局時計に続いて、七子も初めての経験だったから、どう打っていいのかよくわかんなかったさ。でもそんなにいぢめなくてもいいじゃんね〜。いぢめられて思い出したんだけど、私も月謝を払っている生徒なんだよなぁ(苦笑)。

対局結果? 六子局は1目勝ち。七子局は打ち掛け。

弟子。

弟子は私が最近提唱する(?)「呟き碁」を実践していた(笑)。この呟き碁、ようするに自分の意思を常に口に出しながら打つ碁。

「その辺に先着したいんだけどどうかなぁ」とか、「あれ、あの石切れるんじゃないの?」など。「この石、死にそうな気配もあるけど、しばらくは生きてるふりをしてみよー」とか。

なぜこんな「呟き碁」などを提唱しているか。

囲碁は「手談」と言われることもあって、対局中は話などしないのがマナー。でも初心者のうちは「手談」と言われても、盤面の石が何を話しているのかなんてわからない。相手の石が逃げていても自分が攻められているのだと勘違いして守りに入ったりする。

ほうっておけばそのような人も「手段」ができるようになるんだけれど、でも「呟き碁」の導入によって「手段」に慣れる速度があがるんじゃないか、なんて考えたわけだ(エラソー(笑))。

本当に成果が上がるのか?

実は教室に行く前に、弟子と石を置かずに「呟き碁」を打ってみた。

弟子は私の意図を次々に外しながら(呟き碁だからあたりまえだっつーの(笑))、最後には私の大石を殺して中押し勝ち。

そう、この「呟き碁」。確かに成果は上がるのだ(涙)。

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2003年02月24日

「ノータイムの一着」 −講義−

今日の講義は「次の一手」。特定の形になれば「ノータイム」で打たねばならない一着がある。手を抜けば自分の石を殺されたり、あるいはヒドイ形(石が全く効率的ではないとか、相手の石がやけに得をしているとか)になるケース。

このノータイムの手。打てるようになるまでには結構時間がかかるんだよな。たとえばよくある隅近くで相手がカカッタ自分の石にコスミツケた場合。最初のうちはついヒラキを打ちたくなる。この石を普通に上に伸びることができるようになるのは時間がかかる。

また、星への着手を両ガカリにされると、つい三々の方に逃げたくなる。これをノータイムで中央へ顔を出せるようになれば、ちょっとは碁がわかってきたということ。最初のうちは、なんとなくヒラキや生きが何者にも代え難い大事な手に見えてしまうのだ。

尚、講義の最初に囲碁を打つマナーのような話もした。私に実践できていないのは「打つ場所を決めてから石を持つ」ということ。なんだかいつも碁笥に手を突っ込んでいるのだ<私。ただこの悪癖。冬場で石が非常に冷たいので徐々に改められつつはある(笑)。

インストラクターの方曰く。「ずっと碁笥に手を突っ込んでいてはいけませんよ。そう言えば以前、碁笥と間違えて湯飲みに手を突っ込んだかたもいらっしゃいましたけど、それもいけません」(笑)。そう、その当事者はもちろん私の弟子だ(爆)(1月27日の日記参照)。

対局。今日は三子局で二戦。中押し勝ちとなった一局目は結構うまく打てたように思う。三子局であるにもかかわらず、淡路九段が囲碁入門教室(毎週日曜日にNHKで放送)で言っていた「後手でしっかり打つ」を心がけてみた。結局相手は、相対的判断で自分の方の石が弱く見え、その手入れをしているうちに私に地を稼がれてしまった形。

でもそれで調子に乗った馬鹿な私は二局目で大敗ムード。負けるのもイヤだな、と変な手を打って勝ってしまったんだけど、相手が応手を間違えなければ相手の勝ちとなるはずだった。

弟子の対局はあまり見ていないけれど、近くで打っているので声は聞こえてきた。やはり二局打って二局とも十目くらいの負けだったとのこと。そうか、まだ弟子に勝つ人はいるんだな。3月の講座終了時までには俺以外に負けないくらいになれよ。俺にはずっと負けていいから(笑)>弟子。

後刻食事しながら弟子に聞いたところでは、この日の対局では「裾空き」が気になってしょうがなかったとのこと。ふむ。これを機会に「裾空き囲うべからず」という格言があるのを覚えておきたまえ>弟子。まあ、死活に関わる場合に手を入れて囲いにいってもしょうがないんだけど、そうじゃなければ、相手と攻め合っているうちに、勝手に囲われてしまうまで手を入れたくない。相手が裾空きを狙う素振りをすれば、上に伸びて脅かしてやればいい(笑)。

この「勝手に囲われる」感覚を掴むのはなかなか難しいんだけど、東大囲碁部の人も言っていた。囲いにいくというのは、すなわち自分の地の境界線を自ら決めてしまうこと。以後にあるかもしれない発展の可能性を自ら消しているわけだ。

この日の私自身の対局でも、中盤で自ら求めて自分の地を確定させた手は2つくらいしかなかった。そうやっているうちに地は「生じて」くるんだ>弟子。

尚、以前も何度か登場している教室内のホープ、美人のSさん。

そうそう、弟子の話によると彼女は20歳だとのこと。う〜ん、あまりそのくらいの年齢の人に美人だとかなんだとか言っていちゃいけないかな(笑)。「うるせーんだよっ、おやじっ!」とか言われると(ちょっと)寂しいしな。

で、その彼女は、これもやはり前に登場した攻撃好きなSさん(最近攻撃一辺倒を改めている様子)と対局。二局やって1勝1敗だったそうだ。うむ、この進歩は早いぞ。繰り返しになるけれど、この攻撃好きな方の(笑)Sさんと対局してから私はスランプに入り、そこから抜け出すのに時間がかかったことを考えれば大したものだ。

帰り間際、彼女と少し話した。「私も早く強くなりたいですっ」。うん、彼女は本当に強くなりたがっているように見える。いろいろな勉強もしているみたいだし。序盤に関する本をあまり読んだことがないということだったので、たまたま手元に持っていた『序盤の打ちかた』を貸してあげた。この本は恐ろしい本で、「うまくなりたいっ」という強い意志を持って読めば、誰でも3〜5級くらい棋力が上がってしまう本(この本の話もあちこちで何度も書いた)。

「俺は大人だから、本だけはいくらでも買えるから、『こういう分野の本が欲しい』と思ったら言ってみてね。貸してあげるから」。そんなふうに言ってから「ああ、こういう言い方がオヤヂくさいのか」と反省した。

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2003年02月19日

「定石とタイミング」 −フリー対局−

最近もまた自分の棋力向上を日々感じる私。今日は下手の方、2名と対戦。

最初の方(今年の1月に碁を始めたそうだ)と打つときに「何子置きますか?」。

何気なく出てきた自分の言葉にちょっとびっくりした。以前までは、相手に三子以上置かせるのは、はっきり言って恐怖だった。碁では、隅がもっとも地を作りやすく、そして効率も高い。辺の発展性や厚みの活かし方など全くわかっていなかった私は、二子置かせるだけでほぼ勝利を諦めてしまうような実力だった。

ところが最近。上手の方に五子で打ってもらったりしているので、逆に相手に五子置かせた時にどのように戦うべきかということが理解できてきた。昔は三子も置かせれば「騙し手」連発で勝利をもぎ取っていたんだけれど、最近は敗勢明らかなときしか騙し手を使わずに済むようになった(笑)。ま、敗勢明らかになれば、ちょっとは上手の意地を見せておかなくちゃいけないかな、なんて思って…。もちろん言い訳だ。

思うに。

最近になって、ようやく「ヨセ」以外の局面での先手・後手を意識できるようになったのだと思う。「ヨセ」の局面での先手・後手はわかりやすい。しかし中盤の戦いは相手が受けようが受けまいが関係ないところに置いてしまいがち。孔先生にも言われるけれど、「かわいそうな手」を打ってしまいがちだったわけだ。「あなたの打った手。私がこう受ければイラナイ手になるでしょ?」。

そんなことを言われてイジメラレていた私。最近になって「なるべくかわいそうな石を作りたくない」と、一手一手の意味を考えることができるようになってきた。

結局二局ともに勝利。最初の方は、いわゆる定石的な手よりも得をしたい、と無理手を打つ傾向があるようだった。確かに初級者同士で打っていると、定石よりも「ガンバル」手を打てばそれだけ得することが多い。しかし上手と打つとその「ガンバリ」は結果的に咎められ、定石よりも損をすることが多い。

まあこの「損」は体験してみないと理解できないので、上手と打つときにはもっともっと「ガンバル」手を打って、その手によって生じる結果を体験してみるのも良いんじゃないかな。

二番目に打った方は「先手を取りたい」という意識は持っているんだけど、それをうまく実戦に活かせない感じだった。ちょっと一カ所での戦いで、最後までキメすぎる感じかな。キメて得られる利益と、よそに回って得られる利益の比較がまだできていないのかもしれない。

まあ、「よそに回るタイミング」なんていうのは「碁の本質」みたいなところ。「ここはどれくらいの得になるんだろう?」ということをもっと意識して打てば、先手を取って相手を攻めることがでできるようになるだろう。

弟子は。おそらくは教室で私の次ぐらいに強い女性と対戦。「今度彼女と打たせてもらいなさい」と言い続けていたんだけれど、今日は彼女が入ってきた瞬間に「あ、いいとこにきた。弟子と打ってやって下さい」と。

相手の女性にコートを脱ぐ間もほとんど与えず(笑)すぐに対局開始。私の判断ではいい勝負になるが、最後は相手の方の棋力が上回るだろう、という感じ。

ところが。

弟子が秘密特訓でもしているのか、相手の方が弟子をナメタのか。序盤はいきなり弟子の大きなリード。そこで師匠はもちろん弟子にプレッシャーをかけた(虎の穴方式)。「君ね、この序盤を見て黒白どっちが持ちたいかと言えば、百人中百人が黒を持ちたいと言うよ。これで負けたらかなりショックでかいよ」。

弟子も序盤での優勢は十分に意識していた。

しばらく席を外し、十分後くらいに戻ると局面がやけに紛れていた(笑)。相手の女性の方は、師匠である私が見ている間は緊張していたんだろうか? 私の指導のおかげで手抜きすることの大きさ、先手を取ることの重要さを意識している弟子。しかし、局面が紛れたときに、手抜いたところに手を入れるべきか否か、弟子は混乱してしまうらしい(笑)。かつ、今日相手をして頂いた相手は混乱が深まれば深まるほど、そこにシンプルな着手を見いだして大成果を上げるのを得意としている(彼女も私同様、インケンなところがあるに違いない(笑))。

結局弟子は混乱の中で石を殺させてしまい、敗戦となったようだ。弟子よ、優勢であれば1手の損をしてもシンプルにした方が良い局面もあることを覚えておきなさい。

この戦い、弟子はかなり印象に残ったらしく「あそこで手を入れていれば」とか、「あそこで違う風に打っていたら」などと一所懸命検討していた。うん。さらに弟子にプレッシャーをかけておくことにするか。

弟子よ、次に打てば君は必ず勝てる。序盤であれだけリードしていて負けるわけがないんだよ。

ふ。相手の方にもここを見てもらって「何言ってんの? 私の方がまだ上でしょっ!」という勢いで、弟子を鍛えるお手伝いをして頂こう(笑)。よろしくお願いします>相手の方。

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2003年02月17日

「手筋」 −講義−

ハッピー・マンデー教室の中でも、いろんな方がこのサイトを読んでくれるようになった。だから書いておこう。「今度の水曜日は私の誕生日です」。いえ、ちょっと仕事が忙しいもので、「お誕生会」はご遠慮申し上げますけれど、プレゼントはあのその。

で、今日の講義は「手筋」。講義の前に先生に「えへへ、私ね、土曜日に五段とかの人と対局して、もうあなたは初段間近だとか言われたんですよ」なんて生意気な口をきいたもんで「前田さん、このくらいのプリントはすべて簡単でしょう」と。いじわるだなぁ>孔令文先生。でもあのくらいだったら問題なかったですよ(ふっ)。

でも。実は「手筋」は難しくて悩んでいるポイントではある。いろんな「手筋集」のような本を買って読んでいるんだけど「相手を押す手なしに追い込みましょうっ」という問題がなかなか解けるようにならない。なんだか死活とかとはまたちょっと別の発想が必要な感じ。何度同じ問題を解いても間違い、自分の中で結論付けた。「うん、この問題集がすらすら解けるようになれば楽々有段者だ」。いや、まぁ。「すっぱい葡萄」のように、今の自分に解けないことを合理化しているだけなんだけれど。

講義の後は対局。弟子が比較的最近に二子置いて負けた人と対戦。インストラクターの方曰く、「相手の方に三子置いてもらってください」と。「私は弟子と二子でやってるんですよ」等々、三子を回避しようと抗弁したけれどインストラクターの方の決意固く、結局は三子局。今日の相手は私も「きっちりした碁を打つ人だな」と感じている人。こんな人を相手に三子置いてもらうのは、いつも以上に緊張する。

で、緊張したままの序盤、4子の要石を取られた(爆)。しかし「合理化」の得意な私。「うん。そうそう。この石は確かに要石だったんだけど、それはあくまでもこの局面での話さ。全局的に見ればたいしたことないね」。強がってみた。

その強がりが功を奏したのか、最終的には48目対18目の完勝。まあ最後に「生きるはずのない隅」に打ち込んで、相手の方を混乱させて生きてしまったので、実際の差はそれほどない(馬鹿なことをしてすみませんでした>相手の方)。

でも弟子には言っておいた。「君、今の碁を見たかね。三子置かせてあの差がつくわけだ。君もあの方に二子置いて負けたりしちゃいけないんだよ」。

勝てば官軍の師匠である。最近師匠を再度信じ始めた弟子は神妙に聞いていた。

あれこれはともかく。今日の講義前の孔令文先生との会話の中で。このサイトの話も出てきた。「前田さん、ホームページ持ってるでしょう」と。「え、読んだ(読んでしまった)んですか?」。「ええ」。

それはちょっとまずいのである。隠しているけれど(隠してないってば)、本サイトには「今日の私の相手は孔令文。なんだか強そうな奴だ」(1月14日)なんて文も掲載されている(笑)。「先生、どこを読んだんですか?」との問いに「全部です」。

きっと次に対局するときは、私が日記なんか書きたくなくなるくらいにヤラレルに違いない。しかし私は勝負を逃げない。ただ、いつもの五子局だと、マジにやられまくるかもしれないんで九子局にしてください>先生。できれば九路盤でお願いしますね。。。

ちなみに九路盤九子とは下図。こんなハンデ戦、さすがに白が勝つのは難しい。プロが相手でもこれで負けることはあるまい…、いや、負けないんじゃないかな、、、、少しは覚悟しておこうかな…
九路盤九子局 「そっかー。先生、全部読んだんだ〜♪」となんだか楽しげに語るのは弟子。実は弟子。師匠を嫌っているのかもしれないなんていう猜疑心にとらわれてしまうのだった。

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2003年02月12日

「負けること」 −フリー対局−

フリー対局。

教室に着くと、期待の新星(1月22日の記事参照)Sさんがひとり座っていた。「この期を逃すまじ」と対局申し込み。「何子置きますか?」に彼女はあっさり六子置いた。う〜ん、六子というのは私もあまり打ったことはないな。でもまぁこちらが強引に申し込んでいるのでそのまま対局。

で、六子だとさすがに辺への展開も難しい。基本的に少なくとも隅のひとつは取らないと勝負にならない感じ。相手のSさんも勉強熱心な方なのできちんと大場は押さえて私の配石を制限しているし…

で、本来なら取れないはずの隅を強引に奪取(笑)。ただ彼女の「勘違い」があまりに明白だったので(泣く泣く(笑))奪取した隅をお返しして(相手の石を置き直してあげて)継続。たんたんと終局して彼女の十数目勝ちだった。

隅の死活は本当に奥が深い。

碁を始めた頃はあまり死活を意識せず、それなりに広く隅を取り合って局が進行する。「相手の隅を攻める」ことの難しさはなんとなくわかるので、初心者同士ではあまり死活の問題は生じない。次第に、「攻める」楽しさを覚えてくると初歩の死活問題が生じる。この段階では「生きる形」を知っているか否かが勝敗の分かれ目。詰め碁問題集を眺めたことがあるかどうかで勝敗が決まるだろう。Sさんはまだ詰め碁の経験があまりないらしく、この「生きる形」がよくわかっていないようだった。そんな相手に強引に隅を取っては私が嫌われる(笑)。「こういうときは眼形を意識して置いた方が良いですよ」と優しいフリをして隅をお返ししたのだった。

Sさんとはもう1局打ち、今度は五子局。隅を強引に殺しに行けば六子でも「勝負」にはなりそうだけど、それでは彼女も面白くあるまいということで、もうちょっと布石などの楽しみが残る五子局。ここでも彼女は素直な配石で良い勝負。「こういう勝勢の時にはこういう手にも気をつけましょう」ということで(単に勝ちたかった(笑)?)、二隅を殺す(爆)。結局この二隅もお返しして、今回は持碁。

一局目に私に隅を殺されて、ちょっと変に守るところがあったのと、駄目場の多い碁になると石の置き方に混乱してしまうところ、それからヨセでの先手の取り方がまだわかっていないなど弱点はあるけれど、着眼はいい。インケンな私の碁に負けず頑張って欲しいもの。

次にはこれまで打ったことのない男性と対局。そんなに棋歴はないみたいだけど、よく勉強していて結構力を付けている様子。弟子が白番で対戦して負けたそうだ。

で、一応相手の方に黒番を持ってもらって対局。彼の布石は三連星。前にも書いたが三連星は私が採用を諦めた布石。三連星は完全に勢力志向の布石なので地に甘くなる。相手の荒らしに対する対応が非常に難しいのだ。

私はと言えば、相手の三連星にすぐにはかからずこちらは低い中国流。白番で三連星・中国流などの布石を採用するのもおかしな話だとは思うけれど、同じくらいの実力の相手にはよく機能する(笑)。前にも書いたように、中国流の布石は初級者相手には多大なプレッシャーを与えるので、ここを攻めさせているうちに相手の模様を荒らせば勝負になると判断している。

私の中国流に構えると相手は上辺の星。三連星対中国流になるとこう打ってくる人が多い。私は中国流最大の大場である下辺の星。相手は続いて天元。うむ、武宮氏の三連星解説本を読んで勉強しているに違いない(?)。

そこからは私が下辺の星から連絡して相手の星にかかり相手が受けて、、、と展開。一段落したところで相手の鶴翼の中央を荒らす。大模様を張ったはずなのに形勢が悪化してきたと判断してきた彼は中国流の模様を荒らしにかかる。

これもよくある展開だけれど、三連星に比べて低く構えている中国流は荒らしが難しく、守備も比較的易しい。相手が「適当に荒らして出て行く」という気持ちならば、きちっとまとめてこちらの模様を地化する。相手が頑張ってくるのならその石を殺しにかかる。ここで彼は頑張ってしまい、ちょっと逃げ出しに失敗して殺されてしまった。

こうなってしまうとあとは私のペース。中国流の模様は地化しているので、あとは相手の模様を荒らせば勝負は終了。とりあえず中央はいつでも荒らせるように顔を出しておき、下はハサミツケなどの手筋で相手を混乱させる(笑)。「ぜんぜんわからんっ」「こまった!」「次に打つポイント候補を5つにまで絞ったんだけど…」とぼやく彼(笑)。

そう、この辺は対応を知っているかどうかの問題。「サルスベリ」(英語人はこれを「フラミンゴ・レッグ」と呼ぶらしい)という技も対応を知らないと相手に何十目も地を荒らされてしまう。この辺は何度かやられるうちに対処方法がわかってくる。

結局相手の方が困っているうちに時間となり打ち掛け。

こちらの勝因は、三連星の模様に入っていったときにあまり地を固める攻め方をされなかったこと。これで中央はいつでも荒らせるという安心感が生まれた。三連星は模様の中に相手を入らせて、小さく生かすときの生かし方が問われる布石。相手が辺で生きるなら中央への道は遮断してしまわなければいけない。

それから相手の方が中国流の性質をあまり知らない様子だったこと(まあ私たちくらいのレベルでいろんな布石に対する対処法なんて研究している人はいないけれど)。こちらの模様に入ってきたとき、彼は「荒らす」のではなく「地を奪いに」きている様子だった。そのような戦い方は中国流が歓迎するところだ。

あとは細かい手筋なんでどうでも良い。なかなか勉強している感じの人だった。

ただインストラクター(アマ五段くらいらしい)の人が別のところで言っていたけれど「僕は相手が三連星だとそれだけで勝ったと思うんですよ」と思う人もいる。私の弟子が彼と打ったときは、彼の模様に入り込む勇気がなくて負けたんだと思う。三連星は確かに初級者相手にはそのようなプレッシャーを与えることができる。しかし同レベルの打ち手と打つようになれば、相手は必ず荒らしてくる。相手の荒らしを「喜んで」受けられるようになればまた強くなることだろう。攻撃やシノギの勉強をするためにも下手と打つときには三連星を捨てて見るのも良いかもしれない>彼。

尚、弟子が聞いていたらしいけれど、彼は「久しぶりに負けた」と言っていたらしい。おそらくはここまでは「三連星におびえる」相手だったんだと思う。こうして荒らされて敗勢になってしまうのは良い勉強になるんじゃないかと思う…。と、棋歴7ヶ月の私が言うのもおこがましいか(苦笑)。ごめん>彼。でもまた打ちましょう。

弟子。

最初は攻撃好きな下手の方と白番で対戦。最近の私があまり攻撃によって混乱させる打ち方をしないせいもあってか、相手の攻撃に怯えてしまう(笑)。一応最後には相手の無理を咎めて大石を殺して勝利したようだが敗勢だった。うむ、もう少し攻撃に対する耐性をつけないと駄目かな>弟子。

続いて私は見ていないけれど、別の人に三子おかせて対戦。この勝負は危なげなく勝ったようだが、インストラクターの方に「あなたも薄いですねぇ」と言われていた。弟子は髪が薄いのでその話かと思った(爆)。でも、「前田さんに似てきたんじゃないですか」という言葉で碁の話だと認識。

う〜ん(苦笑)。でも最近の私たちは(生意気なことに)相手に石を置かせて対戦することが多い。とくに弟子の場合は相手に模様を構えられると入り込んでいくことができない。それを避けるために薄いのを知りつつ先に手を付けていってしまうんだよな…

でも例えば孔令文先生などと打つときは、こちらが五子置いているのに、相手の石が薄く見えることはあまりない。本当の実力者と、なんちゃって実力者の違いが出ているんだろう(笑)。いつかは相手に石を置かせてもアツク打てるように頑張ろうぜ>弟子。

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2003年02月10日

「定石」 −講義−

今日の講義は定石。いわゆる「ツケノビ」定石をやった。

定石というと勘違いする人がいる。ある人と話をしたとき、私が囲碁をやっている話が出て「囲碁は定石があって、決まった布石ばかりで面白くないのでは?」ということを言われた。

確かに。囲碁には「定石」の他に「手筋」と呼ばれるものもあって、ある形になったときには「ふつうはこう打つもの」という石の配置はある。しかしその定石や手筋は何百(何千?)とあり、そしてその途中に「変化」もある。もちろん周囲の状況によって採用する定石も異なるし、変化の形も違う。すなわち、「囲碁の勝負とは定石の知識の多寡」では絶対にないのだ。

と、力んで書いてみたけれど、ふと「自分はいったいいくつの定石を知っているだろう?」と考えて、ほとんど知らないことに気付いた。さすがに基本中の基本となる定石(「三々定石」や「ツケノビ」など)は知っている。いくつか並べてみたことはあるけれど、そのほとんどを覚えていない。私のような初心者の場合、たくさんの定石を覚えるというよりも、「定石」の中に出てくる石の動き方をいくつか覚えていれば良いのだろうと思っている。講義では先生も同様のことをおっしゃっていた(と、解釈している)。

で、講義後の対局。

私自身、下手(ヘタではなく、シタテと読む)の方との対局も非常に面白く感じているんだけれど、講師の方々が気を遣ってくださる。今日も受講生が奇数だったこともあり私は手空き。またしても強敵(苦笑)・孔令文先生との対局となった。

対局は五子局。先生に九子で勝てれば初段だとのことで、「勝負をかける」のなら九子で打たせて頂いた方が良いのだろうとは思う。ただ九子になれば「発想」で勝負できるところがなくなり、局地戦を繰り返すだけで碁を終えることになる。私としてはそのような碁は楽しさ半減だと思っているので、無理に五子局でお願いしているわけだ。ちなみに五子局で勝てれば4、5段だそうだ(笑)。

で、結果はもちろん負け。「まあ前田さん、1級くらいの実力といったところですか」。うん、それはそれで良いんだけれど、途中から自分が何をしているのかわからなくなって、ちょっと自分にむかつく碁になってしまった。勝敗に拘るわけでもなく、だからと言って互先での手筋を教わろうというわけでもない。そういう状況に自ら持って行って教えを請うているわけだけれど、その中途半端な状況に自ら混乱し、意味のない手を連打した。

終局後の検討でも、私の無意味な手に対するお叱り連発。「ええ、そこは確かにそうでした。ただ、私の狙いもあったんです、一応…」。「そう、その狙いはあったでしょうけれど、狙いが間違ってますね」(爆)。

私の場合。上手の人に置き石させてもらって碁を覚えてきたわけじゃない。だから置き石したときの戦い方がよくわかっていないということはある。しかしもうちょっと五子には五子の戦い方があるはず。囲碁関係の本のタイトルにもあるけれど、「下手の心構え」ができていない自分を恥じることになる碁だった。

で、孔令文先生にも「守りのタイミング」を指摘された日。家に戻って、NHKの囲碁講座をビデオで見た。番組では「強くなりかけた人に多いんですが、強気強気で大けがをするケースがあるんですね」と言っていた。

そう、まさにその通り。この日の孔令文先生との対局でも守りのタイミングを逸することが最近の私にはある。通信対局でも、強気強気で大けがをしてしまうことが多い。

シンクロニシティじゃないけれど、この日一日、ずっと「お前は棋理がわかっていない」と言われ続けたような感じ。本はよく読み、下手の人には自ら棋理を説くようなこともある私だが、自ら盤面に向かって勝負しているときには、その冷静さを欠いてしまうことがあるのだろう。このことを肝に銘じ、「棋理に応じて」とボヤきながら碁を打つことにしてみようか。

と。なんとなく浮き沈みの激しい私ではあるけれど。それを見習ってか否か、弟子の浮き沈みも激しい。先日私に惨敗して、さらに局後の検討で「ここら辺の君の手。何をやっているのか全く理解できなかった」などと言われ泣きそうになっていた弟子。さらにその翌日にも私に惨敗し「じゃあ並べてみようか」の私の言葉に「いいですっ」と検討拒否までした弟子。

この日は、つい先日二子置かせてもらって打った人と互先。二敗だったものの、盤面では4目勝ち、2目負けの僅差だったとのこと。

弟子曰く。

「私、もちろん良い師匠に恵まれているからなんですけど、強くなっています」。

わはは。勝ち碁増えて礼節を知る。そう、君は強くなってる。だから「どうも調子が悪いかな」というときにも、あまり不機嫌にならないでくれ。怖いから>弟子。

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2003年02月05日

「目算」 −フリー対局−

今日はフリー対局。

先日、五子局で打った方と四子局で対戦。五子局でも良かったんだけど、先日私のミスで私が負けたので取り敢えず一子減らしてもらった。

ちょっと前までの私。相手に石を置かせると、徹底的な無理手をなんとか生かしてもらって勝負するということしかできなかった。置き碁とはそういうものなんだと思っていた。

しかし。アマ六段と言われる人と五子で打つと、私のようなむちゃくちゃな手を打ってこない。あくまで普通に応手しているようなのに、結局は相手の方が勝ってしまう。これはカッコイイっ! 相手の無知(笑)にツケコムのではなく、あくまでも「地力の違い」を表現しているように見える。その人の置き碁を見てから、私も、たとえ置き碁であっても「可能な限り普通に打つ」ことを心掛けている(でも負けそうになると得意技の「インケンな手」が出てしまうけれど)。

で、対局。二局打って両方とも私の勝ち。一局目はわりとうまく打てた。相手の方は、こちらの意図をきちんと把握し、こちらの攻撃を事前にかわす石運びをする。つまりは守りは結構ちゃんと打てている。ただ、相手の目論見を外して自分が守りを固めた後、相手の石を「イジメル」発想があまりないようではある。

相手の方の欠点がより明確に現れたのが二局目。

一局目を終えた後に、相手の方が「前田さんの石はどこにでも入ってきちゃいますよね」と言う。それが「強い」という評価なのだと勘違いした私は、相手の模様に手を出しすぎて、3つの弱石グループができてしまった。これはもう完全に負け碁パターン。ほぼ勝利を諦めて、いつ「これは指導碁なんですからねっ」モードに変更しようかと考えていた。

しかし。相手の方は私の弱石を「イジメ」てこない。弱石の中央への脱出を図る私の石運びを見て、相手の方はそれを「攻撃」だと考えてしまった。攻撃には手厚く応じるのが相手の方のパターン。私は弱石グループの脱出に成功し、3つのうち2つのグループの連絡に成功。ついでに(?)相手の方の石を取ってしまった。

終局後。「私の石のここにあった二つのグループ。ともに生きてませんでしたよね」と説明する私。「あなたのちゃんと生きている石が私の弱石グループの真ん中にあったわけですから、私が片方を守ればあなたがもう一方を攻めてあなたの勝ちだったんですけどね」。

「なるほど」と言いながらもちょっと納得のいかない様子の相手。そう、私もよくわかる。私たちクラスの打ち手が上手と打つとき。「上手の人が弱石を作るはずがない」という先入観にとらわれてしまうのだ。それはとくに「オトナ」の人が持ちやすい先入観。子供だとそういう先入観よりも先に「俺が負けるわけがないっ」という意味不明な(?)自信により先入観を持たずに戦うことができる。

オトナの打ち手がこの先入観から逃れるには「勉強」しかないと思う。上手が弱石を作るわけがないという先入観を打ち破って、「相手のこの石はどう見ても弱い」と判断する知識。私の碁の先生(アマ六段)も言っていた。「碁では相手が上手だと萎縮するのはいけないし、さらに言えば相手を信じてはいけない」と(笑)。けだし名言である。勉強と、相手を疑う気持ち。これがあれば今日私の相手をして下さった方も一気に強くなるんだと思う。石の運びは綺麗なんだから。

その後。何度かこの日記にも登場している私のライバルと対戦。先日中国流で徹底的にやっつけたのが効いたのか、そのライバル子も中国流に構えてきた。「ざけんじゃねー。中国流は俺の布石だ」とばかり、私も白番に関わらず中国流で対抗(笑)。三連星対中国流というのはやったことがあるけれど、中国流対中国流というのは初めて。

で、ライバル子は最初の三手で中国流を打ったものの、あとはあくまで普通の打ち方。私の星にカカリ、なんとなく自分の模様をシマってという手順で打ってきたので、私が先に中国流の模様を完成させた。

終局して、ざっと眺めれば私の勝ちは間違いなく思える。棋院も締まる時間になっていたので「じゃ、帰ろうか」というと「これ、どっちが勝っているんですか」とライバル子。「俺が勝ってるじゃねーかっ」と言ったが彼女は不満気。大雑把な目算では私の圧勝と思ったけれど、取り敢えず整地。結局は盤面で私が十七目ほど勝っていた。

まぁ勝ちは勝ち。大雑把な目算で「俺の圧勝だろうがっ」と言えるほどの差ではなかった。自分の目算能力の低さに反省して(?)相手のライバル子にもアドバイス。

「せっかく中国流にしたんだからさ。もうちょっときちんと模様を意識して戦えば良かったよね」。ライバル子曰く、「中国流ってそういう布石なんですかっ!?」。「そう、俺たちのレベルだと、中国流の模様がばかでかく見えるんで、どうしても無理手で応じたくなる。そこをやっつけるのが中国流だよ」。「なるほど〜。私は取り敢えず(最初の三手を)並べてみただけなんで」と言っていた(笑)。なんとなく納得したような、納得していないようなライバル子ではあった。

弟子。

上の話と通じるけれど、弟子は最近「私を疑う」ことを覚えた(苦笑)。私の模様にガツンと入ってきて、徹底的に荒らして出て行ってしまう。私は弟子を信じているので(笑)、私が模様を作れば弟子はおびえてそこには入ってこないものだという前提で打っている。つまりはそこを荒らされると私の勝ちが遠くなる。

弟子は今日。先番で私に勝ってしまった。再度弟子に私を信じさせるためには、二子置きなど甘いことをさせず、互先で徹底的にやっつけるしかないだろうか(笑)? そんな気持ちを胸に、数時間置いての再戦では徹底的に弟子をやっつけた(笑)。

弟子よ、私を信じなさい…

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2003年02月03日

「眼・欠け眼」 −講義−

2月。ということで、私の棋歴は7ヶ月となり、弟子は4ヶ月となった。ここ2ヶ月程度は非常に充実した時期で、自分の棋力向上を実感してる。弟子もぐんぐん強くなっている…はず。

今日の講義は眼と欠け眼。これ、簡単なこと、というか基本中の基本なんだけれど、最初のうちはわかりにくい。とくに一線をハネているときや、空き三角の形で欠け眼を作っているときに、そこを眼と勘違いすることが多い。棋歴4ヶ月の弟子も「えぇっ、そこ生きてたんじゃないんですかっ!」と言う。

まあ、本当に初心者のうちは、死んでいる石からどんどん伸びて被害を拡大することもある。死んだ石を諦めることができるようになったのはまぁ進歩だろう。

で、この死活。単純な「この石は生きてるでしょうか、死んでいるでしょうか」という問題に終始するのでなく、発展形として「手筋」の問題とも絡んでくる。たとえば相手のダメを詰める「ホウリコミ」。ある程度になってくると、相手のダメ数を詰めたり、眼を作らせない手段としてホウリコミが「当たり前の手筋」として浮かんでくるけれど、最初のうちは気付きもしない。

「ホウリコミなんていう手筋が浮かぶ人は、どこか頭の構造が違うのかな」なんてちょっと前まで考えていた。今の弟子は多分そんな風に感じているんじゃないかな。でも少し手筋の勉強をすれば、考える前に「う〜んと、ここはホウリコミしかないわねっ」と手が動くようになってくる。

でもしかし。ホウリコミはいかにも「手筋」という感じがして、やられた方は気分が悪い(笑)。師匠である私との対戦では控えるようにしなさい>弟子。

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2003年01月29日

「インチキ二面打ち・再」 −フリー対局−

今日はフリー対局ながら、手空きだったのでいろんな人の盤を見て回った。多くの人の癖を見ると…、私もつい最近マスターした「大きさ判断の間違い」が非常に多い。自分の生きている地で、1目減らされないために、他に10目程度の大きさのあるところをほったらかしにする。相手もそれに付き合って、その部分での小ヨセまで完了してからよそに回る。

う〜ん、懐かしいけれど(笑)、ここから抜け出すのが結構大変なんだよな。

私は前に書いたように、ピーチ先生の「大場」の講義(2002年11月4日)で抜け出したけれど、最初のうちは「その石、生きてるじゃないですか」と言われても、「だって打たないと5目くらい損しそうなんですもんっ」と思ってしまう。「そこで少々損させられても、他の大場に回ることにより、何十目も稼ぐ可能性がある」というのがよくわからない。そうこうするうちに、上手とやるとどんどん大場を占められて、完全に封じ込められてしまうことになる。

この「大場」感覚。簡単に身に付けるにはどうすればいいのかな。上手とやって、徹底的に大場に先着されて惨敗を繰り返す? そこで大場の大事さを考えるようになれば、すぐに1、2級上がるかもしれない。自分が「これでどうだっ」と打った一手をあっさり無視されて他の大場に回られる悔しさ。それを何度も感じていれば結構進歩のスピードが上がるかもしれない。

もちろん。闇雲に大場に先着すれば良いというのではなく、「大場に先着することで何をするのか」という意識も必要。それは結構難しい話になってくる。でも初心者のうちは、「生きたらよそに!」と思うだけでも相手を圧倒することができるようになったりする。そこで「なるほどっ!」を実感すれば、どの大場に先着すると有利になるのかとか、自分の石を連携させるにはどう打てば良いのかなどが考えられるようになる。

まぁ。「強くなりたい」と思っている人ばかりがいるわけでもないので、そういう人をとっ捕まえて「おらおらっ。ここの大場に先着したからあんたは惨敗だぜっ」なんて、インケン(?)な指導碁をするわけにもいかないけれど。

で、手空きの私を見て、インストラクターの方が「打ちますか」と言ってきた。うむ、最近偉そうにしている私であるので、インストラクターと打って惨敗はしたくないんだよなぁと考える(笑)。が、彼の言ったのは二人で打とうというのではなく、前にも日記に登場した女子高校生二人と二面打ちしますか、ということだった。

げげ〜ん、また二面打ちだ。。。

インストラクターに「二面打ちだから私が白番くらいでいいのかな」(この高校生二人はそれなりに力もあって成長中なのだ)ときくと「石を置かせた方が多面打ちっぽくていいですよね」と(笑)。「ま、それはそうかもな」と同意して二子局の白で二人と対戦。

序盤はまだいい。置き間違えても石が取られてしまうようなこともないし、後でいくらでも挽回がきく。しかしっ。そろそろダメの詰まった石が出てくる中盤からは悲惨だ。偉そうにしている私ではあるけれど、まだじっと見ていないと相手の着手点がちゃんとわからない(情けない)。あまり「どこに置きましたか?」と聞くのも失礼なので、なるべく聞かないようにしてやったけれど、それでも何度か「あれ、ごめん、どこでしたっけ?」なんて聞いてしまった。

で、一人との盤面を見て。「前田さん、こちらの方はまるで4子か5子置かせたような苦しい盤面ですね」と。う〜ん、そうかなぁ。まあ確かに右辺の白がやけに薄い。それもそのはず、最初の三手を打っただけで右辺はほったらかしにしているんだ。もう一局の方は相手を封じ込んで中央に巨大な地を作っていたので、この不利な盤面の方にやや注力。

そうこうするうちに。有利だったはずの盤面で、相手の着手点を見失い、テキトーに応手したら大石を取られた(な、情けない…)。相手の子は敗勢の碁が一気に優勢になったので「ヤッター、ヤッタ、ヤッター」と喜んでいる。「う〜ん、そこで喜ぶのもどうかと思うが、でも喜んでもらってるからいいか」と(苦笑)。

結局苦戦していた方には勝ち、勝勢明らかだった方に負けた。うん。二面打ちは私にはまだぜんぜん早いということが勉強になりました。ありがとうございました。

たまに調子に乗って「俺って、ヒカルと同じ速度で進化してない?」なんて悦に入ったりする私。でもヒカルは三面打ちの棋譜をすらすら書いてしまうんだよな。もうそんな僭越なことは言いませんm(..)m。

その後は、綺麗な打ち方をするんだけど、ちょっと伸び悩んでいる女性と四子で対戦。相手の大石を大きく取り込んで、中押しになりそうなところから、ちょっとずつアドバイスなどしながら対局。ふと、黒の妙手が浮かんだ。「ねぇ、そこ切ってみたら面白いと思いませんか?」。

その着手が妙手だった。私は身動きができず、取り込んだはずの相手の黒石が大復活。その石を取り込んで、そこの厚みから手を広げていた私はもうどうしようもない。盤面の各所に死活問題が発生した。

もうこうなったら私にすることはない。相手の方に「私のこの石を攻めてみましょうよ。まだ生きてないですからあせりますよ」とか、「ここは必殺ダメ場作戦で黒の希望を打ち砕きましょう」とか。単に負けだと恥ずかしいので「これは指導碁なんですからね」なんていう言い訳を相手の方と自分にしてみたわけだ(爆)。

そんな中。相手の方に質問された。「ダメ場作戦ってなんですか?」。えと、一般的な用語なのかどうかは知らない。でも、相手の地ができそうなところにちょっかいを出して、そこをどちらの地でもなくすることを私は「ダメ場作戦」と呼んでいる。

「そんな『作戦』なんて名付けるほどのもんか」と言われるかもしれない。でも初心者のうちというのは、「地ができないところには石を置きたくない」なんて考えてしまうもの。だから自分の地ができるところにばかり石を置き、相手も相手で自分の地を広げていく。いわゆる「囲いあい」になるわけだ。私はこの「ダメ場作戦」をマスターしてから結構勝てるようになった。

尚、実は私には必殺技がもうひとつある。相手の地模様に打ち込んで、どうにも生還が望めなくなってしまったときに実行する作戦。名付けて「必殺『そこはもともと相手の地だったんだから』作戦」。この作戦を実行しても何の得にもならないけれど、とりあえず精神的な痛手からは逃れることができる…かな?

弟子。生意気に「伸び悩みです」などと言っている。私にも二子で勝つことがなくなってきたし、教室での勝敗も勝ったり負けたりらしい。

しかし。ここ2ヶ月間、私は強くなり続けているのに、それについてくるだけでも大したもんなんだぞ>弟子。それに弟子は、布石上の要点を今マスターしつつあるところ。今注力しているのは「中央に顔を出す」ということ。弟子も数ヶ月前の私に似て、地を大事にするあまり囲っているうちに封鎖されることが多かったのだ。

そんな弟子へのアドバイスは「とにかく中央に顔を出せ」ということ。弟子は素直なので、「顔を出すぞ」と思うとすごく頑張って顔を出す。最近の対局では封鎖されることも少なくなってきた。しかしながら、顔を出すことによる損得のバランスが狂うこともあるみたい。また、顔出しに失敗した時のことが心配で「攻めながら顔を出す」ということがちょっとできていないのかもしれない。

封鎖されないことはとても大事なことだけど、最後は地を争うゲーム。その辺りのバランスがそのうちにわかってくるよ>弟子。新しい課題をマスターしようとする時には、一時的に思わぬ敗戦を喫してしまうものなのだ。ふとしたきっかけでバランスに気付いて、そしたらまた数級強くなっている自分に気付くことだろう>弟子。

付言すれば、弟子よ。君はまだ棋歴4ヶ月なんだぞ(笑)。私と同じくらいに強くなってしまうと、私がムクレルことも忘れてはいけないよ(笑)。

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2003年01月27日

「カカリ」 −講義−

何はともあれ、今日は弟子の話から行こう。

弟子が碁笥と間違えてお茶を入れた紙コップに指を突っ込んだ。弟子にも言い分がある。「相手の方、何だかすごく真剣な雰囲気を持った方ですごく緊張しちゃったんです」。

ふ。ぼけた弟子よ。

これまであまりパーソナルな記述を避けてきたが、弟子は24歳、妙齢の女の子。ぼけ〜っとした雰囲気で、まぁはやりの言葉で言えば「ナゴミ系」なのかもしれない。まぁ、師匠の贔屓目も含めて言えばかなりかわいい(笑)。

で、そんな弟子なのではあるが、師匠のインケンな厳しい指導のもと、棋力はグングン伸びている。でも一般の方には我が弟子の棋力などわからない。私と二子で打ってはいるが、普通の人がみれば「ぼけえっとした女の子」。そんな弟子が、たいていの相手に二子程度の石を置かせて打つ。相手の方にとってみれば「何、この子?」という感じだろう。

弟子自身も。「私のようなボケが、相手の方に石を置かせて打つなんてことして良いのかしら?」なんて感じている。だから相手の方に「石を置いてください」なんて言うときにはかなりドキドキしているわけだ。

今日も。相手の方に二子置いてもらって対局をはじめる際、「なんだか強そうな人なのに、私なんかが二子置かせちゃって良いのかしら」なんて緊張感いっぱい。おまけに、これまであまり話もしたことのなかった人が相手だ。弟子は緊張感でいっぱいになり、そしてパンクした。

右手に碁笥。

左手にお茶を入れた紙コップ。

右利きの弟子は、あろうことかおもむろに左側に手を伸ばし、石を取るつもりで紙コップに指を突っ込んだ。

もちろん相手の方も、この捨て身のギャグを無視はできない。「ぷっ」っと噴出してしまわれたそうだ(笑)。さらに弟子。中盤で勝敗の趨勢が見えてきたあたりでさらにこう言った。

「あの。お茶、入れなおしてきて良いでしょうか…」。

さすがは我が弟子ではある。大阪人のノリそのまんまだ。一度使ったネタでも徹底的に使い倒す。「すごいな」と思って弟子を褒めようとした刹那、弟子は言った。「だって、ただでさえ緊張してたのに、お茶に指突っ込んじゃって、喉も渇いちゃったし…」。

ふ。弟子よ。君は素晴らしい。

以上の話は全て弟子から後刻報告を受けた内容を元に構成している。

で、私。その話を聞いた瞬間に、遠くにいるインストラクターの方を大声で呼んで、この話を聞いてもらった(笑)。わりと「クール」目をウリにしている(?)インストラクターの方もこの話には思わず腰を曲げて笑った。「ぷぷっ。ぷぷぷっ。そ、それで、、、、。その、相手の方の反応はどんなだったんですか?」。

私たち師弟は、皆さんに喜んで貰うことを一番に教室に通っている(爆)。

さて、私。今日は尊敬する女性棋士(と、言っても同じ教室の生徒なわけだけれど)との互先対局。10月か11月の対局で、すごく力の差を感じた方。その打ち筋に隠れ見える知識に対し、深く尊敬の念を抱くとともに「いつか成長した暁にはこの人ともう一度対局したい」と思ったのだった。

対局前。相手の女性に握って貰い、私が白番。「私、すごく強くなりましたのでよろしくお願いします」、と。いや、相手の方にプレッシャーをかけようとしたわけじゃない(笑)。以前は私の力が及ばずにすごく失礼したと感じていたので、「今日の私はちゃんと相手になりますよ」ということを伝えたのだ。

対局は。

ここ数日、「相手の石の逃がし方」を研究している私に、ぴったりとはまった展開となった。相手の方のかかってきた石を、思う方向に逃がしながら、それをうけるふりをしつつ自分の地を固める。ここのところ「忙しいんですっ」という言い訳をしながら仕事もせずに碁三昧の私があるいは上手になったかもしれない。しかしながら今日の対局は、力の差云々ではなく、私の構想にすっぽりとはまり、そしてそのまま私の勝ちとなった。

尊敬する打ち手と対局して、そして自分の思う通りの碁を打つことができた。碁自体は打ち損じもあり、決して「会心の碁」というわけではなかったけれど、それでも自分の成長を見せることができて嬉しかった。

授業終了後は、孔令文先生含め、インストラクターの方々と雑談。「ねぇ、先生。私強くなったでしょ!」。「自分でも思うんですよ。なんかすごく強くなったよな、って」。

ハッピー・マンデーは、講師の方が級位認定をして下さる。講師の方々に「強くなった」と印象付けることで、1級くらい上の認定にならないかという涙ぐましい努力だ(嘘)。

尚、今日から「にゅーめがね」にした私。ちょっと眼鏡の形が孔令文先生の眼鏡に似ている。「先生。僕も先生と似た形の眼鏡にしました。これできっと死活も間違えませんよ!」、と対局中にアピール(なんの?)する私。

でもそんなこと言っている先から、孔令文先生の見ている前で打ち損じた(爆)。「しまった」と思った私は先生に強弁しておいた。「先生っ。こっちの石がよしんば死んだところでこっちの手はこっちの手で大きいんですからね!」。孔令文先生は「馬鹿な生徒がいるよ」という表情で「そ、そうですね。その手も一子取れているので大きいですね」と半ば呆れながら同意してくださった。ふっ。呆れられようがどうしようが、先生に認めてもらったことだけを糧に自信を深めていくのが私のやりかた。

これでいーのだ。

尚、順番が逆になってしまったけれど、本日の講義は「カカリ」。

なんだか、私にとっても「シマリ」とか「カカリ」は難しい。囲碁を打ち始めて、最初の頃は小目に打てば必ずケイマに締まるものだと思っていたし、まさか相手がそのシマリを邪魔してくることがあるなんて思ってもいなかった。今でも自分のシマリと相手へのカカリ、どちらを優先すべきか悩む。それに相手の大模様のヒラキを見て、中途半端なヒラキでもない、シマリでもない手を打ってしまうこともある。

最初のうちは。「シマれるところはしっかりしまる。カカルチャンスがあればしっかりカカル」という意識で、ひたすらシンプルに進めた方が良いんだろう。初心者のうちに「地と勢力のバランスはどうよ?」なんて考えると、たいていはボロボロの碁になってしまう(と、経験者は語る)。

シンプルに、基本に忠実に。そうやって打っていればどんな上手と打っても差はせいぜい50目程度。50目程度の差の碁なんて、素人が盤面を見ても「あれ、ちょっと負けてるかしらね」くらいのもんだ。上手の人と最後まで打ち切る碁が打てれば、それだけで結構勉強になるもんだと思う(ま、相手の方によっては50目差がついた碁を打ち続けることを嫌がる方もいらっしゃるので、それはそれでけーすばいけーす)。

蛇足みたいになって申し訳ないけれど。水曜日に弟子と対局したSさん。

今日も授業の始まる前に本を見ながら石を並べていた。その石の並べ方が非常にスムーズで早い。早大囲碁部も言っていた。「棋譜を見て石を並べる。徐々に並べる速さが早くなり、それがすなわち棋力の向上なんですよ」と。Sさんは、このクール(1月〜3月まで)が終了するまでに、私と方を並べてしまうのかもしれない。嬉しいけれど、強くなりすぎて私との対局機会がなくなってしまうかもしれないのはちょっと残念だ。

ちなみに。今日は教室で中位くらいの方と対局して、Sさんは見事勝利していたそうだ。学ぶ姿勢真摯なる人は成長が早い。

ピーチ先生、あなたの教室で、こうやってすごく成長して、そしてまた誰かに碁の楽しさを伝えてくれそうな人が出てきてますよ。今頃きっと、ピーチ先生、お葬式ですよね。小林千寿さんのお話によれば、不本意そうな表情を浮かべられていたとか。

ピーチ先生、少なくとも遺志を大事にしたいと思っている人はたくさんいます。結果も残ってきています。ぜひとも、それだけは伝えさせてください。私の弟子を含め、面白い打ち手を何人も揃えてそのうちに対局申込に行きますからね。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2003年01月22日

「インチキ二面打ち」 −フリー対局−

ハッピー・マンデー囲碁教室に、将来すごく有望な女流棋士がいる。Sさんと言う美人。

打ち始めてまだ間もないらしく、先日まで十三路盤を打っていた。その十三路盤の石の並びを見ると、とにかく美しい。初心者の対局というのは往々にして「右が黒地、左が白地」なんていう囲い合いの碁になることが多いんだけど、彼女たちの盤面は石が入り組んだ、すごく「囲碁らしいカタチ」をしていた。

私の経験で言えば、入り組んだ石のカタチを実現できるようになったのは、十九路盤を打ち始めて3週間くらいしてから。あまりのカタチの美しさに「アナタたちは、もう十九路盤を打った方が良いですよ」なんてアドバイス。先生も連れてきて「ねぇ、彼女たちの盤面、美しいでしょ? 十九路に移った方が良いでしょう?」と強引に推薦。それで十九路盤を打ち始めたんだけど、はじめての対局でもやはり美しい石のカタチを残していた。凄いな。

そのSさん。教室でひとりで本を見ながら石を並べていた。勉強の邪魔をしちゃ悪いかなと思いつつ「私の弟子と打ってみますか?」と。経験の差があるので、Sさんに三子置いてもらって対局をしてもらった。

弟子は初めての三子局にやや緊張していたようだけど、なんとか経験の差で勝利。終了後は偉そうに(笑)指導をしていた。うん、でも弟子もやはりSさんの石運びの綺麗さを感じたようだった。最初からこういうふうに綺麗な流れで石が打てる人というのは成長も早いに違いない。勉強もすごくしているようで、別の人との対局のときには「ここ、ウッテガエシになっちゃうんですよね」なんて言っていた。私など、今でも気付かないうちにウッテガエシされちゃうことがあると言うのに(笑)。

注:弟子からクレームが入った。弟子は三子で打った経験は既にあったらしい。ごめん>弟子。

そのSさん。私のエラソーな態度に遠慮してか、私のことを「センセー」などと呼ぶ(笑)。「いや、私はセンセーじゃないですけどね」と言っても、他のアシスタントの方にも「先ほどあのセンセーに教えてもらって」なんて言っている。アシスタントの方々に「前田さん、嘘教えちゃだめですよ」と叱られるんじゃないかと思いつつ、才能がありそうで、頑張っている人に「センセー」と呼ばれるのがちょっと嬉しかったりもするわけだ(笑)。

弟子は。最近また急速に地力を上げた私との二子対局で「なんだかわからないうちに負ける」という碁が続き、ちょっと自信をなくしていたかもしれない。でも今日は何局か打って全て勝利だった様子。そう、弟子よ、君も強くなっているのだ。私が昔のような嵌め手めいた手を打たなくなったから、なぜ負けるのかがわかりにくくなっているかもしれないと思う。でも嵌め手にやられてしまうよりも、普通の手に対する応手を研究した方が絶対に強くなると思うからね>弟子。

で、私の話。今日は久しぶりに二人の方と互先で対戦、いずれも私が黒を持ち、例によって中国流。入ってきた石を完膚なきまでに殺していずれも中押し。うん、私くらいの棋力の人が相手だと、中国流とはすなわち嵌め手かもしれない(笑)。中国流も、三連星ほどではないけれど、勢力の碁。相手にとってみれば「うわぁ、この黒の地模様を消さないと大変なことになる」というプレッシャーになる。

そこで黒の模様に入り込んで戦うことになるわけだけれど、中国流は純粋な勢力碁ではなく、一応地も考慮に入れている打ち方。消しにきた白を苛め抜いているうちに黒地は拡大し、そしてときに白の大石を殺す。ここ数日私と対局する人は皆、この「広大に見える地模様」にびっくりして自滅していった感じだ(笑)。

あとは例によって偉そうな指導碁をしたりしているうちに、攻撃好きなS嬢(上述のSさんとは別人)と、もうすこし棋力のおちるS嬢(あれ、みんなイニシャルがSだな)と二面打ち(いずれも白番。一局は二子局)をすることになった。

二面打ちは一度だけやったことがある。しかしこれ、実際にやってみると思いのほか難しい。序盤はまだどうにかなるが、戦いに入ると相手のダメの数など数えていられなくなる。だから「ふぃーりんぐ」でタタカイを挑むことになってしまう(笑)。

さらに。終盤になってヨセになると、先手ヨセがよくわからなくなる(苦笑)。落ち着いて考えればわかりそうなもんだけれど、どうもまだ私の棋力では足りないみたい。

だから二面打ちなど本当はやりたくない。いや、やってみるのは面白いと思うけれど、対局相手に迷惑をかけるのが明白なのであまりやりたくないのだ。

でも今日は相手の希望、というか要求。それならば二面で打たねばなるまい。対局中に後ろから眺めるアシスタントの方に「いや、ぼく、いま、偉そうなことやってますけれど、これは決して私が言い出したことではなく…」なんておろおろと言い訳しながらの対局。教室名物(?)の女子高生二人組が「あ、二面打ちだ。さすがー」なんて言うもんだから余計におろおろした(笑)。

結果的に。やはり途中でダメが数えられなくて「テキトー」にタタカイに行ってしまったり、片方の対局者とヨセに入ると一方の対局者にしばらく待ってもらったりしながら打ち切った。一応いずれも勝利。強いほうの相手とは盤面で1目差だった。ヨセをかなり間違えて差が縮まった感じ。もう一人は、まだ石の連絡や死活に自信がなく、不必要に固く守ろうとする傾向がある。そこでどうしても彼女の手が遅れてしまうのでそこをついていっての勝利。どういう状態になれば石が繋がるのか、生きるのかということをちょっと勉強すれば強くなると思うよ。

なんだかやけにたくさん対局した日で、ハイになってしまって帰る道すがらも弟子に向かって「ねえねえ、俺、強くなったね。すごく強くなったさ」なんて、弟子の深層心理に深く刻みつけておいた。近々弟子が棋力で私を抜いても、当分私には勝てないようになったはずだ。。。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2003年01月20日

「献碁」 −講義−

ピーチ先生が亡くなる事件があり、本日の講義はお休みで、生徒・講師の方全員による献碁を行った。

ハッピー・マンデーは、石を持ったことのない人から、1年くらいの棋歴を持つ人までさまざまな人がいる。その人たちが順番に石を置いていく。初心者の人、急速に上達した人、ちょっと伸び悩んでしまっている人。

不思議なことに。「この局面、この人には難しいかもしれないな」と思うときにも、皆、なかなかの手を打ち続ける。「碁が壊れてほしくない」。そんなみんなの思いと、私たちの先生であるピーチ先生に捧げる碁なのだという気持ちが、この碁に結実したのかもしれない。

ドラマチックに過ぎて、眉唾に思えてしまうかもしれないけれど。「ピーチ先生、私たちは碁が打てるようになりました」という気持ちは確かにピーチ先生に通じ、そして良い着手を打たせてくれたんだと思う。

尚、クラスの方にも「教室にピーチ先生の名を残そう」の署名をお願いして、皆さんに快く応じていただいた。教室にはピーチ先生の写真が飾っていて、じっと見るとまた汚いオヤヂノナミダを見せてしまうところだった。

でもね。ピーチ先生。もう既に「私もピーチ先生に教わりたかった」なんて人がいますよ。僕はもっと大勢の人に「私もピーチ先生に教わりたかった」と思わせます。指導碁盤をたくさん用意して待っていてください。

献碁の後はフリー対局。

今日はまず棋歴4ヶ月の女子高生と対局。組合せを決める方が2子でとおっしゃるので、それなりに強い相手なのだと気を引き締めて厳しく打った。結果は… 100目対30目程度の大差。う〜ん、序盤厳し目に打っていたので中盤以降に調整するチャンスはなかった。「負けすぎっ」と、彼女は笑っていた。

彼女の打ち手は面白かった。こちらが下からえぐっていくと、必ず上からコスミで押さえつけてくる。前日に棋聖戦での山下敬吾の打ち筋を見ていた私は、彼女もまた山下のように自由自在に中盤を制するタイプなのかと思って地を稼ぎに稼いでしまったわけだ。

序盤の数手を示し、基本的にはやはり隅や辺を大事にした方が良いことを伝えた。後に彼女は秀策の棋譜などを並べつつ、早大囲碁部の人(たまたま来ていた)の解説を聞いていた。こういうふうに、きちんと勉強していけば、私を超えることなどはたやすいはず。

「その棋譜はヒカルが泣いてしまった棋譜だよね。ほら、佐為のこの手なんか四方八方睨んだ凄い手だとか言ってたでしょ」(有名な「耳赤」の棋譜)と言うと「え、これがそうなんですかっ!」とちょっと喜んでいた。

この日は他にもいろんな人と、石を置かせて対局した。ある人と五子局で打った碁のみ負け。五子だとさすがに入り込むのが苦しい。おそらくは入り込んで行っても石が死んでしまうことはないのだろうけれど、そんな無理手を打つのは碁じゃないかもなと思いつつ、素直に打っていたらやっぱり負けた(笑)。

この五子で私に勝った女性は、どうも「遠慮」が過ぎる。まあこれはつい1、2ヶ月前の私と同じ欠点だから偉そうには言えないのだけれど。私がカカルと、必ず凹んで受けてしまう。ここで相手を叱るテクニックを身に着ければ強くなると思うんだけれども。

親切な人(?)を相手に、「死んでもいいや」という気持ちで厳しく打っていればそのうちに感覚が掴めると思う。

弟子。今日は、年配の方に二子置かせてもらって対戦していた。弟子曰く「初めて打つ人とはやりにくいです」。結局2局打って2局とも負けだったらしい。私と二子で良い勝負をすることもあるのだから、力的に見て二子で連敗するほどとは思えないのだけれども…。

相手の方は「私の手に騙されているんですよ」なんておっしゃっていた。でも騙し手は私で慣れているはずなんだがな。明日からはもっと騙し手を打って鍛えることにしようか(笑)>弟子。

弟子二号の対局はほんのちょっと見ただけ。ただほんの10手程度の中に、8手も手拍子の手があった。相手は攻めるのが好きな人なので、そういう人を相手に手拍子で打っていては絶対に勝てない。まあ、、、そういう碁を楽しんでいるようでもあるから何も言うまい…

先に話した早大囲碁部の人。高校生に指導しながら「棋譜を並べるのって、初心者のうちは何時間もかかると思う。でもタイムトライアルで並べてみて、その時間が短くなってくればそれだけ上達しているんですよ」と言っていた。

なるほどな! いいこと言うじゃないか>早大囲碁部。

私は実は目が疲れてしまって(と、こういうときだけ年寄りを言い訳にする(苦笑))、棋譜を全部並べたことはこれまでに1、2度しかない。そして「棋譜並べは有効かもしれないけれど、私はもうちょっと強くなってからにします」なんて言い訳していた。

しかしこの早大囲碁部の言うタイムトライアル。これは確かに良い指導方法かもしれない。並べるのが早くなるということはすなわち、「手筋」がわかってきているということだ。「並べる速さ」は時計で測れば結果が即座に目に見える。きっとモチベーションも上がるだろう。

「今度暇なとき」、と相変わらず言い訳をしつつ、私もこの訓練を取り入れてみようかと思っている。

投稿者 前田博明 : 23:00 | トラックバック

2003年01月15日

「中国流炸裂」 −フリー対局−

月曜日、「中国流」の本と、「戦い」に関する本を買って帰った。「中国流」というのは最近あまりはやらないみたいだけれど、「勢力」と「地」のバランスを考えた打ち方で個人的には好み。「三連星」も魅力的だけど、武宮氏(三連星から、大いに勢力を大事にするうち方で「宇宙流」と呼ばれる打ち方をする人)の本を読むと、「三連星」を打ち切るのは相当に難しそう。

もちろん、勢力指向の三連星を打ち切ることのできない私なので、中国流も「低い中国流」を愛用している。私くらいの力の人間は、高い中国流を打つとスソが気になってしょうがなくなる。

さて、そんなわけで中国流愛好者の私。初めて中国流に関する本を1冊通読して(好きだと言ってるのにこれまで読んだことがなかった…)、この技法を試したくてしょうがない。幸いにして今日はフリー対局の日。できることならちょっと実力のある人間を相手に試してみたい…

そう思って棋院に行くと、いた。先日の日記にも出てきた「師匠とは呼びたくない女性」。アシスタントの方が対局相手を決める前にさっさと彼女にところに行き打ち始める。ニギリで黒番を取った私はもちろん中国流。

で、結果は彼女が一目のみ残して私の大勝。中国流に構え、模様が深くなってきたところに入り込んできた石を厳しく攻め立て、結局殺してしまった。アゲハマが数十目になる碁だった。

「リベンジっ」と、その女性。「ふっ」と、今度は私の白番。そういえば白番の勉強を全くしていない自分に気付いたけれど、コミがあるのだから落ち着いて打てば良いと、小目・小目の配置。小目から広げた硬い模様に入ってきた彼女の石を再度全滅させ中押し勝ち。

しばしば言われる「自分の強いところでは戦え」という言葉を、今日はずっと意識し続けていた。うけたくなるところで積極的にボウシから戦い。キリチガイになってようやく実感した。自分が強い場所では自分のダメ数を増やすのは易しい。「これが有利な場所では戦えという意味かっ」と強く実感した私は、また少し強くなった。

「もう一度だ」ということで再戦。一局目・二局目でちょっと調子に乗りすぎた私は、取り切ったはずの相手の石を生かしてしまう大失敗。それでもなんとか他のところで挽回して、結局盤面で75目対38目の勝利。

「一級とか自慢するなら石置かせんかいっ!」というのが彼女の最後の言葉だった。合掌。

尚、対局中、後ろでこの1月から碁を始めた女子高生二人が私たちの碁を観戦。「なんかうまいっ!」「使ってる石まで高級品に見える!」なんてオヤジキラーなことを言う(笑)。キミタチ、ソンナトシカラオヤジキラーナコトヲユッテイテハイケナイヨ、と思いつつ、でも嬉しかった(笑)。

(あとで確認すると、この高校生、昨年の4月にもハッピーマンデーに来ていたらしい…)

でもその後。「君たち、打つかい?」というオヤジの誘いは「いえ、今日はもう十分です」とあっさりかわされたのだった。ふっ。

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2003年01月14日

「攻め合い」 −講義−

今日は世間では休日。会社にいても電話もかかってこないだろうから、初めて棋院のフリー対局室に入ってみた。

最初は弟子と打っていたが、その後、昨年教室で一緒だった中学生がやってきて対局。弟子は初段という高校生くらいの男の子に指導碁を打ってもらうことになった。その高校生。すごくいい子で、弟子のヘンチクリンな手を一々指導してくれる。結局4、5局打ってもらったんだろうか? 私にばかり指導されていては、弟子の打ち筋も「インケン」になるかと日ごろ心配しているので、こういう上手がきちんと指導してくれるのは嬉しいことだ…

その部屋で講義の時間まで過ごすうち、小学校低学年の女の子がやってきた。碁を覚えたてらしい。この子もとても良い子。なんだか棋院で見る幼い碁打ちは良い子ばかり。礼儀もできていて、負けてもふてくされたりはしない(もちろん例外もあるにはあるが)。

碁が「教育に良い」と単純には思わないけれど、やはり年齢差のある人と交流する場というのは教育にも良いと思う。そういうふうに考えると、年齢層の広い碁というのはやはり教育に良いのかもしれない。

さて、講義。今日の講義は「攻め合い」。碁というのは、石を囲まれると取られてしまうので、自分の石を囲わせず、かつ相手の石を囲うというテクニックが必要になってくる。そのために「シチョウ」とか「ホウリコミ」、「オイオトシ」、「ゲタ」なんていうたくさんのテクニックがある。

もちろんこういうテクニックはどの碁の本にも載っていて、はやい時期から名前は知っている。でも実戦で「よし、ここではホウリコミの手筋で相手の石が取れる!」と完全に読みきれるようになるには時間がかかる。私も自分では「俺もわかってきたな」なんて思うけれど、通信対局などで上手を相手にすると、いつの間にかはめられることがある。

昨年末、私の弟子二号になった女性は「私、対局中にゲタとか考えたことないですよ!」と。弟子二号に教育的指導。そんなことだから上達の速度が止まっているんだぞ(笑)。

講義の後は先生がペアを決めて、それにしたがって対局。今日の私の相手は孔令文。なんだか強そうな奴だ、って先生だっつーの(笑)。先生に指導碁をしてもらえることになって(普通、プロに指導碁をしてもらうとお金がかかる)、五子置かせてもらった。

で。なんとか最後まで打ち切ることができたものの(と、いうか打たせて貰った?)惨敗。途中で気付かなかったところに打ち込まれて思わず「それくらいは気づけってことなのかっ!」とボヤいてしまった。先生曰く「いえいえ、あはは」と。

終局後に並べなおして、「前田さん、打っているときは気付かないかもしれませんが、自分が打ったあとの五手あとの形を見たら、自分の石がいかに無駄な石かが見えてくるでしょう」と。ふむ、確かにそうだ。相手の壁にへばりついている自分の石がかわいそうになってくる。「私の石はかわいそうなんですね?」。「そう、すごくかわいそう」。いや、「すごく」まで言われると私もちょっとかわいそうなんですけれども…>先生。

それでもやっぱり参考になる碁だった。

今日は棋院で「中国流」の打ち方の本も買ったし、「戦い」のやり方に関する本もかった。これらの本と今日の指導碁で、またきっと棋力が上がってるはず(下手は成長の速度が速いのだ)。水曜日のフリー対局で誰かに完勝しようと考えつつ帰宅した。

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2003年01月08日

「ライバル(?)との再戦」 −フリー対局−

去年の日記にも書いたけれど、去年の十月にハッピーマンデー囲碁教室に復帰したとき、惨敗を喫した女性がいる。と、いうか勝ったり負けたりだったんだけど、私が勝つときは数目差。負けるときは数十目差だった。彼女はとにかく「戦い」が好きで、平和主義者の(?)私にとっては天敵。

昨年の十月くらいの私はと言えば、相手の石をキルこともできず、相手の無理手に対して自分がへこみながら受けるような感じだった。彼女とやってからしばらくというもの、攻守のバランスが全くわからなくなり、囲碁を覚えたての弟子にも十三路盤で負けるような状態になってしまった。

そんな中、みようみまねの三連星などで手探りして、ようやく不調を脱出。弟子に石を置かせて打ち、「戦いを避けては勝てない状況」を経験したのも良かったんだろう。よくあることだけれど、不調を脱出した時には不調になる前に比べて5級くらい力が上がった実感があった。

まあそういう意味では。あまりこんな風に言いたくないけど、彼女は私の師匠なのかもしれない…。でもまぁ。師匠とはあまり呼びたくないタイプの女性なんだよなぁ…。なんか意味不明なメールを送りつけてきたりするし…。

それはともかく。月曜日の初講義の後、少人数で新年会と称して飲み、その場で「じゃあ水曜日に打とうか」という話になった。

自分が強くなってから。彼女とはほとんど対局したことがない。「絶対負けない!」という自信はあるものの、彼女の攻めにうけてばかりいては負ける。

で、水曜日。彼女を待っていたけれど彼女はこない。「臆したなっ、猪木!(意味不明)」と思いながら他の人と対局しているうちに彼女がやってきた。で、しばらくして対局。

結果は私の小差勝ちだった。いや、石数で言えばそれなりの差がついたんだけど、手ごたえとして「やっつけた」という実感がない。う〜ん、自分が思っているほど、自分は成長していないのか? 彼女とうったせいでまた不調になったら嫌だなと思いつつ帰路についた。

うむ。まだまだこのままじゃいけない。次に対局するときには地を0にするくらいに押し込んでやろうと思ったのだった…

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2003年01月06日

「1級の意地?」 −講義−

日本棋院のウェブサイトで、オンラインの級位認定・段位認定試験を受けることができる(つまらないことだけど「段位」はすぐに変換できるのに「級位」は変換できない…)。11月から受け始めたんだけど、12月の試験結果はなんと「1級」だった。なんと百点満点。試験で百点を取るなんていつ以来か思い出せない。嬉しくなってつい免状の申請なんてしてしまった。免状を貰うにはお金がかかるんだけれども…

と、いうわけで本年のハッピーマンデー教室には「1級」として参加(笑)。自分に1級の力がないことはよく知っているけれど、一応公式の機関から免状なんてもらえるのは嬉しくてしょうがない(苦笑)。まあハッピーマンデーで指導してくれる方々は私に1級の力などないことはよくご存知で、クラスでは10級扱いということになっている。

内緒ではあるけれど、「パンダネット」というオンライン囲碁サイトでの級位はもっと低い。人の話を聞けば、私の力を、とある碁会所換算にすれば5級〜7級くらい。

と、いうわけでこのページも新しくしたので、私のこれまでの棋歴を簡単に…

  • 平成14年1月 「囲碁雑考」というエッセイ(幸田露伴)を見て囲碁を始める
  • 平成14年1月 「ハッピーマンデー教室」に通い始める(ほぼ講義の日のみ)
  • 平成14年3月 「ハッピーマンデー教室」終了
  • 平成14年4月〜9月 ブランク
  • (平成14年6月 前職場退社)
  • (平成14年7月 日本棋院にほど近い場所に会社設立)
  • 平成14年10月 囲碁の弟子を獲得。弟子とともに「ハッピーマンデー教室」再履修
  • 平成14年11月 日本棋院のサイトでの級位認定試験 8級
  • 平成14年12月 日本棋院のサイトでの級位認定試験 1級
  • 平成15年1月 「ハッピーマンデー教室」再々履修
  • 平成15年1月 東大囲碁部の家庭教師(週1度)を付ける(笑)
と、いうわけで囲碁を打ち始めてから数えれば1年。ブランクを考えると6ヶ月が経過したところ。弟子は10月に打ち始め。私とだいたい2子の実力関係。でも先生たちは私より弟子がお気に入り。私の顔はもう見飽きたし、驚くほど成長してびっくりさせるというようなこともないのであまり相手にしてもらえなくなったかも?

好きな棋士は張栩(ちょうう)と山下敬吾。あと、金秀俊(きむすじゅん)も好き。棋風で好き嫌いを言えるほど私の実力がないので、ルックスやしゃべり方が好きなのかも…。ちなみに張栩は一度棋院でみかけた。趙治勲も一度見かけたんだけど、なんだか怖かった…(?)。

で、今日は最初の授業の日。あまりにたくさんの人がいてびっくり。これまで講師だったハンス・ピーチ先生がアルゼンチン(?)に囲碁普及運動に行っているそうで、その間の講師は孔令文先生。先生は両方とも四段。ハンス・ピーチ先生は昨年五段になれなくて残念そうだった。孔令文先生は「大手合の仕組みがどうなるかわからず、これから昇段する人は大変ですよ」と言っていた。

と、そんなわけで昨年に続き、ハッピーマンデー教室の様子をお伝えしていきます。

そうそう。本年最初の対局。負け(笑)。勝勢明らかで、最後にしなくても良いコウ争いをしていて、そこが隅の三々に絡みそうな気配で「よしやってみよう!」とやってみて失敗(苦笑)。アシスタント講師の方がやけに嬉しそうに「前田さん、負けたんですってね」と。なんだかいじめられているのかもしれない(笑)。ふ。

尚、棋院のハッピーマンデーは毎週月曜日の講義と水曜日の自由対局。加えて月曜日のフリー対局室無料入場がついて月額7千円。三ヶ月一括払いなら1万8千円。結構安い値段だと思う。2ヶ月目、3ヶ月目からも参加できるので興味を持った方は日本棋院にお問い合わせください。

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