- テーマ
心の底から感動した。「感動」と書くとなんか安っぽくなっちゃうけど。
合宿(「ふれあい囲碁祭り」という箱根での催しを「合宿」と呼んでいます)で見たじゃっきーさんという女性の碁。彼女は今、私と逆コミ百目で打って十四目負けちゃうくらいの実力。その彼女が合宿前に私に尋ねてきた。「前田さん、五子局ってどう打てば良いんでしょう?」。
私は。自戒を込めて言うんだけど、級位者のうちに相手に石を置かせることは大反対。白番は手がどんどん荒れていくし、黒番は恐怖感で碁が打てなくなる。身近に適切な批判ないし指導をしてくれる人がいなければ、級位者の置き碁は「棋歴五十年2級」への最短距離だと思う。
彼女相手に、ちょっと石を並べてみたりしながら解説もどき。主に布石感覚の話をした。話をしながら、「まあそんな完璧に打てるようになるわけがないよね」なんて思いながら。
で、合宿の最終日。おそらくは彼女の最終局。私の対局の合間の短い時間ではあるけれど、彼女の碁を見ていた。
凄かった。あやうく、後ろからポカポカと殴りそうになった(笑)。あるいは私が女性であったら良かったのにと思った。女性であれば「凄いね、凄いねっ」なんて言いながら彼女に抱きつきたくすらなった(苦笑)。
局面は終盤だったんだけど、彼女が本当に「しっかりした五子局」を打ったことは、その局面からもわかった。相手を「騙している」ところもない。彼女なりの本手を打って、そして目算してみればほとんど追いつきかけている。本当かな? と思って三度も目算をやり直した。
「打ち掛けにしようよ」。教室で打っていた碁ならば、絶対にそう言ったと思う。彼女と、その相手だった人にとって、この後のヨセは「運」みたいなもんだろう。見たところヨセをしっかりと打てば白の勝ちになりそうな碁。でもそんなヨセが打てるかどうかはわからない。勝敗の結果で、ここまで素晴らしい五子局を打った彼女の努力を否定するようなことになったら悲しい。
私の対局後。同じく対局を終えたじゃっきーさんに会った。「良い碁だったね!」と言う私に、彼女は「せっかく教えてもらったのに負けました。すみません」なんてことを言う。数目程度の負けだったそうだ。やはり「負け」という結果が出た以上、彼女の実力では、まだ自分がどれだけ凄い碁を打ったのかわからないんだろうな。「あのね、凄い碁だったよ。俺はむちゃくちゃ感動したんだから」。
そういう私を疑わしげに見る彼女。「え、そうなんですか? 私、『せっかく教えたのに負けやがって』と叱られると思ってたんですけど」と半分冗談のように言う。そうだ、彼女は私がマジギレ(苦笑)した姿も見ているんだな(笑)。教室でこばぴを扇子音(?)高く殴りつけた(笑)ところも見ているんだ。
「あんな碁打ってて、叱るわけないじゃないか。本当に凄かったよ。あんなに打てるとは思わなかった。あれだけ打てるなんて凄い!」。言いながら盤面を思い出してみた。
(私の「指導」も含めて(笑))「いろんなことをヒントに、私に逆コミ百目で勝てない初級者が、一所懸命に素晴らしい碁を打ったんだ」ということが一目でわかる盤面。どう打つべきか悩んでいたじゃっきーさんの姿も浮かぶ。
「俺、関西人だったな」。突然そんなことを思い出した。「関西人である以上、褒めっぱなしで話を終わるわけにはいかんじゃないか。どっかで話にオチをつけなくちゃ」。
冗談めかしてオチにしようと思った。「俺ね、君の碁を見ていて涙が出そうになったんだから」。
そう言った私の目には、不覚にも涙が浮かんでいた。
結局、話自体にオチを持ち込むことには失敗したわけだ。でもエラソーな私が、人の碁を見て泣いちゃったこと自体がオチになったよね(笑)。本当に素晴らしい碁でした。「ありがとう」なんて言うのは変かもしれないけど、でもあんなに良い碁を打ってくれて、本当にありがとう。
- 級位者と置き碁とシタテ打ち
「手が荒れてきてますね」。
これは私のことをとても評価してくれている棋院職員の方が、しばらく前の私の碁を見てぽろりと出した本音。言われた瞬間はとても傷ついた。「シタテとばかり打っていると手が荒れるんですよ」。そうも言われた。その言葉も、いろいろとあってハッピー・マンデーに拘っていた私を大いに傷つけた。
もちろん、こちらが傷ついてしまったのはこちらに思い当たることがあったから。自分の手が碁になっていないようには感じられてた。それに棋書にはよく「二子程度のウワテと打つのが上達の早道」なんて書いてある。自ら望んで級位者の集う教室にいた私。「もうちょっと実力をつけないと、ハッピー・マンデーにいる意味もなくなるんだぞ」と、怯えてもいた。
残念ながら碁会所などに行く勇気もなかった私。とにかく棋書を買って勉強し、そしてたまに打って貰えるウワテの方々の打ち方を必死に覚えようとした。
「ウワテの方は、シタテに石を置かせるときも、最初から勝つに違いないと思いながら打つんですか?」なんてことをウワテの方に質問したこともあった。「置き石があるんですから黒の形勢が良いのは当たり前。で、こちらは普通に打つんですよ。それで形勢がよくならないんなら置き石の数がおかしいんです」。そんな回答を聞いて、ちょっと安心するとともに、「普通に打つというのはどういうことなんだろう?」と、いろいろ悩んだりもした。
ようやく。自分に「初段」の自信がついてきた頃から、シタテに対して「ちゃんとした(当社比(笑))」置き碁が打てるようになってきた。シタテが私に勝って、そして石を減らしてくる喜びが感じられるようになってきた。相手によって「ウワテから攻めるべき箇所」の選択もできるようになってきた。
私の、級位者のうちの置かせる碁は滅茶苦茶だった。シタテの人たちに迷惑をかけたと反省してる。そしてそれは自身にも跳ね返って、成長を遅らせることに繋がったと思う。
級位者のうち、置き碁はなるべく避けるべきだと思う。どうしても打たなくちゃいけない場合には、ときに腹立たしく感じることもあるだろうけれど、ウワテに自分の碁を見せて、ひどい箇所を指摘してもらった方がいい。級位者のうちにする「勝ち負けを競う置き碁」は、自分自身と、それから相手にとっても、百害あって一利なしになる可能性が高いのだと思っていて欲しい。
「手が荒れていますね」。そういう言葉をウワテから聞くのはとてもショックだ。とくに自身に「指導碁」のつもりがあるときには。受けたショックから抜け出せないんじゃないかと思うくらいにショックを受ける。そうなる前に、なるべくなら無意味な置かせ碁を避けて、実力向上を目指すべきだと考えてる。
- 言葉たち
■ 「私、前田さんの碁が好きですから」。
1年くらいも前になるのかな。壁にぶつかって、碁を打つ自信をまったくなくしていた私に対して、とある女性が言った言葉。弱いくせにエラソーに(苦笑)、「俺と打っても、その人のためになんかなりゃしねー」なんてことを(いや、本当にエラソーだ(笑))ウェブに書いた。その記事を読んで、照れながら彼女が必死に言ってくれた言葉。
いくら厚かましい私でも(爆)、さすがに「そうか、この子は俺の碁が好きなんだな」とは思わなかった。でも、さほど親しいわけでもない私を、一所懸命気遣ってくれているんだなとは思った。その気遣いが嬉しかった。
そういうことを言わしめた気遣いが、荒んだ気持ち(笑)を慰めてくれて、そして今の私に繋がっています。
■ 「今の前田さんになら負けても納得いきます」。
これは実名を出して問題ない。こばぴの発言。彼女は、言うなれば私の一番の被害者だ(笑)。扇子で教室中のみんながびっくりするくらいの音を立てて殴られることはさておき(爆)、級位者だった私にむちゃくちゃな指導碁という名のいぢめをくらって碁を壊した。一応「こんな碁に負けても悔しく思う必要なんてないんだよ」とフォローはしたものの、彼女は相当に悔しかったに違いない。
「ちょっと互先で打ってみようか?」。最近になって彼女と互先で打ってみた。50手ほどならべた時点で、盤面に置かれた石の形は既に碁になっていなかった。そこで出たのが彼女の発言。
私は強くなりました(笑)。そろそろ棋歴も二年になり、そしておたく心(苦笑)を持つ私は、徹底的に碁にはまってた。今なら、教室の生徒たちに「指導」できることも増えてる。
「今の前田さんになら負けても納得いきます」。この言葉は、私の「ハッピー・マンデー教室」に対する思いを認めてくれた言葉。彼女の意図以上に(?)私の心に響き、そして私を支えています。
■ 「合宿前に打ってみて貰えませんか?」
勇気が必要だったろうなぁ。ハッピー・マンデーの、比較的新しい生徒が私に言ってくれた言葉。
彼女は私の傲慢さ(苦笑)も知ってるし、怒り出すと手が付けられなくなることも知ってる(大笑)。そんな私に向かって、彼女は勇気を振り絞って「打って下さい」と言ってくれた。
もちろん。彼女は「まあ教室では一番強いんだろうし、ちょうど良い練習になるかな」くらいに思っていたんだとは思う。でもこの言葉で、私は「ああ、教室にいて良かった」と心から思った。
実はあちこちで言いふらしている。「いえね、先日ね、教室の子が私に向かって『打って貰えませんか』と言ってきたんですよ。あはは。俺もちょっとは認められてきたみたいですよ」。この言葉もまた、彼女の意図以上に拡大解釈されて(爆)、私を大いに励ましてくれました。
■ 「ご指導頂けますか?」
最近、教室の男性たちが掛けてくれる言葉。
「前田さんは結局女好きなんですね」と、とある棋士に言われたことがある。まあそうなのかもしれない(爆)。でも本当は、ハッピー・マンデーの中では、男性と仲良く(仲良く、ってのもなんか変だけど)したいと思い続けていた。
「結局さぁ。俺が偉そうなのがいけないんだよね。なんか若ブッテいて、いつもだらしない服装をして、それなのにいつも若い女の子たちといる。そんな奴がいたら俺だって仲良くしたいとは思わないかもしれないもんな」。そう自省してはいた(笑)。でもそんなに若ブッテいるつもりはないし(苦笑)、だらしない服装は自転車通勤のせいだし、ハッピー・マンデー教室では若い女の子の比率が高いから、女の子といる機会が多いのもしょうがない(笑)。それに年下になら「教えてあげるよ」と言いやすいけど、年上の方々には「ご指導します」なんて言いにくいじゃんかね(笑)。
でも。ある方がまず最初に声を掛けて下さった。その方がうちのサイトを見ているのかどうかは知らない。でも「ご指導頂けますか?」なんて声を掛けられて、私は本当に嬉しかった。その方には同年代の仲間も多くいらっしゃり、その仲間の方々も声を掛けて下さるようになった。
自分から声を掛ける勇気を持たなかった私に、みなさんと打つ機会を与えて下さって、本当に感謝しています。「前田先生」と呼ばれるのはちょっとアレですけどね(笑)。
■ 「なんだ、強いじゃないか」。
ちょっと名前を出すのに差し障りがあるかもしれないので控えるけれど、とあるプロ棋士が言ってくれた言葉。一度、幸運に恵まれて指導碁を打って頂いた直後には言われた。「君、師匠なんて言われてるのに弱すぎる」。
「また来週打ってあげるから棋院に来なさい」。そう言われて私は棋院で彼と二度目の対局。今でもそうなんだけど、当時の私は重傷の「ウワテ恐怖症」。「ウワテの方が打って下さるのに、その碁を壊してしまっては申し訳ない」。そんなことばかりを考えて、手は縮こまり、思考はほとんど停止していた。
「俺は強くなる必要があるんだ」。そう考えて、「とにかく、もうちょっとちゃんとした碁を打とう」、と二度目の対局の前に、必死に自分に言い聞かせた。大袈裟でなく恐怖でふるえそうな自分を、「ここで見捨てられたら、強くなる事なんてできないんだからね」と叱責した。
「なんだ、強いじゃないか。初段だな」。二度目の対局の後、そのプロ棋士が言ってくれた。「今日の碁は残しておこうか」と言って、おもむろに売店で碁罫紙とペンを求めて棋譜を書いてくれた。「じゃあまた打とうな」と言って立ち去り際に、「そうだ、先日失礼なことを言っちゃったお詫びと、今日の碁の記念に」と扇子を頂いた。
一度目で完全に見捨ててしまっても良かった私に二度目のチャンスをくれて、そして認めてくれた言葉。この後、別のプロ棋士とも対局する機会があったんですが、そのときにはこの「強いじゃないか」の言葉が支えてくれました。後に対局した棋士の方も「ああ、やっぱり前田さんは強いんですね」と言ってくれた。二度目のチャンスを与えてくれた棋士がいなければ、私のウワテ恐怖症が(多少なりとも)改善することはなかったでしょう。
- 囲碁とハッピー・マンデーと私
この話はあまりに個人的な話で気持ち悪いです(笑)。一応、警告しましたからね(笑)。
主題であるじゃっきーさんの碁。私の囲碁生活にひとつの区切りを与えてくれました。
じゃっきーさんの碁を見る前日、私は友人に電話を掛けました。それは「囲碁とハッピー・マンデーと私」の話。
実は今。ハッピー・マンデーにいることが凄く苦痛なのです。今回の合宿への参加を躊躇っていたのも、その苦痛が原因。合宿の二日目の終わりに、ハッピー・マンデーをしばらく休むことを決意しました。「これからは、これまで関係のあった人たちとではなく、ひとりで碁を打っていくよ」。そう伝えました。
合宿の一日目。何かと私を評価して下さるウワテの方に言われました。「シショウはさ、あと1年くらいハッピー・マンデーにいなくちゃな」。「何言ってるんですか。私はずっとハッピー・マンデーですよ」。その時は口に出しませんでしたが、ずっとそう思ってました。「だってね、最近はこれまで縁遠かった年長の男性の方々も声を掛けて下さるようになったんですからね!」。
「苦痛」とバランスを測って、それでもハッピー・マンデーにいることが愉しい、とそう思ってました。えと、「信じようとしてた」とか「言い聞かせていた」のかもしれないけど。
でも弱い奴は、苦痛を感じると、だんだんと人間性までおかしくなっていくんですよね。
上の「Variation」に書いてきたみたいに、ハッピー・マンデーは凄く嬉しいこと、愉しいこと、気持ちよいこと、勉強になること、etc. を与えてきてくれました。でも苦痛を感じる度合いが増えるに連れて、その嬉しさやなんやをちゃんと自分の中で評価できなくなってしまうかもしれない。きちんと評価すべきを評価できないのはクズだと思ってるのに、自分がだんだんクズ化しそうな気がしてくる。
自分の中で結論が出た合宿二日目の夜、眠れなくて、三日目は対局時間になるまで寝てました(ん? なんか矛盾だな(笑))。起きて慌てて対局場に行って。コンタクトのずれが気になってしょうがなくて。シャワーも浴びていない自分が気持ち悪くて。そしてトイレに行きたいなあなんて気を散らして。結局その碁は早々に投了。相手の方はきっと「なんて失礼な碁を打つ奴だ」と思ったでしょうねえ。
部屋に帰ってシャワーを浴びて、ずれたコンタクトを捨てて眼鏡にして、そしてトイレにも行って。そして気持ちを落ち着けて対局場に行ってみたのがじゃっきーさんの碁。
いや、「タイミング的にぴったりの時にじゃっきーさんの碁を見たから感動した」と言ってるんじゃないんですよ。彼女の碁は本当に「凄い」碁でした。
実は彼女の碁をネタに前にも記事を書いたことがありました。彼女と九子局を打ったときの話。彼女はそのときも、事前の私のアドバイスをきっちり消化して、私がこれまでに見た最高の九子局を打ったんです(ちなみに七子局で最高の碁を見せてくれたのはこばぴ。互先で私にいろいろと教えてくれたのはかおる)。そのときもちょっと感動して記事を書いたんだけど、関西人らしいオチが見つけられなくて結局公開しなかった。
彼女は。納得できる理由に基づいた説明があると、それをしっかりと消化するタイプなんでしょうね。今回のテーマである彼女の五子局も、タイミング云々じゃなくて、それ自体で感動しちゃう碁。
実際。彼女の碁を見たときには、前日電話で友人と話したことなど忘れていました。あとでそのことを思い出して、「そうか、これは天啓なのかな」と。
これまで存分にエラソーだった私(笑)。さらに傲慢に思いこみを言わせて貰うとさ(笑)。ある事件、なんてこのサイトでぼかす必要はないんだけど、でも「ある事件」をきっかけに、「初心者の人の指導ができるくらいに碁を知りたい」と思って居座り続けたハッピー・マンデー教室。そんな気持ちに、最近になってようやく実力が追いついてきた。
で、これがすごい傲慢な思いこみなんだけどさ(苦笑)「直前に俺に『五子局の打ち方』を聞いてきた子が、本当に素晴らしい五子局を打ってくれた」(笑)。これは「お前の望みは完遂されたぞ。だからもうお前の役割は終わったんだぞ」という天啓なんじゃないかな、なんて。まあ、苦痛が根にあるわけだから、「それは酸っぱい葡萄だよ」と言われれば反論はないんだけど(笑)。
でもともかく。「酸っぱい葡萄」ではあっても、本人の中で理論的に完結できるのが、クズ化しないための自己防衛なんでしょう(笑)。
これからしばらく、ひとりで碁を打っていきます。
でもね。月曜日と水曜日には棋院にいるんだな、これが(笑)。伸びた実力の運試しをしたい人。はやめに棋院にくればいつでも腕試しのメジャーとなりましょう(笑)。
今回の合宿で、えらく私を気遣ってくれたOさん、Sさん、Kさん。合宿の目標であった「途中で帰らない」を達成できたのはあなたたちのおかげです(笑)。ありがとうございました。
■ (補遺)偽・じゃっきーの報告
「ほほう、武宮先生の本を読んでいるんですか」。言いながら、中年のクセして短パン姿の野郎が、本を読んでる私に近付いてきた。「てめーよー。自分のうちの庭仕事してんじゃねーんだから、TPO を考えろよ」。そんなことを思ったんだけど、入ったばかりの教室で「敵」を作るわけにもいかないし。それにこの中年男。なんか態度がやけにでかいので、もしかして指導員とかだと後でいぢめられるし。
「ええ、なんか武宮先生は攻めの棋風みたいで、それが私に合ってるかなと思って」。いちおー答えてみた。「なるほどね〜。そういう意識なら三連星はいいですね。でも私は三連星が打てないんですよ」。えっとさ。誰かあなたに「三連星は好きですか?」とか聞きましたか?
「ちょっと打ってみますか?」。そう言っておもむろに目の前に座って、碁笥を開けてる。う〜ん、この態度はやっぱり指導員かなんかなのかもしれないぞ。こんな指導員がやってる教室ならどーせすぐやめちゃうから良いんだけど、でもまあせっかくお金も払ったんだからまあ様子を見てもいいかもね。
「え〜と、じゃあお願いします」。打ち始めた。取り敢ず私よりは強いみたい。なんか打ちながらぶつぶつ言ってるけど、何言ってんのかはよくわからない(苦笑)。なにしゃべってんのかな、この人。「俺は碁のことをよく知ってますよ」とアピールしてんのかな?
「ええ、そうです。三連星を敷くとそのような打ち方がいいんですね!」なんてなんか一人で納得してる。私は武宮先生の本を読んでるんだってーの。武宮先生ご自身の本で学んで、なんで指導員だかなんだかわからないあなたに私の三連星を評価してもらわなくちゃいけないんだって(笑)。
あとで聞いてみたらあの中年男。やっぱり指導員でもなんでもないらしい。何人かはあの男のことを「シショウ」とか呼んでる。なんなのかな〜。でも「シショウってどういうことですか?」とか聞いたら、また碁のときみたいに一人でぺちゃくちゃしゃべりだしそうだし。
ま、変な人もいるけど、ホンモノの(?)指導はプロの先生や、なんだかとても強そうな藤田という渾名のF先生がやってくれるみたいだしいいよね。でも今日のように突然「おや、打ちましょうか」とか言われると怖い。F先生に言いつけておこうかな?
と、それが私と前田氏の出会いでした。
その後評価が変わったかどうかはトップシークレット扱いとさせて頂きます。
by 偽じゃっきー
先日、棋院の「有段者の集い」で対戦した初段の方。
**ABCDEFGHJKLMNOPQRST**
18├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤18
17├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤17
16├┼┼4┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼1┼┼┤16
15├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤15
14├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤14
13├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤13
12├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤12
11├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤11
10├┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼┼┼┼・┼┼┤10
09├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤09
08├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤08
07├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤07
06├┼15┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤06
05├┼┼10┼16┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤05
04├┼92┼┼┼┼6・┼┼┼┼┼・┼┼┤04
03├┼78145┼┼┼┼┼┼┼┼┼3┼┼┤03
02├┼131112┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤02
01└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘01
**ABCDEFGHJKLMNOPQRST**
上のような序盤戦となった。黒1・3・5のコンビネーションは、私が最近好んで打つ偽・小林流(笑)。白6で C6 に受ける人も多いが、挟んでくる人も多い。
挟まれた際、黒は「トンで受ける」、「三々にフリカワル」、「両ガカリにする」の選択を迫られている。私の場合は基本的に周囲の状況がよっぽどよくなければ飛ぶことはない(最近「周囲の状況」に求める厳格さが減った。つまりトビもわりと打つようになった)。また「両ガカリ」は変化に自信がないので滅多に打たない(実は変化の余地はさほどないかということで最近これまたあちこちで試してみている)。
よって私の場合、「挟まれれば三々フリカワリ」が絶対の一手。
で、フリカワルことに決めれば黒 15 までは一本道。ほとんど変化の余地はない。一般的に白はここで手を抜いて大場に回ることになる。あるいは私のレベルだと白は E7 にケイマし、黒に何かウケさせることもある。
しかるに。対戦相手の打った手は白16。これには相当な違和感を感じる。
ケイマすれば左辺の黒に多少なりとも響き、また左辺のノビ争いで一歩先に出る意味がある。しかし実戦の白16は、左辺に全く響かないし、中央に向けて先んじるわけでもない。また F3 の黒石の動きを完全に封じ込んだわけでもない。よってこのようなトビは、これまで読んだ棋書のいずれにも書かれていないように思う。囲いにくいとされる中央を一所懸命に、しかも小さく囲いに行っている手。
つまりこれは「損をしない」定石を外して打っていることになる。
初心者のうち、三々が怖くて星定石が打てない人が多い(実は小目定石の方が後に膨大な変化があって難しいのだが)。しかし星定石というものが存在し、三々を守らない選択肢があるということは、すなわち初めから三々の守りについていては損をするケースが多いからに他ならない。
この場合も同様に考えることができる。白16を打っている本人は「一子を完全に取り込む手堅い手」と判断しているのかもしれない。しかし、先に書いたように囲み方が小さいし、また思ったほど完全に一子の動きを封じているわけでもない。定石を知らずにすすんで「損」をしている。
この白16の瞬間、黒には大きな「余裕」が生まれ、以後の戦いを有利に進めることができる。そもそも先番で、先に先にと打ち進められる黒にさらに余裕を与える。
ちなみにここから白は黒に「もてあそばれる」状況となり、中押し負けを余儀なくされた。
「定石ってなんのためにあるのよ!」という議論になった。「え? 定石って、部分的に互角の分かれを目指すためにあるんですけど」という私の回答に先方は納得しない。
「だってさ。碁って戦いでしょ? その中に『互角を目指すもの』とかが存在して、みんなそういう風に打つってのは変じゃないの?」と。
ふ〜む。戦いの中に互角を持ち込むための筋を双方で打ち合うというのは確かに変か。議論を仕掛けてきた人の言うことに一理あるかもしれない。
ただね。理解して欲しいのは、定石とは「部分的」に互角を目指すモノ。私もよくやるんだけど(と、いうか私にはまだまだ知っている定石が少なすぎるわけだが)、双方で「部分的に互角」の手を打ち合って、一段落した時点でふと気付くと全局的に最悪な展開になっていることがある。
つまり部分的に互角であると言われている定石でも、全局的に判断すれば打ってはいけない定石があるということ。部分的に互角の定石も、互角からほど遠い結果を生み出すことがある。
さらに議論を続けるうちに、この「互角」という言葉に違和感を感じるのかとも思った。全局的にひどくなるのに「互角」? まあ確かにちょっと変かな。で、考えた私は言ってみた。
「定石というのは、部分的に損をしないための石の形です」
この定義は私の経験からしてもぴったりくる(自画自賛(笑))。高段者と打っていると、「石の形だよな」と思いつつ打っていても思わぬ損をさせられることがある。否、「ことがある」というか、いつもそうだ(笑)。級位者の人でも、相手が三々定石を知らなくてひどい得をしてしまった経験を持つ人は多いと思う。こういう損を防ぐのが、過去の経験から生み出されてきた「定石」というもの。
また、全局的に見てひどい定石を打ってしまったら、それはそれとして、最悪でも部分的な損は防がなければいけない。そういうときには定石に従うのが簡明。
さらに。ある程度強くなってくると定石途中での変化や手抜きをするようになってくる。これも「互角」という言葉を使うと「なぜ互角になるところなのに手を抜くんだろう?」なんて疑問が出てくる。しかし、定石を「損をしないための筋」と理解していれば、「ここでの損は甘受します。しかしその損と交換に、違う場所で得をする予定なのです」と主張しているのだと理解できる。
上に書いたような議論。囲碁界で、もう何千万回も議論されてきたことだと思う。でも上のことをまさに「実感」として理解できるようになった自分が嬉しかった。議論していた相手の人も(それなりに?)納得してくれたようだった。
どこかで人に聞いたのですが、シチョウは一度逃げれば逃げる毎に十目の損になるとか。
単純に考えれば取られる石がひとつ増えていくだけなのに、なぜ十目の損になると言われるんでしょう?
ちょうどパンダネットでシチョウを逃げ出してくれたウワテがいましたので(苦笑)、参考までに棋譜を掲載しておきます。
このサイトがきっかけでお知り合いになることができた方が、世田谷で囲碁祭りを開催するそうです。基本的には区民による、地元のお祭りのようですが、参加資格等はとくにないそうです。
詳しくはこちらのリンクをご覧下さい。
尚、私と弟子・かおるも「エラソー」に、当日参加させて頂く予定にしております。
私が初段になったかどうかの頃。とあるアマ高段者(五段+)と話をしました。「もう五段くらいになると勉強することもないでしょう?」と言うとアマ高段者曰く。「そんなことありませんよ。いろいろ勉強しています。棋譜並べとか」。
そう。「棋譜並べ」は、ある程度以上の実力を持つ人が誰でもやっている勉強法。棋院の売店に行っても数多くの「打碁集」が並べられています。私もインターネットや本などからさまざまな棋譜を入手して、棋譜を並べてみたりしています。
で、私なりの「打碁鑑賞」ないし「棋譜並べ」の方法があるので記しておきたいと思います。どなたかの参考になることもあるかもしれないと思いまして。
尚、ブログの性格からして、一度に長文を掲載することはあまり相応しくないようにも感じましたので、「連載」の形式にします。今回は「棋譜の入手先」について。
「連載」と言ってもせいぜい3、4回と思われますので興味のある方は読んでみてください。
また老婆心で付け加えておけば、二桁級のうちに棋譜並べをすることが有益であるとは思っていません。この時期はたとえば定石を勉強してみるとか、基本的な手筋の本を読んでみるという方が、はるかに効果的な勉強法だと思います。もちろん人によって違いはあるでしょうから、私の考えが万人に当てはまるわけではありませんが。
棋譜の入手先
インターネット
棋譜は、現在さまざまな場所から入手することができます。最も簡単に入手できるのはインターネット上ですね。世界的に有名なのは GoBase.org でしょうか(棋譜鑑賞にはユーザ登録 - 無料 - が必要)。日本棋院の「情報会員」になれば国内棋戦の棋譜をダウンロードすることもできます。月に1、2局はプロ棋士による解説付の棋譜をダウンロードすることもできました(私はかつて会員でしたが、退会してしまいました)。
またメジャー棋戦の棋譜は、スポンサーのサイトに掲載されることが多いので、そこからダウンロードすることもできます。たとえば本記事執筆現在に行なわれている名人戦の棋譜は asahi.com からダウンロードすることができます。
さらにパンダネットでは、メジャー棋戦のライブ中継が行なわれます。パンダネットでネット碁を楽しむには登録(有料)する必要がありますが、他人の対局を観戦するのは無料。もちろんプロ同士の対局も無料で見ることができます。ライブ中継を見ながら棋譜をそのまま保存しておくということもできます。
他にも数多くの囲碁ファンが自分のサイトで棋譜を公開していたりしますので、探してみて下さい。
新聞
手軽さという意味では新聞に掲載される棋譜も手軽でしょうか。たいていの新聞には囲碁・将棋コーナーがあり、そこに棋譜が掲載されています。だいたい1週間かけてひとつの対局を解説していくという形でしょうか。最終日には「総譜」と呼ばれる初手から最終手までの棋譜が掲載されることが多いようです。
本/雑誌
囲碁の本や雑誌にも棋譜が掲載されていることが多いですね(私は囲碁雑誌の定期購読はしていません)。雑誌では最新のメジャー棋戦の棋譜が解説付きで掲載されることが多いようです。また棋譜の紹介を主目的にした本も数多く『囲碁百名局』のように、いろいろな棋譜を集めた本から、『打碁鑑賞シリーズ1 片岡聡』のような棋士本人による解説棋譜集のような本もあります。
この「打碁鑑賞シリーズ」は最近の発刊で、今後いろんな棋士のシリーズが出てくるのではないでしょうか。少なくともシリーズ1を見る限り、非常に面白い企画ですので続巻が待たれます。
電子媒体
棋譜を集め、パソコンなどで見るための CD-ROM なども存在するようです。あるいは私の購入した囲碁ゲームソフトウェアには、いくつかの棋譜が付いてきました。この分野にはあまり詳しくないので、どなたか詳しい方がいらっしゃればフォローアップお願いいたします。
以上、棋譜の入手先を思いつくままに並べてみました。ここに挙げたような場所から入手した棋譜を元に、何を使って、どうやって勉強していくのかを次回記したいと思います。次回は「何を使って」というところに焦点を当て、「お道具編」を掲載します。
尚、棋譜は棋士たちの著作物。私たち囲碁ファンは、この「著作物」の扱いに十分慎重であるべきです。また、詳細については勉強していませんが、棋士と棋院の間には棋譜の扱いについての取り決めもあると思われます。プロの棋譜を自分のサイトで公開したい場合などには、クリアすべきハードルが数多くあると思われます。著作権等を侵害することのないように、ご自身の責任で十分注意して行なってください。